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絶望とダンスして 悪魔の腹の上で笑う  作者: 藤谷とう
──ミスティ・ララバイ──
93/120

#35



 その記憶はいつも鮮明だ。

 彼女の肌のぬくもりや、甘い香り、囁くような笑い声。


 微笑む目。


 幻想に彩られた記憶に縋って、生きていく。





        #35




 数河と夜津兄弟にホテルを任せ、エレベーターに乗り込む。

 ごきげんな戸頭間は、ちらりと振り返って笑った。

 

「なあに?」


 戸頭間に話を向けられた丹羽は、眼鏡を押し上げる。

 この青年は絶妙な力加減で相手の感情を読み取って立ち回る。聡明であることに間違いはないが、とてつもなく厄介だ。常にすべてが彼の手の上にある。

 それでも丹羽が二年も一緒にいるのは、戸頭間カケルという者が、残虐である一方で、割と深い愛を持っていると知っているからだった。

 愛にも色々あるが。


「……そりゃ言いたいわ。朝から叩き起こされて、今から舟正の弾除けになるんだろうからな」

「賢いねー。はなまるを描いてあげよう」

「どこに書くつもりだ」

「もちろん頬だよ」

「阿呆だろ」

「みんなびっくりすると思うなあ」


 そらびっくりするだろう。年配の男の両頬にはなまるが描かれているだなんて、コント出なけりゃなんだというのだ。丹羽は長いため息を吐いた。

 本家の座敷に現れた男の頬に──それも戸頭間の相棒という反応に困る男に、はなまる。

 

「ふふ。想像しちゃった」

「奇遇だな」

「笑いたいけど困った顔で俯くみんなが目に浮かぶようだったよ」

「……で、君は満足そうに歩くんだろうな」

「丹羽さんは諦めた顔で歩く。で、母さんに会った瞬間」


 あなた何やってるのよ。

 至極真っ当な反応が返され、耐え切られなくなった周囲が吹き出す。


「って感じ?」

「……やるなよ」

「ごめんね、赤い油性ペン持ってないの」


 なぜ謝られているのかわからないが、とりあえず丹羽の尊厳は守られたらしかった。

 エレベーターのドアが開く。

 フロントを通りすぎ、ロビーを我が物顔で歩けば「いってらっしゃいませ」と顔見知りたちに声をかけられる。ドアマンが「お気をつけて」と開けた先には、戸頭間の車が回されていた。その前で、舟正と狐刀、瀬世が和やかに立ち話をしている。


「……坊っちゃん」

「久しぶりだね、お兄さん」


 二人の間で互いの立場を推し測る沈黙が一瞬流れ、にこっと笑いあう。


「いいねぇ」

「ええ──やっぱりええなあ。坊っちゃんはほんまに面白いわあ」


 何を交信し合ったのかはわからないが、二人は笑みで互いを称え合うように腕をぽんぽんと叩きあった。


「ルージュ、払ってくださった分をお返ししたいんやけど」

「え? なんで?」

「弟から金を取るわけにはいかへんよ」


 イノセントの件は二人の間の貸し借りにカウントしない、と示した舟正を、戸頭間が褒めるように見上げる。


「兄に甘える無能な弟じゃないもの。払わせてよ」

「……では、お言葉に甘えて」

「ごめんね、本当はもっとあったんだけど、爆発で吹っ飛んじゃって」

「聞かなかったことにしますわ」


 ははは、と笑い合う二人を、狐刀は呆れたように、瀬世はなぜか嬉しそうに見ている。


「じゃ、僕の運転で行こうか」

「とりあえず来ましたけど、どこに連れてってくれはるん?」


 不思議そうに聞く舟正に、丹羽は巻き込まれないうちに助手席へと乗り込むためにドアを開けた。

 戸頭間も運転席に周る。


「まあ乗って乗って」


 全員乗った車は、戸頭間の運転で走り出す。






 妙なことに、ラジオは無言だ。

 窓を開けた車が海から離れる中、後ろで身を小さくしていた瀬世に、戸頭間が声を掛ける。


「どう?」

「あ、元気、です」

「それはよかった。狐刀さんってバディ組めない人だから心配でさあ」

「あの、すごくいい人です」

「嘘でしょ」


 戸頭間が笑う。


「でも、うまく行っているみたいで良かった」

「……あなたの、お役に立てるよう、頑張ります」

「ん? いいよいいよ。拾った義理立てなんてしなくていいから、折角の命だし、自分の好きに使いなー」


 丹羽が外を眺めると、戸頭間は「丹羽さんはだめだよ?」と冗談なのか本気なのかわからない付け足しをする。


「僕のために生きて、僕のために死ぬ運命だから」


 傍若無人とはこのことだろう。何故か後ろの三人は同時に笑ったが、丹羽には笑えない。

 彼は本気だ。

 そして間違っていない。

 彼のために死ぬべきだろう、と丹羽は思う。

 ハルカの子のために。

 それが彼女への報いになるのなら。



「あのー」



 そこに、舟正の声が割って入る。

 察しているが確認せずにはいられないと言わんばかりの声だ。


「坊っちゃん、どこ行ってはるん?」

「もー、とぼるのはやめてよお」


 戸頭間が笑い飛ばす。


「お兄さんが頼んできたんでしょ?」

「……はい?」

「母さんに会わせてほしいって、丹羽さんに頼んだらしいじゃない」


 一瞬にしてしんと静まり返る車内に、ため息が二つ、同時にこぼれる。

 戸頭間の言葉をそのまま受け取らなかった舟正が、丹羽に同情するような笑みを漏らした。舟正も戸頭間との付き合いに慣れてきたのだろう。丹羽と舟正が共有しているのは「お互い大変ですね」というような気遣いらしきものだった。


「坊っちゃんの、お母様、ですかあ……」

「会ったことある?」

「一度」


 その短い返答から、舟正が苦手意識があるのがありありと伝わってくる。

 舟正の代わりに、狐刀が答える。


「その時に一緒にいましてね」

「へえ。いつ?」

「あなたがずっと幼い頃ですよ。これとは十年の付き合いになるので」

「十年。長いねー、仲良しさんだ」

「そういうものではないんですよ。互いにやりやすい。それだけです」

「それって稀有な存在だよ、狐刀さん。大事にしなきゃ」


 戸頭間の声に、狐刀はころころとおかしそうに笑った。



「相わかりました、あなたの言う通りに」

 


 夜津兄弟から聞いた話だが、狐刀はどの相棒にも振られ、一人となって鬼不田に貸し出されたそうだ。

 知るものは少ないし、狐刀のことを恐れて噂すら広がらないという。



 ふと、丹羽は八ヶ月前のことを思い出した。

 舟正の車に乗っていた。井田口と瀬世を挟んで後部座席に乗り、鬼不田へと向かうやけに緊張した車内で、二人が昔を懐かしむ話を聞かされた。丹羽の記憶が確かなら碌でもない二人組みだったはずだ。


 あの時とは正反対だな、と丹羽はぼんやりと思う。


 今、舟正の命は戸頭間の手の上だ。







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