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絶望とダンスして 悪魔の腹の上で笑う  作者: 藤谷とう
──ミスティ・ララバイ──
86/120

#28


 時間というのは生き物だ。

 蠢いて、ただ静かに迫ってくる。

 彼らは澄ました顔して、覆いかぶさって飲み込むのだ。


 侵入者はそれを超えた。

 (ヒト)はまだ、彼らの姿を知らない。




        #28




 舟正(ふねまさ)が退出した部屋の中は、ゆっくりとゆるんだ空気に変わった。

 ふ、と笑い始めたのは、やはり御田だ。徳利(とっくり)を持った手が震えている。


「ふ……ハルカさんの名前を出すとは……ふ、ふふ!」

「一美さん、相変わらず意地が悪い」


 新正までもが笑う。


「あいつはハルカさんに一度だけ会ったときに恐れ慄いていたからなあ」

「そうなんですか?」

「狐刀を貸し出してもらうことになったときに一度な──彼女は彼がきちんと扱われるように、鬼不田まで一緒に来たんだよ」


 彼女のやりそうなことだ。

 丹羽は陽気な昔の友人の姿を眺めながら、座卓に頬杖をついた。


「それはそれは……ハルカさんは身内にはすごく親しく接してくれる方ですが、同時に一歩外に出ると人を圧倒させましたからねえ、皆本能的な恐怖を覚えますから」

「ありゃあ、誰も逆らえない母親と同じだ」

「……ふ! 確かに! あんなに酒豪で、男とも肩を組んで豪快に笑って食べていても、必要なときには一瞬で頭を押さえつけられましたもんね」


 比喩ではなく、ハルカは飲みすぎた男どもがくだらない諍いを起こしそうになったときには、両方の頭を掴んで座卓に叩きつけるのが日常茶飯事だった。

 男の喧嘩の仲裁なんて荒っぽいくらいでいい。

 彼女の持論だ。

 丹羽は縁側からそれわや眺め、隣で飲んでいる海野は額をさすっている二人を見て笑う。

 海野の妻が酒を取り上げて片付けを始めるのを、ハルカが男どもに「ほら、手伝う」と指示を出しながら動いていた。



「しかしまあ、暴れてくれましたね?」


 御田が丹羽を現実へ戻す。

 丹羽は眼鏡を外し、眉間を揉んだ。


「女の方は返してもらった」

「……おや、いいんですか? 言っても」

「お前たちに隠すことは一つもないんでね」

 

 プライドを傷つけて面倒なことにならないためなら。

 丹羽は続ける。

 そもそも御田は知っているはずだ──ルージュの支配人が、戸頭間の車を裏に回したことを。その理由も。


「彼女はハルカの娘のような存在らしい。どうしても戻したかったんだろう」


 二人が「ああ……」と納得したように呟く。

 彼女が身内にどこまでも愛を注いでいること知っている声だ。

 

「……今のハルカの立場からしても、無事に戻す必要があった。あっさり捕まえられて気抜けしたくらいだが──爆破騒ぎについては一切関係していない」


 あの白い箱に見覚えはあるが、あれこそ自我が見せた幻だったのかもしれない。

 丹羽は自分がそう思い込もうとしていることに気づいて自嘲する。


「お前たちの面子を潰す気はなかった。あくまでも払う分は払って穏便に街を出る予定だった」

「……男の方は?」

「死んだ」


 嘘ではない。

 あの場で死んだのだから。


「そうですか。でも、欲しいものは無事に手に入った、ということで?」

「ああ。あの騒ぎの情報は何かあるか」


 丹羽が尋ねると、御田はうーんと首をひねった。


「いいえ、全く。突然、うちの車が何台も爆発した、ということだけですね。あの街に警察は機能していないので、知りようがないといいますか」

「留守にして大丈夫なのか」

「お気遣いどうも。上に報告する、という(てい)で来ているので大丈夫ですよ。ということで、どうします?」


 御田が新正へ指示を仰げば、新正は猪口を置いた。

 ことん、と音が響く。


「そうだなあ……そちらは何もしていない、と?」

「ああ。ただ、あの騒ぎでこちらが支払うべき代償があるなら、俺が話を通す」

「……あなたが?」

「お前たちに報いたことがなかっただろう。一つくらいはな」


 彼らの自尊心をわずかでも満たせるのなら、なんとでも言おう。

 丹羽は、無理難題を言ってこないことをわかっている一方で、それを叶えてやりたい、とも思っていた。

 四十一年前に自分たちを受け入れてくれたことへの感謝にしては遅すぎるくらいだ。


「そうですか……」


 新正が感慨深そうに呟く。

 その顔は、若い頃の彼の夢を語る顔に似ていた。普通の人生を夢見ていた彼の顔。

 

 ──普通の定義によるね。


 戸頭間の声が頭に響く。

 それに答える目野の言葉も。


 ──スタートラインが違うのよ。


 ああ、言いえて妙だな、と丹羽は思う。

 彼らはスタートラインそのものが違った。選択肢のない環境から、這ってきた。それを誰が咎められるのだろう。彼らの歩いてきた道を知らなかった奴らが、何を言えるのだろう。

 彼らのしていることが必要悪だと、誰が知っているのだろう。


「……臨時首都の件は、政府に介入される前に別の形で収めたい」


 新正の言葉に、御田もゆるく頷く。

 政府が民意に押される前に──それを盾にする前に、何も言わなくなるであろう一手を。


「舟正の言った通り、そちらから()()、派手に迎えたい。侵入者を迎え入れても安全であるイノセント、という看板は強力だ。今回の出来事も〝それに反対するエトウを内部紛争で黙らせるための騒ぎだった〟と言えるでしょう。爆破の件も調べていただきたい」


 無駄のない手だ。

 丹羽は徳利を傾け、新正の猪口に注ぐことで了承を示した。


「数名、ね」

「欲張りましたか?」

「いいや。舟正の要求分は戸頭間カケルに、お前からの数名分はハルカに俺から言っておく」

「頼みました。いやあ、舟は驚くでしょうねえ」


 一人、といったはずがそれ以上連れてこられては、彼は戸頭間に頭が上がらないどころではなくなる。

 ハルカも、新正の頼みを無碍にはしないだろう。

 彼に支払わなければならない借りがある。


 御田は空気を読んだように立ち上がった。

 新正が声を掛ける。


「御田、イノセントを預かるお前の意見は」

「ありません。そのやり方が妥当かと。うち(鬼不田)は自浄作用がきいている、と外へ見せることにもなりますしね。丹羽さんが言っていたように、恨みを買いすぎたエトウの粛清だったんです──それに、いい機会だ。うちは社会不適合者の保護施設ではないと示せます。最近は覚悟もないのに怒りを抱えた奴らばかりですよ」


 優しい顔をした御田は、新正と丹羽に向かって頭を下げた。



「話はまとまったようなので──これで失礼。あとはお二人でゆっくりなさってください」







 

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