#24
理性で抑えれば抑えるほど、反動は大きくなり、手に負えなくなる。
迷惑を被るのは周囲だ。
ストレスはほどほどがいい。
#24
ドゴッと鈍い音がするのをサイドミラーから見ながら、丹羽は煙草の煙を窓の外に吐き出した。
後ろからはガサガサという音がする。
甘い、冷めたベビーカステラの匂い。
「……まだ終わんないの?」
それが自分にかけられた言葉だと遅れて気づいた丹羽は、緩慢な動きで灰皿に灰を落とし、ほろりと崩れたそれを見つめる。
「まだだろうね」
「悪趣味ー」
目野の間延びした喋り方は、誰かを思い出す。
今、他の観客もいない海岸沿いの道路で相手を金属バットで痛めつけている「誰か」だ。
それは、高速を降りて海岸線に入ってすぐのことだった。
後ろからバラけて追跡してきていた三台のバイクが、並んで車へ突っ込んでこようとしたのだ。
が、戸頭間が逆急ブレーキを踏めば、彼らは避けようとしてハンドルを切り、よろめき、無様に車体とともに倒れた。
そこに降りていって十五分。
彼らは最初こそ抵抗し、戸頭間を痛めつけようとしていたが、ただの金属バットを前に為す術もなく次々と沈められた。その一方的な力は、見ていて相手が哀れになるくらいだった。
戸頭間はどうやら相当我慢しながら臨時首都にいたらしい。
「あ」
目野が後部座席からぐっと身を乗り出してきた。
そのまま、前を指差す。
細い指。まだその手に男の血をつけた、無邪気な手。
「ねえ、更に来たけど。どうするの」
彼女の言葉通り、対向車線には一台の車が加速しながらこちらへとハンドルを切るのが見えた。
丹羽は仕方なく車を出る。
「頭、低くしてろ」
「はあい、パパ」
「……」
なるほど、目野は戸頭間と過ごした時間は長いらしい。
丹羽は外に出ると、ショットガンを右手に出して上へ向けた。
威嚇射撃と、戸頭間への合図を一発。
それで止まれば見逃してもいいかとも思ったが、焦った顔で突っ込んでくる。
仕方なくフォアエンドを引いてタイヤを撃つ。もう一度引いてフロントガラスを──さらにもう一度引いき、車内を撃つ。車は無惨な姿で停止した。
念の為についでに三発ほど満遍なく撃っておいた丹羽は、ガソリンが漏れているのを確認し、ライター出した。灯した火が、ぐにゃりと曲がって走り、引火するのを見届けると、車へ戻る。
「おっさんすごいね」
目野がベビーカステラを摘みながら感心する。
半日前の彼女とは別人のように寛いでいるが、あれもこれも彼女なのだろう。恨みを吐き出したあとの開き直りというやつは、丹羽にも見覚えがある。
「銃出せるんだ。格好いいじゃん」
「……どうも」
「薬莢出ないのって、もしかして銃だけじゃなく、弾も出してるから? もしかして弾の軌道も自由自在?」
「……」
「エグいね。すごいの飼ってるんだ、カケル」
「──何の話?」
すっきりした、と顔に書いた戸頭間が車に優雅に乗り込んでくる。
「おっさんの話」
目野が言いながら、ベビーカステラの袋を戸頭間に差し出した。戸頭間は一つ出して摘む。
「おっさんじゃなくて、丹羽さんね」
「ニワ、さん」
「下の名前は一美」
「カズミ」
「覚えた?」
「カズミね。覚えた」
なんでそっちなんだ。
戸頭間がケラケラと笑う中、丹羽は辟易とした顔でミラーを見た。立ち上る青い煙。転がった三つのバイク。脱ぎ散らかした服。
燃える車を横目に、車が滑らかに滑り出す。
「……バイクはあのままでいいのか」
「忠告になるかなって」
「ああ……」
「よくバイクをあんだけ凹ませられるね。サトル様と同じくらい馬鹿力だったっけ?」
目野が子供のような声で言う。
戸頭間は心外だと言わんばかりに「えー?」と唇を尖らさせた。
「兄さんのアレと一緒にしないでよ。片手の握力だけで頭潰す人だよ?」
「……」
「覚えてる覚えてる。サトル様に〝はあ?〟って言ったヤツでしょ」
「定例会のときだよねー。警察に入ることになったって母さんが報告したら、一人だけ小さい声でそう呟いたもんだから、兄さんが他の座ってる奴らを押しのけて頭を潰したんだよね。正座から立って約三秒くらい?」
「うん。あっという間。あの言い方はマズかったよね」
丹羽は聞かなかったことにして、本物の海の景色をじっと見つめる。
まるで無邪気な子供の会話だが、中身が可愛くない。
兄妹のような二人の会話を聞き流しながら後ろを見ていたが、どれだけ走っても後ろから追っ手は来なかった。
会話は徐々に減り、海の上にせり出した崖の上のホテルが小さく見え始めると、後ろの目野が拗ねたようなため息を吐いてじっと身を固くする気配がした。
戸頭間は仕方なさそうに笑う。
「鳴さんに失礼な態度取らないでね」
「……うるさい」
「兄さんがいるから、やめといたほうがいいよ?」
「……うっそ」
「本当本当。兄さんがいる前で鳴さんに悪態ついたらどうなるかは、僕が言わなくてもわかるでしょ」
目野が黙り込む。
「まあ何事もなく戻ってこれてよかったじゃない」
男を殺したことは言うな。
そう忠告する戸頭間に、目野は「わかってるよ」とだけ返して、黙り込んだ。
彼女の複雑な心境は、彼女にしかわからない。
彼女も誰かに理解してほしいなど思っていない。
丹羽はふと思う。
目野は似ている。
愛を乞う為に、必要な手段を泥臭く取る。
貪欲なまでに愛を求め、その渇望に自らも溺れそうになる。
引き上げる者がいなければ、波に揉まれて溺れて息ができなくなるだろう。
しかし、息ができないことにも気付けない。
間違っていないのだから、溺れているわけがない、と自分に言い聞かせているのだ。
犀はそういう人だった。
父の愛が、景の愛が、自分にだけ注がれるべきだと叫ぶ男だった。
幼い丹羽に嫉妬する哀れな男が、歯を食いしばって自分を見下ろしている。
彼の神経質そうな顔は、真っ青だ。




