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絶望とダンスして 悪魔の腹の上で笑う  作者: 藤谷とう
──哀れなバロック・クイーン──
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#22




 自分のことを知っているつもりでも、実際は何にも知らない。

 鏡を見たって、そこに映るのは自分の幻影だ。






        #22





「あんたにはわからない」



 走り出した車の中で、目野は再び言った。

 走り抜ける山の景色が緑の海のように流れていく。


「それ、何の話?」


 付き合ってやるらしい戸頭間は、安定した運転をしながら呆れたように返事をする。

 丹羽は黙ってベビーカステラを摘んだ。

 甘い。


「……私とあんたの話」

「ふうん。何が?」

「あんたは恵まれて生きてきた。私はそうじゃない。だからわからないわよ」

「母さんに執着する理由?」


 目野は戸頭間に反発しながら遠回しに攻撃しているというのに、戸頭間は的確に返している。

 目野は鼻で笑った。


「普通に生きることがどれだけ恵まれたことか、あんた知らない」

「普通の定義によるね」

「……スタートラインが違うのよ」


 目野が呟く。

 その声は、どこか乾いていた。



「私とあんたのスタートラインが離れすぎてて、絶対にわかんない。私が必死に走ってきた道の先からあんたはスタートして、私は息も絶え絶えになりながらどうにか走ってるのに、あんたは車に乗ってる。私がどうやって走ってきたのか、どれだけ転んでぼろぼろなのか、あの道を知らないあんたは絶対にわかるわけがない。ああ、コースが酷かったんでしょ? って言うくらい。実際に走ってないやつになんか、この絶望はわからない」



 スタートライン。

 その言葉は、丹羽の中にくっきりと浮かんだ。

 そういうのなら、春賀とも違った。

 捨て子であった自分と、家族に愛された彼女。

 それでも、景と紫が引き上げてくれたからどうにか生きてこれたのだ。もしもあのままだったら──そう思っただけで、吐き気が込み上がる。



「こっちは満身創痍で走ってるのに、たかが膝に擦り傷一つ作っただけのやつが喚いているのを見ると殺したくなる。知ったかぶりするやつを見ると殺したくなる。救ってやろうって顔をして話を聞いてくるやつを見ると、殺したくなる。そいつらを殺したいけど、同じくらいいつも自分を終わらせたい。自分の道の先に、幸せがあるなんて思えない。選択肢なんてない。そういう気持ち、恵まれてきたあんたにはわからないでしょ? ハルカ様が与えてくれるの安心感が──どれほど奇跡に感じるか」


 目野の声が、どこかうっとりと甘くなる。


「ハルカ様といるときは、走ることをやめられるの」

「なんで?」


 無垢な疑問に、目野が母親のように笑う。


「絶対的な従属は、頭を空っぽにできるからじゃない?」

「母さんって怖いもんねー」

「あんたを見てるといつも羨ましかった。スタートラインが違うだけで、こんなにも人生が違うなんて、びっくりするわ。私は向こうで罪を犯してこっちへ来た。自分の狂気が抑えられなくて、行動に移した。ここにいる侵入者は全員そう。でも、あんたは違う」

「兄さんもね」

「……そ、あんたたち兄弟だけが違う。羨ましくて妬ましい。みんなそうよ」


 目野の声が落ち着いていく。

 彼女の恨みつらみが、戸頭間にぶつけて砕けたのかもしれない。もしくは、不遇の叫びは無駄だと悟ったのだろう。


 ああ、何を言ってもやっぱりわからない奴には、わからない。

 諦めを知らなければ生きてこれなかった絶望は、わからない。


 丹羽はそれにそっと触れ、そして見なかったことにした。



「あの男は? 目野に安堵をくれなかったの?」


 戸頭間の無粋な質問に、目野は声を上げて笑った。


「ふ! あんたって……本当に最悪ね。最悪すぎて、なんかもう愛おしいかも」

「僕が寄り添ってもどうにもならないでしょ」


 その一言に、目野が口を閉ざした。

 彼女の中に、何かが広がったのを知る。

 それはほんの少しの救いのような、肯定のような何かだろう。少なくても、彼女の「もういいや」というような緊張の弛緩を、丹羽は確かに感じた。


「……彼、馬鹿みたいな人だった」


 ぽつりと言う声は、どこか掠れている。


「私が侵入者だって知ったときも、そうなんだね、って。結婚できるんだよね? って聞いてきて、なんて馬鹿な人なんだろうって思った。私は、ただ」

「母さんのために適当な男を見繕っただけなのに?」

「……そうねえ」


 目野はゆるく肯定した。

 子供のような声で続ける。


「あの人、私を愛してくれてた。なんでかな。なんで私についてきてくれたのかな。逃げるしかなくなったって言ったら、逃げると思ってた。なのに一緒に逃げるって……絶対に逃げ切るって。愛してるから、だって」

「……」

「私も愛してるって言った」

「愛してなんてなかったのに?」


 戸頭間の声に、彼女がため息を吐く。

 それはわずかに震えていた。

 目野は湿った声で笑う。


「そうだね……愛してなんか、なかったね」


 

 丹羽は、目野と戸頭間の付き合いの長さを知った。

 愛していたことを受け止めるには、今の彼女にとって過酷だろう。丹羽は黙って緑の海を眺める。


 目野が泣き止むまで「哀れなバロック・クイーン」は流れ続けていた。









 丹羽はそっと目を閉じる。

 エトウの車が爆発する前──証拠隠滅のために戸頭間が火力MAXで男の死体を処理し、丹羽がホテルの敷地内から出ようとハンドルを切り──後ろからアクセルを踏み込んだエトウの車が突っ込んでくる、その刹那。


 丹羽は確かに見た。

 顔を血で真っ赤にしたエトウが醜い形相でハンドルを掴み、目を見開いて追突しようとしている顔と──白い箱を。



 ふわりと上から飛んできた小さなそれには、赤いリボンがかけられ、クリスマスツリーのオーナメントのように紐がついていた。

 





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