#8
人の立ち姿は、その者の内面を映している。
そう聞いたことがある。
ならば、この青年を見たときに感じる、奇妙な感動は何なのだろうか。
#8
「なあに、皆さん。どうしたの」
戸頭間は薄く笑いながら悠々と入ってきた。
バーの中が一瞬だけ静まり、立ち上がっていた紳士どもがドアの向こうを見た。入口を守る警備員の肩の向こうからは、どう見てもガラの悪い男が五人ほど肩を怒らせてこちらへ向かって来ている。
「……よく入ってこれたもんだ」
丹羽の言葉に、戸頭間が気づいたように目を丸々と開く。
「ちょっと、丹羽さん、なんでそんなだらしなく着ちゃうのかな? 僕が一式揃えたでしょ……って、靴。うわー、靴! 一番時間かけて選んだのに!」
「俺にはこれで十分よ」
「いやいや、待って。僕が許せない。っていうか武家山さんがその格好で部屋から出すわけないのにどうやって出たの?」
「……戸頭間くん」
「せっかく選んだのになー」
「……戸頭間くん」
「リベンジさせて。選んでくるから」
「戸頭間くん」
わざと遊んでいるのはわかっているので強めに呼べば、彼はにんまりと笑った。
「通すように言ってるから、入って来れるよ。大丈夫。フロントの人も、誰も、怪我はしてない」
「……アレ、鬼不田の若様だったそうじゃないか」
「らしいねー。馬鹿だね」
バン、とけたたましい音を立ててドアが開く。警備員が倒されたのかと思いきや、どうやら銃を突きつけられて仕方なく通したように見せているらしかった。警備員は鋭い殺気をはらんだまま、ズカズカと入ってくる輩共の後頭部を睨んでいる。
丹羽はくるりとイスを回してカウンターに肘をつき、酒を飲むことにした。
入ってきた彼らはそれらしい下品な言葉で戸頭間に迫っていたが、やはり何を言っているのかわからない奇妙な言葉を使う。
どこかで聞いたことがあるな、と思い、砂浜の三人を思い出した。
あいつらのほうがよっぽどヤクザの関係者に見えるが、蹴られていたほうがそうだったとは。
丹羽は同じ過ちを繰り返さぬよう、笑わないように酒をあおる。
「――悪いけど」
しばらく怒声を受け止めていた戸頭間は、彼らの連携が崩れたわずかな隙にあっけらかんとした声で割って入った。
「君たちの、その──若? を殺したのは僕じゃないんだよね」
軽く返した戸頭間の言葉の端々に、彼らを馬鹿にしているのがわかる。
丹羽の口元が緩む。
「本当。僕じゃなくて、連れていた女だよ」
丹羽の聞き違いでなければ、お前何言っとんじゃコラァ、みたいなことを言っているが、なんせ滑舌が悪い。呻くような威嚇音の大合唱が始まりそうになったところで、そこに新しい声が割って入った。
「──すんませんね、こいつら頭わるうて」
丹羽は声のする方をちらりと見る。
真っ黒いスーツに、黒いネクタイ。細身だが、骨格が綺麗な男だった。
「……はじめまして。鬼不田の親父の代理できました、舟正言います。おたく、戸頭間さんでええねんな?」
「わ。良いスーツだねー」
戸頭間が舟正と名乗った男のスーツを褒めると、首元に傷のある男は笑っていない目をさらに細めた。
「褒めていただきありがとう。坊っちゃんもええスーツ着てはるなあ」
「わかる人だねえ、お兄さん」
「お高そうやわ。手が出せへん」
「紹介しようか?」
「あかんよ。ヤクザと付きおうたら潰れてしまうわ」
「それは残念」
戸頭間がにこりと笑ったのが見えた。
どうやら相手をするらしい。
「もう一度言うね。僕はお兄さんのところの宝物を殺してはいないよ。やったのは女」
「……不自然なほど、情報が出てこうへんのよ」
戸頭間の兄が手を回しているのがきちんと機能しているらしい。
丹羽は数河に視線でおかわりを頼む。
まだ隣りに座る鳴が、呆れたように丹羽を見た。
「じゃあ、どうして僕を尾行できたのかな」
「……」
「帰ってくれる? あなたは、僕達が何か知ってるんでしょう?」
「ええ、存じてます」
「じゃあ帰って。出口はあちらだよ」
「だからこいつらがおるんよ、坊っちゃん」
舟正が安っぽいチンピラを示す。
本人たちは出番をもらえて大層嬉しそうだが、舟正の顔はどう見ても信頼する部下に指示をしている顔ではない。
むしろ、生贄を差し出す悪魔の顔だ。
「──怖い怖い。本当、人って、怖いねえ」
戸頭間の声がひやりと冷える。
瞬間、鳴がひらりとカウンターを飛び越えた。人魚の尾びれが丹羽の視線を連れて行く。数河は彼女の身体を海から引き上げるかのように抱きとめて──カウンターの中に隠したと同時に、丹羽の前を何かが掠め、ガシャンと音が頭上で響いた。
見上げれば、テレビの画面が割れている。
銃痕だ。
丹羽はグラスを揺らす。
戸頭間に襲いかかっていた五人が相次いで発砲しているが、サイレンサーを付けているおかげでうるさくはない。
うるさいのは物音だ。
目の前ではカウンターの酒が次々に割れているし、観葉植物は揺れて、新聞はあちこちに羽ばたいているし、ビジネスバッグも宙を飛んでいた。丹羽の後頭部あたりを、万年筆が飛んでいく。
ふと、演奏みたいだな、と思った。
ドラム、ドラム、シンバル、割って入るギターに、足元を掬うようなベース。
「あ。僕のお酒飲んでる」
飛んでいるものの間を縫って、戸頭間が丹羽の耳元で大声で話しかけてきた。
「僕を連れて帰りたいんだってさ」
「あ、そう」
「ケジメ? ってやつだって」
「ほお」
「助けてくれないの?」
そんなことを期待してなどいない戸頭間をちらりと見れば、彼は人懐っこく笑った。
「殺さないくらいにやりゃいいんじゃねえの」
「ごめん、僕できないの。そういう協定だから」
協定。
だとすれば、戸頭間は随分大物らしい。
守られているはずだ。ボックス席にいた紳士どもが物を飛ばしながら巧妙に銃の軌道を逸らしている様子を見ていると、戸頭間は楽しそうに彼らの使う力を丹羽に教えてくれたのだった。