#21
〝踊る君は悲しそうで
哀れな人魚のようだった
誰もが君を手にしたがるが
君は誰も手にしたがらない
胸に埋め込まれた歪な真珠が取れないまま
裸足で踊る 哀れな人魚〟
#21
それは、一瞬の出来事だった。
証拠隠滅のために戸頭間が火力MAXで男の死体を処理し、丹羽がホテルの敷地内から出ようとハンドルを切り──後ろからアクセルを踏み込んだエトウの車が突っ込んでくる、その四秒前。
丹羽は確かに見た。
顔を血で真っ赤にしたエトウが醜い形相でハンドルを掴み、目を見開いて追突しようとしている顔を。
しかし、次の瞬間、その車は突然爆発したのだ。
ドン、と爆風が車を僅かに揺らす。
「!」
丹羽はアクセルを踏み込み、駐車場から滑り出た。
バックミラーには、燃えるクルマのスライドドアから現金が吹き出しているのが映っている。
「なんなの、あれ」
戸頭間が唖然と言う中、丹羽は高速道路への案内板を探し、ハンドルを切る。
そこから高速道路に乗り込むまでに、何度か爆発音を聞いた。
それも後ろから。
追いつかれる。
そう思ったが、しかし丹羽たちは何事もなく脱出できたのだった。
◯
「ここまでくれば、とりあえず大丈夫でしょ」
戸頭間が伸びをする。
臨時首都から離れて二時間。
午後に差し掛かった間抜けな日差しが、車を包む。
ガソリンスタンドを併設したサービスエリアに寄り、キーを戸頭間に返した丹羽は、ホッとしたように車から出た。
後部座席にはぐにゃりと身体を丸めた目野。生きている気配はないが、霧散していないのだから、死んではいないのだろう。
「さー、休憩しようっと」
「彼女は大丈夫なのか」
「さあね。僕らの追手の方が来て、目野を殺しちゃうかもね」
「……待っておく。好きに休憩してこい」
「ああ、そう?」
一言も言わずに命令を出した戸頭間は「ありがと、よろしくー」と車から離れていった。
丹羽は助手席に回り、乗り込む。
車内には湿った沈黙があるが、丹羽は気にせず助手席でぼんやりとフロントガラスの向こうを見た。
昼のサービスエリアの賑わい方は健全で、親子連れも多い。
ああ、休日だったのだ、とようやく気づく。
今日が何日で、何曜日で、あれから何年経ったのか。そんなことだってもう気にしなくなっていた。
丹羽にとっては、ハルカが去って海野が死んでから、現実感のない日常でしかない。
ふと、御田の目が戻って来た。
──ハルカさんはあなたが一緒に立ち上がってくれると信じて疑わなかった。それが、まさかの無関心とは──彼女の落胆と悲しみはそれはそれは深いものでした
ハルカはなぜ自分が侵入者をまとめる椅子に座ると思ったのだろう。
丹羽は自問する。
そんな器じゃない。
そんな野心もない。
そんな気力もない。
それでも、ハルカは「ああ、そうしよう」と自分が言うと思っていたのだろうか。
あんなにも自分を知っていた女が、裏切られた、と思うのだろうか。他の男を選ぶほどに。
「……」
奇妙な感じがした。
こちらに来るときに、全て忘れた自分。もしかすると、ハルカが知っている自分というやつは、使命感に燃えて立ち上がる男だったのかもしれない。
景と紫の復讐を果たしたときのように苛烈に。
だが、思い出した今も、そうしようとは思えないのはなぜだろう。
丹羽は自分の掌を見た。
思い出した。
確かに、思い出している。
景と紫は殺された。不運な事故だった──と言われたが、実際は違った。
帰ってきた遺留品は、どれも綺麗なままだったのだ。
それが「反逆者への警告」であることは一目瞭然だったが、送りつけてきた馬鹿者たちは、養子である自分が復讐に走るとは思わなかったのだろう。
それも、妻も従えて。
家族を殺された自分の怒りを、手に取るように思い出す。
それを撫でつけながら、丹羽はようやく理解した。
春賀は家族である自分とともにどこまでも行ってくれるはずだ、と信じたのだ。
けれど突き放した。
お前は家族じゃない、と。
どれほど残酷なことだったろう。
彼女に酷いことをしたのだ、と丹羽は初めて自分の愚かさを知った。
ただ、何もしたくなかった。
侵入者をまとめ上げる必要性も感じなかった。
突如大勢で来た侵入者が人をどうしようが、海野の家が守れればどうでも良い。それが本音だった。
海野の家から離れたくなかった。
春賀は違ったのだ。
海野の家で人に触れ、愛情深い彼女は共存の道を目指すべきだと、そう思ったのだろう。
その彼女の愛情を無下にした。
記憶の中の御田が笑う。
──あなたがハルカさんと戸頭間さんの子に振り回されてるなんて面白いじゃないですか
丹羽は頭の中で答える。
ああ、確かに面白いな。
「ただいま」
戸頭間が運転席に乗り込む音で、丹羽は目を開けた。
「……なんだそれは」
「え? お土産」
と、戸頭間が丹羽に差し出したのはベビーカステラの入った紙袋だ。甘い香りが漂ってくる。
「? いらない?」
「……もらう」
「車が散らからない腹の足しとして完璧でしょ。はい、飲み物も」
予想通りおしるこの缶を渡され、丹羽は嫌味とともにそれをありがたく受け取った。
「で、目野──いつまでそうしてるつもり? 起きなよ」
戸頭間はもう一つの袋を後ろへ投げた。
彼女の分の「腹の足し」なのだろう。
目野はやや起き上がると、真っ青な顔で髪の隙間から戸頭間を睨んだ。
「いらない」
「あっそ。じゃあそこ置いといて」
「……あんたにはわかんない」
恨み言のような呟きに、戸頭間は鼻で笑って返した。
「何が? 自分で男を殺したこと? あれで合ってたじゃない。あいつらは絶対約束なんて守らない。目野も男も、死ぬ手前まで使い尽くされてから、酷い方法でやられるよ。あの場で苦痛なく死んだほうが遥かに幸せだ。僕だってそうする──協定がなければね」
戸頭間の声に怒りが乗る。
「なんでこっちがするまで待てなかったの。母さんが協定を破ることは絶対許さないってわかってるでしょ?」
「私も死ぬつもりだった」
目野が呟いた。
「あの人と一緒にあそこで死ぬつもりだったのに……邪魔しないでよ!」
「じゃあここで死ねばいい」
戸頭間が言い放つと、彼女はピタリと止まった。
「僕にはわかる。お前は死なないよ。僕が母さんに嘘をついてでも連れて帰るってわかってるから、絶対に死なない。違う?」
高速道路の独特な走行音の中、目野はじっと窓の外を泣き腫らした目で睨んでいる。




