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絶望とダンスして 悪魔の腹の上で笑う  作者: 藤谷とう
──哀れなバロック・クイーン──
77/120

#19



 失うのが自分の身だけであれば、何でもできる。

 枷のない身体は宙を舞えるし、手はどこまでも伸びるし、足はステップを踏める。


 誰もいない中で踊る間抜けさだけは、どうにもならないが。

 


 

        #19




 目野は落ち着いたようにベッドに腰掛けた。男も隣に座り、二人は子供のように自然に肩を寄せる。


「で、脱出計画は」


 スーツを着込んだ戸頭間に丹羽が聞けば、ネクタイを最後に締めていた戸頭間がにっこりと笑った。


「ダッシュで脱出」

「……何を言ってるんだ」

「ちょっとー、渾身のギャグなんだけど?」

「……」


 この場に、せめて誰かいれば。

 そんな考えが過ぎるが、武家山がいれば呆れ、数河は困ったように笑い、狐刀は褒めて、舟正は対抗するが如く適当なギャグをかますだろう。夜津は三人同時に「ダッシュで脱出」と繰り返しそうだ。

 つまるところ、今の方がマシかも知れない。


「走って逃げるつもりか……」

「真に受けちゃうの?」


 まともに返したはずの丹羽を、戸頭間がケラケラと笑う。


「素直だねー。まずは母さんからの送金を待つ。それから、滞在費を払う。もちろん、二人を買った分も払う、ついでに目野たちが向こうに与えた損害も保証する。そして出ていく。それだけだよ」

「まとも過ぎて怖いんだが」

「やだなあ、紳士たるもの金を踏み倒したりしないよ。お兄さんの顔に泥は塗れないでしょ。使えなくなったら困るもの」


 舟正が返し続ける「借り」には、それだけの価値があるという戸頭間は、目を細めた。

 

「支配するのに必要なのは、愛と恐怖と、罪悪感。それを使うために、金は使うのさ」


 目野が憎しみのこもった目で戸頭間を見る。

 今彼が目野に使っているもの。

 愛と恐怖と、罪悪感。

 

「……で、それで帰してくれると思うのか」

「いんや。100%無理だろうね」

「だな」

「あのエトウさん? 相当侵入者が憎いんでしょ。お兄さんが狐刀さんを使ってるのも知らないと見た。だから、彼らからの援助は受けられない。その上で、払うべきものは払うってこと」

「……可哀想にな」

「誰が?」

「舟正が」


 丹羽が言うと、戸頭間は丹羽のスーツのジャケットを投げて寄越した。


「そ? あの人、あれでいて自分に屈しない相手を求めてるところあるでしょう。さながら僕は生意気な弟さ。それよりも──そっちの虎の威のほうが効果あったんじゃない?」


 丹羽はジャケットを羽織って無視をする。

 戸頭間は、丹羽と鬼不田の組長である新正との関係を訪ねてこない。ハルカのことも、ハルカとともに使った力のことも。

 それが戸頭間なりの「罪悪感を煽っている」方法ならば、的確だ。

 丹羽は感心したようにため息を吐いてまとめる。


「つまり……金はたんまり払って、逃げる、と」

「そうだね」

「……」

「なあに?」

「だからどうやって……」


 それはね、と戸頭間は人さし指を立てた。


「ダッシュで、だよ」

「嘘だろ……」


 何真に受けてんの、と笑っておいて、本当に走って逃げるつもりなのだ。


「本当本当。使うのは足と車。死に物狂いで車へ向かって、素知らぬ顔して高速に乗り込む。そしたらあとは帰るだけ、だね」

「……できるのか」

「馬鹿だね。できるかどうかじゃない。やるんだよ」


 横暴だ。

 それでも、謎の自信に満ちた戸頭間の言葉を、誰一人として否定しなかった。





        ◯




 送金時間の十時。

 戸頭間は一人で部屋を出ていって、十分後に戻ってきた。

 アタッシュケースを手にして、支配人に「残りの分ね」と胸ポケットに現金をねじり込み、そして車の鍵を受け取る。


「一つ目クリア」



 疲れ切った男女が、睨むように戸頭間を見ている。朝食もなしのまま、彼らはこれから死ぬ気で逃げなければならない。丹羽は哀れに思った。それでも肩を寄せて離れられない二人を。


 戸頭間は車のキーを揺らす。


「裏口に車回してくれるって。非常階段から降りるよ」

「……階段」


 丹羽が繰り返せば、戸頭間も「階段」とにっこりと繰り返す。


「さあ行こうか」

「……今からかよ……」

「当たり前でしょう。今頃支配人は義理立てしてイノセントに連絡してるって。ほらほら、行くよ」


 のんびりと言う戸頭間は、言うやいなや部屋の扉を開けた。

 目野が勢いよく立ち上がり、男の腕を引っ張るように足早に戸頭間の後ろへついてく。

 丹羽は部屋を見渡し、男の後ろをついて歩く。



 無人の廊下の行き当たりの非常階段のドアを開け、ギッと鈍い金属音を伴って薄暗い灰色の空間へ一歩踏み出す。

 四人分の足音が下へ下へと絶え間なくバラバラに響いていく。

 ひたすら無秩序な音を聞いていると、思考が砕かれていくような気がする。


 先頭を歩く戸頭間は楽しそうではあるが、その手にはアタッシュケースがしっかりと握られていた。

 いつもならば必ず丹羽に持たせるが、そうしない理由は一つ。

 警戒しているのだ。

 ここに(ヒト)を葬れるのは丹羽しかいない。その両手が生命線だ。

 

 丹羽は軽く手を握る。

 

 戸頭間の後ろを強張ったようについて行く目野。

 目野が決して腕を離さない、名も知らぬ男。


 こいつらは何をしたかったのだろう。

 

 靴音が笑っているような気がした。

 床から壁に跳ね、壁から天井に跳ね、そして頭に降り注ぐ。丹羽の頭の中でその音が徐々に別のものに変換されていった。


 戸頭間の叩くドラムの音。

 

 

 振り上げるドラムスティック。

 スネア、フロアタム、振り下ろされる破裂音。

 シンバルの余韻。


 死神とブルース、ミッシング・ジャズ、不機嫌なバラード、インフィニット・ワルツ──戸頭間が演奏した覚えのない、ブルー・レクイエム・ブルー。



 最後に響いたバスドラムが、外への扉を開ける音と重なった。


 明るい光が差し込む。




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