#13
懐かしいという感情は痛みだ。
それは自傷と同じで、ただただ自分を痛めつける。
相手が懐かしさに顔を綻ばせれば綻ばせるほど、鋭く、深く、記憶から血が流れ始める。
それが自分を埋め尽くす。
口から溢れ出るまで。
#13
「ねえ。それ、僕のなんだけど」
有無を言わせぬ男たちの間に、戸頭間が無邪気に割って入った。
彼の怒りを知る丹羽は、適当になだめる。
「……そっちはそっちで、用事を済ませてこい」
「えー? 本当に? 大丈夫?」
と、周りを見ながら間延びした声でいう戸頭間は、にっこりと笑ってエトウを見た。
「ねえ。本当に大丈夫?」
「貴方のお連れ様に、乱暴はいたしません」
「ああ。よかった。この人──母の愛人なんだよね」
丹羽は辟易した。驚くのを通り越して、呆れ果てる。
こんな暴論をどうやったら思いつくのだろう。
エトウは戸頭間の言わんとすることがわかったのか、男たちをちらりと見た。
「オーナーが呼んだのですか?」
低い声に、男たちが身じろいで「はい」と答える。
鋭かった眼光を笑みで隠して、エトウは戸頭間に向けてにっこりと笑った。
「少し、お話ししたいだけのようです」
「そうなの? じゃあ二十分で返してくれる? 嫉妬深い母さんに、僕の携帯から連絡入れないといけないんだよね。彼が」
「承知しました」
「じゃあいいよ。彼を二十分だけ貸してあげる。その間──エトウさんは、僕の相手をしてくれるんだよね? あ、もしかして忙しいかなあ?」
エトウはにっこりとした笑みを貼り付けたまま、戸頭間の望むように深々と頭を下げた。
「喜んでお付き合いさせていただきます」
「そう。ありがとう。嬉しいな」
頭を下げるエトウに向かって悠然と微笑む戸頭間を、周囲が気味悪そうに見ている。中には慄いた表情で、バカラのテーブルに置いてしまった自分の名刺をちらちらと見る者もいた。
丹羽は戸頭間の振る舞いを無駄にせぬように、先に動いて戸頭間を振り返る。
「……あまり周りに迷惑をかけんように」
「はあい。そっちもね」
「はいはい」
慌てたように黒服たちが先導を始める。
階段を降りながら、ふと戸頭間がエトウに写真を見せている様子を見上げてみたが──それは見えなかった。
目野。
目野──戸頭間の感情を波立たせる者。
ハルカが夫に隠れて身近に置いていた者。
せめてもの慈悲に、不特定多数に追わせるのではなく、息子を差し向けた。
ハルカの深い愛情にほかならない。
丹羽は周囲からジロジロと見られる中で、目野とやらの顔を思い浮かべようとしたが、全く想像できなかった。
ただ、なぜか戸頭間ミツルの顔が浮かんだ。
半年前に会った年老いた彼ではなく、海野の家にいた、やたら穏やかな顔で笑う若い男の顔だった。
◯
丹羽が通されたのはバックヤードで、薄暗い廊下を進んで階段を降り、さらにまた廊下を進んだ最奥の部屋だった。
そっけない地下空間にしては重々しい扉は、セキュリティも頑丈らしい。二人がかりで開けたそこは、広々とした豪勢な部屋が広がっていた。
バーカウンターにビリヤード台と、壁面に埋まるいくつもの液晶。その奥に、いかにも「金を保管してます」と言わんばかりの銀行のような扉がある。
液量画面にはカジノの全体が細やかに映されており、それをソファに座って見ている男は、振り返らないままゆっくりと手を上げた。
「──ご苦労。お前たちは下がれ」
黒服たちが丹羽を睨みつけるが、ソファに座った男はひらひらと手を振る。
顔を見合わせて、男たちは出ていった。
部屋に残されたのは、丹羽とオーナーと思しき男だけだ。
男が振り返る。
「お久しぶりです、丹羽さん」
「……そんなことだろうと思ったよ」
丹羽はため息を吐いて眼鏡を押し上げ、男の名前を呼んだ。
「御田」
「はい。丹羽さん」
新正より少し若い男──御田は、その年にしては若々しく、それにしては隙がなく笑った。
その昔、新正によく付き従っていた無邪気な少年が年を取って、こうもこの世界に身を染めたのだと思うと、年月の長さを感じずにはいられない。
「いくつになった?」
「六十になります。あなたはお変わりありませんね……見たときは驚きました。懐かしくなって呼び立ててしまって……申し訳ありません」
「いや」
「一杯いかがです?」
バーカウンターに向かう御田は、視線で「いらない」という丹羽に笑んで、自分の酒を注いだ。
「どのような用で?」
聞かれ、答える。
「人探しだ」
「それにしては目立ちすぎですよ。貴方がこの街で遊ぶのは危険だ。せめて親父のツテで来れば安全だっていうのに……なぜあんな危ない若造と二人で?」
「……その危ない若造は、ハルカの息子だよ」
どうやら何かを疑っていたらしい御田は、ハルカの名前を聞くと目を丸くした。
酒をカウンターに置き、笑い始める。
「ハルカさんの、息子と、あなたが?」
「……相変わらず笑い上戸だな」
「だって、ふう、そうですか……ははは!」
ああ、笑った、と言わんばかりに、御田が酒を煽った。
「それで……、元妻の子と誰を探しに?」
「目野、という奴らしい。今日ここに来て捕まったはずだ。今彼がエトウとやらに案内させているはずだが」
「そうですか。では、こっちですかね」
御田がスーツのポケットからリモコンを取り出し、一番大きい画面の映像を切り替えた。
灰色の映像は静止画かと思うほど動きがない。
牢屋のような場所に男と女が二人、身を寄せ合って座っている。
それは、五分経っても微動だにしなかった。




