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絶望とダンスして 悪魔の腹の上で笑う  作者: 藤谷とう
──ブルー・レクイエム・ブルー──
68/120

#10




 どうしても求めてしまう。

 夢に見るほど、あの安心感を忘れられない。


 無条件に受け入れられる大きな腕の中で、すべて許してほしかった。

 

 名前を、呼んでほしかった。

 



        #10




 通された部屋は最上階で、そらそうだろうな、と丹羽は高い天井を仰いだ。

 街を一望できる広々とした部屋の中には、いつか栄華を誇った美しさが年代物のように息を潜めている。


「では、失礼しま──」

「あ。待って、支配人」


 戸頭間は呼び止めると、丹羽にアタッシュケースを抱えるように目配せをし、中から札束を一つ取り出してみせた。

 やたらゆっくりとした動作で札束を半分に分ける。


「お兄さんからは、なんて?」

「……世話になっている坊っちゃんが泊まりに来るから、丁重に扱うようにと」

「ふうん。予約名は、ナナシ、かあ。面白いことするよね、あの人は本当にさあ。そう思わない?」


 そう言いながら、戸頭間は札束の半分を彼の胸ポケットにねじ込んだ。


「残りは、帰りね」


 そう微笑み、胸をぽんぽんと叩く。

 引きつった顔の男は、ぎこちなく頭を下げた。


「そうだ、この辺で安全に遊べるカジノはどこ?」

「……でしたら、イノセント、かと」

「ふうん。今から行くからさ、三十分後にタクシー用意しといてもらえる?」

「かしこまりました」

「よろしくね」


 支配人とやらが出ていくのを見守った戸頭間は、さてさて、と部屋を見渡した。


「うん。撤去済みらしいね」

「……舟正が部屋を取ったんならそうだろうな」

「馬鹿だね。だからこそ隠しカメラと盗聴器くらいつけて、脅したり揺さぶったりしなきゃだめじゃんねー」


 しないだろうな、と思う。

 させないだろう。あの舟正だ。


「まあとりあえず、名前を呼ぶようなミスはしないでよ?」

「そっちもな」

「失礼しちゃうな」


 戸頭間は伸びをする。

 と、ジャケットを脱ぎ、ソファにかけて腕をまくった。高そうな腕時計が出てくる。ネクタイも緩めると、引き抜いてシャツのボタンを一つ開けながら、ただ立ったままの丹羽を見た。


「そっちは……ジャケットだけでいっか。脱いでね」

「……なんで」

「間違いなく目野はここにいるからさあ、僕の身なりを遠くからでも見られたら、すぐわかるでしょ」


 戸頭間はバルコニーを見やると、ガラスの戸を開けて外に出た。


 丹羽は煙草を取り出して咥え、戸頭間の横に並ぶ。

 自分の煙草に火をつけてから、煙草一本と、彼の兄の遺品を戸頭間に手渡した。銀色のライターを見た戸頭間は、手の中で転がし、美しい所作で火をつける。

 紫煙が二つ、風に絡め取られて流れていく。


 さすが最上階と言うべきか、街が一望できた。

 欲望に脈打つイルミネーション。道路を走る車は、すべてホテルの冠をつけたタクシーだ。

 その中でひときわ大きな円形の建物に「INNOCENT」の文字が明滅する。

 二人してそれを何気なく見つめる。


「ねえ」

「……んー」

「向こうってどんなとこなの?」


 突然そう尋ねてきた横顔を、丹羽はちらりと見下ろした。

 純粋な疑問。

 ただの時間潰し。

 そんな質問だったが、丹羽は初めて「戸頭間カケル」という存在の奇妙さを認識した。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()──


「……ああ」

「なにその〝今気づいた〟って感じの反応は」

「今気づいた」

「僕、ちゃんと父さんと母さんの子なんだよねー。あ、兄さん達もね」

「……可能なのか」


 侵入者と(ヒト)の間に、子供。

 あんまりにも普通に存在するものだから、丹羽にはその疑問すらなかった。

 戸頭間がくすくすと笑う。


「僕が知る限り、他のペアには一人も叶わなかったらしいよ。だから母さんが神聖視されてるってわけ」

「ああ……」

「兄さんと鳴さんの結婚が普通に受け入れられたのも、そのせい」


 ライターを撫でてから、戸頭間が丹羽に返してきた。

 サトルから預かった、一度も会ったことのない戸頭間イツルの遺品。

 なぜこれを持っているのだろう、と今も思うが、持っていなければ落ち着かなくなっているのも事実だった。


「だから僕、ハーフなんだよね」


 笑うように言う。

 彼の父親が失踪して半年──その横顔に悲壮感は微塵もない。

 彼だけが父親を見送り、彼が出て行けと言ったのだが、それについてはどうも思っていないらしい。それでこそハルカの子だが。

 丹羽は「へえ、ハーフ」と適当に流した。


「……」


 ハーフとやらにしては、持っている力が半端ない気がする。


「だから僕は、丹羽さんの故郷を知らないんだよね。教えてくれない?」

「……別に、聞いて面白い話じゃねえよ」

「えー、いいじゃんか」

「お母さんに聞きなさい」

「ケチ」

「……別に、ここと変わらんよ」


 変わらない。

 まだ少し上品で、穏やかで、そう見せかけた虚構だった。

 次々凶暴化する者を彼らは丁寧に消していたが、それすらも「行儀が良くない」と誰かが言い出して、廃棄することになったのだ。海の上に立たせて、扉を開いて放り込む。

 あの時ハルカと殺した者たちは、それを見れなかったわけだが。


「そっか。変わらないんだ」


 戸頭間はつまらなそうに感想を口にした。


「そうね、変わらんね。変わらんから──それが許せなかったんだろうよ」


 特別である存在が、下等生物たちに追い越されそうになっている。

 それを許せるほど、彼らは寛容ではなかった。

 より特別へ。

 より崇高へ。


 より楽園へ。

 永遠の、楽園へ。





「──じゃあ、派手に負けにいこうか。間違っても、カジノで出された飲み物は飲まないでね」


 戸頭間の声にハッとする。

 下にタクシーが用意され、部屋の呼び出し音がなったのだ。

 丹羽は最後に思い切り肺に煙を満たした。

 ため息とともに吐き出す。


「……はあ」

「本当にね。さっさと帰りたいよね」


 部屋に戻った戸頭間は、灰皿にタバコをねじり潰すとアタッシュケースを持ち、丹羽に押し付けた。


「さ、行くよ」


 その声は、どこまでも楽しそうだ。





 

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