#9
欲望を湛えた眼差しは、とろりと溶けたように笑う。
彼らは頭に常に流れ続ける快楽をコントロールできずに、いつも微笑えんでいる。
溺れた幸福の中で、彼らは生きている。
では、自分はどうだろうか。
幸せか、と誰かが問うてくる。
答えられない。
#8
高速道路の出口の看板が、蛍光色のネオンで綺羅びやかに飾られている。
もとは緑の看板に白い生真面目な文字だったらしいが、スプレーで塗装され『Welcome to……』の文字が踊る。
そこを降りる車は物資を運ぶトラックのみ。
車線変更のウィンカーに、他の車がぎょっとしている様にすら見えた。
料金所を通過し、街へ降りるように滑り込む。
その昔は「安全な夢都市」となっていたはず街は、女の身体のように飾り立てられていた。
見栄のために建てられたような高層ビルも、豪華絢爛なホテルも、いつかはテレビ局だったらしい大きな建物も──今は下品な安いガラクタに成り下がっていた。建設途中の廃墟も覚束ない光を放っている。
夜通し眠らない快楽のための街。
ふと、道沿いの捨てられた高級車が目に入る。
ベコベコに凹まされ、『乗るなら女の上 〜500m先を左折〜』というプラカードが突き刺さっている。
下品な看板はいたるところにあるが、どうやら高速から乗り込む客は珍しいらしく、道沿いの建物に勝手に住み着いた浮浪者たちが窓から顔をのぞかせていた。
「これでも綺麗になった方らしいよ。金持ちが退去した直後は、本当にゴーストタウン。あの騒動で仕事を追われた浮浪者とヤク中と娼婦が道でウロウロしてたけどさ、今は物珍しいものを見たり遊びたい観光客を誘い込んでるだって。先に隣県に先に滞在して、タクシーで街に入るらしいよ」
「そりゃ綺麗にするわなあ」
品がないというのに道にゴミ一つ落ちていない。
ある種のテーマパークのように行き届いているし、路地の奥で奇妙な動きをする者を見ないふりをすれば、ただの電飾のやかましい歓楽街とそう変わらない。
どこも一本隣の路地は地獄だ。
戸頭間が車を止めたのは、重厚な作りのホテルだった。
その昔は、安心安全と娯楽を金に変えた場所だったのだろう。
内装は美しくやけに手がかかっており、これがまるごと他に移設されれば、間違いなく星付きリゾートになれるであろう施設だった。
ドアマンからベルボーイ、フロントもきっちりとした身だしなみをしている。
「──ご予約のお名前の方を書いていただけますか?」
美しい笑みをたたえた女性が小首を傾げながら、メモスタンドを押し出すようにして手で示した。
赤い口紅。人にしては抜け目ない目。
それに同じように笑みを渡した戸頭間が、黙ってメモスタンドを押し返す。
「支配人、呼んでくれる?」
お前じゃ話にならない、とばかりに手を振った戸頭間に、女は一瞬真顔になった。しかし、すぐに笑みを作って奥へ消えて行く。
数秒後、明らかに支配人という言葉にふさわしくない黒服の男が出てきて戸頭間を睨み下ろすように見た。
「お客様、お呼びで」
「どうも、谷さん。兄から〝弟が泊まる〟って、連絡なかった?」
「……どなたでしょうか?」
支配人が顔を引き攣らせる。
名前を言い当てられた気味の悪さに僅かに右肩を上げた。そのまま腰に手を回そうとしている。
「ああ……ごめんごめん、彼ならこっちだね──坊っちゃんが泊まる──そう言ったんじゃない?」
腰の銃を取りだろうとした男の動作がピタリと止まった。
丹羽は小さくため息を吐いた。
なるほど、〝お守り〟か。
戸頭間を坊っちゃんと呼ぶ人間なら、丹羽は一人だけ知っている。
というか一人しかないない。
「僕ね。権力を口にして人を言いなりにするような、悪趣味な男じゃないんだよね。察してくれると、助かるんだけど?」
戸頭間は目を離さない。
それどころか寛いだ表情で、ホテルのフロアの者がこちらを凝視しているのを楽しんでいた。
She side hotelとは違い、やはり品がない。客も、従業員も。
「それとも、遠藤さんはまだお兄さんから連絡もらってないのかな……おかしいな、あの人はすぐ動く人なんだけど……ごめん、確認してみるよ」
「! ナナシ様、でしたか。気づくのが遅れて申し訳ありません。ええ、ええ、伺っております!」
だからその携帯をしまえ。
そんな焦った顔を存分に楽しんでから、戸頭間は見せつけるようにそれを丹羽に渡してきた。
「持ってて?」
「……はいはい」
「──大変、大変失礼いたしました。ナナシ様方。舟正さまより、特別な部屋を取るよう仰せつかっております」
女の顔がさあっと変わる。
そして、丁寧に頭を下げてきた。
「どうも。そこまでしなくてもいいんだけど……本当にお兄さんは僕に甘いよね?」
「……そうだな」
「お気に入りなのは僕だけじゃないけど」
戸頭間はたっぷりと周囲に〝お守り〟の効果を撒き散らすと、満足したように「案内まだ?」と支配人に毒づいたのだった。




