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絶望とダンスして 悪魔の腹の上で笑う  作者: 藤谷とう
──ブルー・レクイエム・ブルー──
60/120

#2



 知らぬふりを続ければいい。

 見えぬふりを続ければいい。


 それで割れそうな心が守れるのであれば。

 それは限りなく美しい正義だ。





        #2




 いつの間にか息をするように守り始めたホテルのドレスコード。

 咎める者が誰もいない中で厳守した丹羽が下のバーへ向かうと、赤い人魚がいた。


 彼女にしては珍しく、一人掛けのソファにぼんやりと座っている。

 大きく取られた窓の向こうに広がる海をじっと見ている横顔は、無垢な少女そのものだ。美しい睫毛は微動だにしない。


 その窓は、丹羽が割って、サトルが名波他を飛ばして修理された窓だ。



(めい)さん」



 呼びかけると、ふと現実に戻ってきたように彼女の顔が上がる。


「……あら、一美(かずみ)さんはお留守番?」

「そうらしいな」

「仲間はずれね」


 彼女が長い睫毛を瞬かせる。美しい笑みだった。


「隣、いいかな」

「もちろんよ。飲み物はないけれど」

(数河)がいないと困るな」

「ふふ。本当に」


 鳴は何事もなかったかのように一美の方に身体を向けた。


「最近は()()()をしていないのね」

「誰もこっちに来ていないらしい」

「そうなの?」

「戸頭間くんは疑っているらしいが」

「あの若様がそう言うのなら、そうなんでしょうね……嫌なことが起きないといいわね」

「……そういや、あの人最近こっちに戻ってこないって?」

「ああ、貴志(きし)さん?」

「そうそう。金槌出す人」


 丹羽は適当な話を投げかけ、鳴もそれを受け入れる。

 頭も気力も使わない、言葉通り「適当」な心地の良い会話。


「そうね。どうやら恋人ができたとか」

「……ほお、真面目そうな顔してたけど」

「お兄様といい勝負よね」

「サトルなあ」


 彼は半年前の「侵入者一掃デー」の片づけを終え、昇進目前らしい。

 予言通り侵入者対策課は縮小されるらしいが、今はそれを残すように上と駆け引きをしている最中だと言う。


「貴志さんね、あれでいて情熱的な人なのよ。薔薇の花束をフロントにお願いしたから……でも、それを持って出ていったっきりなの」

「ほう」

「うまくいったのかしら」

「だとしたら戸頭間の家が知ってそうなもんだけどな。ところで相手は? (ヒト)?」

「さあ……それは言わなかったわね」


 言わなかったことが答えだろう。

 鳴は遠い目をして、いつかの自分を懐かしむように微笑んだ。


(ヒト)と侵入者、ね」

「茨の道だな」

「ふふ。愛はそれを飛び越えるのよ?」


 飛び越えた先が、地獄だとしても。

 そう鳴が歌うように言う。


「愛って本当に手に負えないわね」

「言えてるな」


 それに同意すると、鳴はくすくすと笑った。


 


 戸頭間ミツルが姿を消して半年。

 相変わらず誰も何も言わない。

 その頂点にハルカがいれば、誰も何も文句はないのだろう。

 同時に、どこかで「(ヒト)と侵入者はやはり相容れないのだ」というものがじわじわと足元に渦巻きつつあった。

 決定的な溝ができぬよう、皆ハルカのもとで紳士的に振る舞ってはいるが、しかし「(ヒト)との結婚」などという言葉に眉が顰めてしまう意識が出ていることも事実だ。


 丹羽は意図せずその旗を振ってしまったことに微妙な居心地悪さを感じている。


 好きにしてくれ。

 その結果も自分でどうにかしてくれ。


 それが本心だ。



「まあ……それでも、このホテルの方たちは貴志さんを見送ったけれどね」

「内輪揉めした可能性はありそうか」

「どうかしら。このホテルの外の者も、あの半年前の出来事を知っているから戸頭間家を裏切ることなんてできるわけがないけれどね……結束が強くなった一方で、必ず反発する馬鹿も居るでしょう? 貴志さんくらいだったら憂さ晴らしに襲われてもおかしくはないわね」


 シビアな鳴の見立ては、しかし冷静だった。

 ホテルに入れない侵入者もいるとかいないとか、丹羽にはその選定の細かいことはわからないが、ヒエラルキーが存在しているらしい。

 本来ならば、自分もこんなところにいるはずではなかったが。


「今日の呼び出しはそれかしら」

「さあな。帰ったら聞いてみるか」

「そうね。ねえ、一曲やらない?」


 珍しい鳴からの提案に、丹羽は立つことで誘いを受けた。鳴に手を差し出せば、にこりと笑みが返ってくる。


 丹羽の手を取る細く白い手。

 アイスピックを握っていた手。

 それを名波他の胸に突き立てた、手。


 華奢なそれは、ソファから立ち上がると丹羽の手を離れた。先を歩く赤い人魚の背中は、(ヒト)には見えぬほど美しい。



 ──鳴さんの苗字、知ってる?



 いつだったか、戸頭間がそう聞いてきた。

 丹羽は答えずにグラスを煽ったが、彼は聞かぬことは許さないとばかりに囁いた。



 ──名波他。



 それだけを言い、丹羽のグラスを取り上げた。


 数河が複雑そうな顔で、丹羽の視線から逃れ、ピアノを弾きながら歌う鳴の元へ向かう。

 彼女が歌っていた声が、脳の中でやんわりと広がって咲く。

 兄を殺した妹の声にしては、あまりにも優しい声。




「……何にする?」


 丹羽がウッドベースを引き寄せながら尋ねると、ピアノに手をおいた彼女は考える素振りのあと、目を伏せるように笑った。


「──ブルー・レイクエム・ブルー」

「ああ」

「私達にちょうどいいでしょう?」


 丹羽は短く笑って、そして弦に指をおいた。

 (はじ)く。


 ついてくるピアノのか細い旋律が、まるで下から支えるように迫ってくる。

 登る。上る。ただ静かに、螺旋の何かを。

 彼女が連れて行く。あくまでもゆったりとしたスローテンポで、ぽぉんと響く繊細な音色が、彼女の呻きのように無人のバーに届く。

 ふと、彼女が息を吸い込んだ。




  〝どこにいるの 遠くまで来た

   あなたの魂がどこにあるのか見えないの


   まだ会えないのなら

   このまま 歌うけど



   どこにいるの 浅瀬まで流れた

   あなたの骨を拾いたいのに見えないの


   どうしても言えないから

   このまま 歌うけど

  

   あなたが恋しい

   あなたが恋しい〟


 

 その歌声が誰を想っているのか、丹羽にはわからなかった。

 丹羽も、自分が誰を想っているのかわからなかった。


 それでも記憶の中の誰かが笑う。


 それは海野(うんの)で、(ゆかり)で、(けい)で、そして自分のような気がした。



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