#55
"朝が来ることを祈れ
嘘つき共の夜明けまで
死神はブルースを歌う
見てごらん
お前のすぐ後ろにいるだろう"
#55
大きな鎌を軽々と持ったハルカは、死神のように美しくそれを振るう。
横にスッと払い──戸頭間ミツルの首元へ。
数ミリのところでそれをピタリと止めた。
「さあ、話して」
その声には怒りも恨みもなく、ただ淡々と冷たく響く。
丹羽はいつか自分も同じように首元に突きつけられたことを思い出す。
彼女が、男と駆け落ちする直前だ。ハルカが部屋に入ってきた途端、手に死神の鎌を出して喉元に突きつけてたのだ。そうして言った。私を選んで、と。
丹羽は何も言わなかった。
ただ、じっとハルカを見上げていると、彼女は酷く落胆し──傷ついた顔でそれを手の中に戻し、黙って出て行った。三十五年前の話だ。
「……違うんだ」
男が声を震わせながら言う。
ハルカは寄り添う気はないらしく、ただ黙って首をこくんと傾げた。
さっさと言え、と。
「違う。何も知らなかった。彼らが、その、見知らぬ者、と名乗って動いていたとは」
「へえ、そう」
「ただ、可哀想で──あの二人が、子供のように無垢な二人が、何も知らないままここで生きていくなど」
「私に任せてくれなかったのはなぜ?」
ハルカのもっともな質問に、口を閉ざす。
鎌がゆっくりと手前に引かれ、後頭部にそっと刃が沿う。
その冷たさに鈍った思考が冴えたのか、男の目に諦めが浮かび上がった。観念したような目が、だらりと下を向く。
「……あの二人が、復讐をしてくれると」
「復讐?」
「イツルの復讐を」
今度はハルカが黙る。
子を亡くした親の悲しい連帯感に、丹羽は居心地悪そうに首をさすった。
男が続ける。
「あんな酷いことをしたのが誰かわかっているのに……イツルが人ではないというだけで罰せられないなど、許せるわけがない」
「……」
「許せなかった。ずっとだ。だが、こちらから人に手は出せない。そんなときに彼らが現れて、匿えば代わりに名波他を殺してくれると言った。それに縋らなければ、もう耐えられなかった──君たちとは、感情も……死というものの価値観も違うんだよ!」
ぴくりとハルカが反応する。
その微かな肩の強張りから彼がハルカの怒りのスイッチを押したことに丹羽は気づいたが、男は気づけなかったらしかった。
下を見たまま、堰を切ったように苦しげに呻く。
「ただ、家を用意してやっただけだ。そうしたら、勝手にあちらこちらへ動いて、新しい侵入者をまとめ始めた挙げ句──人とも関わり始めた。恐ろしいスピードで、どうしようもなかった。ある日突然、名波他がいなくなったみたいだからと探しに行くと言い出して、どうやったのか警察にまで」
呆然と溢れる言葉を紡ぐ哀れな男は床に話しかけ続ける。
「どうして──どうして、新正の子を。そんなことは頼んでいないのに」
「……」
「なぜあんなことに」
「なぜって、あの二人が〝戸頭間〟を潰すために動いていたからじゃないの。あなた、わかっているんじゃないの?」
「あ」
男が顔を上げる。
「あなたがそれを望んでいたことを、あの二人がきちんと受け取っただけよ」
「違う!」
「違わない。私をずっと疑ってた」
「君は黙っていただろう!! 彼が生きていたことを!!」
子供の駄々のように、男が必死に目を剥く。
「疚しかったからじゃないのか」
「いいえ、全く。あなたいつから知ってたの?」
「すぐだ。サトルが君に報告しているところを聞いた。ずっと、ずっと、気がかりだった」
「私のことを疑うからよ」
ハルカの冷たい声に、男ははもう反論できなかった。その目は恨めしげに変わり、じっとりとこちらを睨んでいる。
「何も知らなかった。名波他を殺すことも頼まなかった。彼らが勝手にやったんだ」
「勝手に……ね。一美、瀬世の証言を」
わざとらしく名前を呼んだハルカに、丹羽は従った。
「──自分を匿ってくれた男の絶望を少しだけ楽にしてやるのだ、と言っていたそうだ。好ましい男だと言い、そいつのお陰でここで生きて行けると、感謝している様子だったんだと」
「だそうよ」
「そいつの言葉を信じるのか」
嫉妬と殺意をむき出しにした老いた男に睨まれた丹羽は、ただ黙って見下ろす。
ハルカはくすくすと笑った。
「ええ。信じるわ。この人を知っているもの。あなたのことも信じていたのよ。ねえ、どうしてあの日、サトルは襲われたのかしら。あのタイミグで」
「!」
「一年前の話よ。私が、カケルに会いにあのホテルへ行くとあなたに伝えたけれど……そういえばそのあとにサトルは襲われたのよね?」
「……」
「あなた、あの二人になんて言ったの?」
丹羽の脳裏に、男が仄暗い目で電話を手にしている映像が勝手に流れる。
彼は言うのだ。絶望した声で、妻が隠れて元夫のいるあるホテルに会いに行った、と。
相手は答える。じゃあ、邪魔してあげるよ、と。
男はそれには何も言わないが、ただ黙って電話を切る。相手が何をするのかわかっているように。
「──サトルが襲われるなど思っていなかった」
電話を耳に当てた男が愕然としたように目を見開いている。
震える手で車の鍵を掴む。
「君から連絡が来て、彼らを止めなければと車を走らせてそっちに行ったんだ。だが」
冷や汗なのか、運転する男の額には汗が浮かんでいる。
「君はその男と一緒にいた。昔のように」
車から降りた男が、海岸を見ている。
その視線の先で、男女が海の上に立っていた。眩しい海は静止しており、悠然と輝いて二人を足元から祝福しているように男の目には映る。
男は潮風に吹かれて身体を揺らす。
天から降り注いだ光で彼らが消えていく光景を見つめるその目には、羨望と絶望と、自分が何をしでかしてきたのかを悟ったような諦めが浮かび、小さな雫となって落ちた。




