#39
必要のないものは棄て、善良なものだけを残す。
向こうは幸せで美しい世界になれたのだろか。
興味もなければ、関心もないが、言えることが一つだけある。
世の中から絶望はなくならない。
ここではない何処かへ行ったって、結局どこにでも悪魔はいるのだ。
#40
「さて、そちらはどうですか?」
狐刀に聞かれた丹羽は、サイレンサーのついたベレッタを戻した。
繁華街のこの路地に見覚えがあるような気がするが、余計なことは考えない。空に上る青い煙と道に落ちる服だけを見つめながら答えた。
「終わったよ」
「ではすぐ絢乃さんと合流しましょう。さあ、さあ」
「……夜津が来るから待て」
丹羽がズレた眼鏡を戻しながら言うと、狐刀は何も言わずにスラッと刀をこちらに向けた。
「待ってあげてもいいですよ。その間お前が相手をしますか?」
「しないわ」
「いえ、やりましょう。負けっぱなしなのはやはりちょっと苛つくので。それにお前、絢乃さんと同棲しているでしょう」
「言いがかりはやめてくれ」
と、丹羽が呆れながら呟いたところに、スッと刀が横に振られた。音もなく、ぬめりと動いたその刃紋が夜の中で妖しく光る。
「!」
「避けましたか」
「避けるだろ、普通」
「だいたいねえ、腹が立ってるんですよ。去年のあの海での出来事。こっちは部屋に閉じこもって大人しくしていなきゃならなかったんですよ? 相当活躍したんでしょうね、お前は。ハルカ様が、協定を結ばないことを認めるなど異例なのですから」
そう言いながも冷静な剣筋で丹羽を切り刻もうとしてくる狐刀のそれを、丹羽はひょいひょいと避けて狭い道を後ずさる。
「あのねえ、俺が協定を結ばなかったのは、結局一人は自由に動ける奴がいたほうがいいってなったからだろうよ。汚れ仕事は全部請け負う約束なんですけどね、こっちは」
丹羽は路地に散らかる服を一瞥した。
あれから一年。
ひたすら毎日街に繰り出しているのは、狩りをするためだ。
見知らぬ者が囲っていた侵入者を見つけ出して消していた過程で、あろうことか戸頭間家の協定の者の関わりまで出てきてしまったが、それが功を奏した。混迷を極める中、ハルカは丹羽の処遇をちゃっかりと着地させたのだ。それがこれだ。「協定を結んだはずの裏切り者を殲滅する」というありがたい役目を負っている。
「何を言っているんです。お前にはきちんと毎回相棒がつけられているでしょう」
「見張りの間違いだろ」
「ふふ。見張りじゃありませんよ。隙あらばお前を消すんですから」
「あー、怖い怖い」
丹羽はまっすぐ伸びてきた剣を、仕方なく出したライフルで横にいなした。
耳障りな金属音がして、互いに顔をしかめる。
そこに、待ちに待った四人がやって来た。
「──なにをしているのですか」
武家山の嫌悪を隠さない声に、狐刀の肩が乙女のように跳ねる。
「絢乃さん!」
「武家山さん、こいつをどうにかしてくれるか」
丹羽がげんなりしたように狐刀の刀を見れば、武家山は無表情のまま「刀を持ってない狐刀様が素敵だなー」と戸頭間のマネをするように口にする。
すぐさま刀を戻した狐刀は、恭しく淑女にするように礼をする。
「今日もお綺麗ですね」
「今朝聞きましたのでもう結構です」
「毎秒言いたいんです」
「キモっ」
本音が出た武家山は、狐刀を回収するようにすたすたと歩き始める。狙い通り、狐刀は引き寄せられるようについて行った。
「一美くん」
「お疲れ様。それ回収するから」
「車戻って」
順に喋る夜津兄弟は、どうしてか丹羽を「一美くん」とまるで友人のように親しく呼ぶ。最初こそ驚いて目を丸くしたが、慣れてしまった。
そういえば彼らとも二年ほどの付き合いになる。それでも顔がそっくり過ぎで誰がどれなのかはわからないが、些末なことなのだろう。彼らとて丹羽にそんなものは求めていないらしく、未だに名前も知らない。
「三兄弟、じゃあ後を頼むわ」
「あ」
「そうだ」
「車戻るなら、気を付けて」
三人が言う。
丹羽はひらりと手を振った。
わかっている。そろそろ限界なのだろう。
夜津兄弟が大きなトランクに衣服を回収する風のような音を聞きながら、丹羽は繁華街の駐車場に止まったどう見ても怪しい黒のワンボックスカーの窓を叩いた。
スラドドアが開き、サトルが「入れ」と言わんばかりに首を振る。
その中はどこぞのスパイ映画のように機器がみっちりと詰まっており、ヘッドホンを付けてモニターを見ているのが戸頭間だ。青く照らされる横顔が、凄まじく機嫌が悪い。
仕方なく、丹羽は端の席に楚ってサトルに話しかける。
「武家山さんと狐刀は?」
「待機の車に行ってもらった」
「へえ。そりゃ彼女は大変そうだ」
「いいや。喜んで別車待機に向かったぞ」
サトルが缶コーヒーを飲みながらちらりと弟の横顔を見る。
丹羽は納得したように息を漏らした。
どうやら殺気立った戸頭間といるくらいなら、狐刀の言動を無視する方がまだマシらしい。
車内は重い雰囲気を更に重く煮詰めたような、溺れる一歩手前になるほどの息苦しい沈黙だった。
平然としているのはサトルと丹羽だけが、ただ単に慣れただけだ。
──見知らぬ者が、警察の者だった。
その事実は「名波他が侵入者だった」という戸頭間の証言を補強した。警察の面子を潰さないようにその後の対応に最善を尽くしたサトルは、今や侵入者対策課の指揮を取る立場になっている。その勢いは凄まじく、裏切り者がいた戸頭間家の混乱と、警察の侵入者への不信感を同時に解決すべく、こうして戸頭間家の一派を駆り出して残党の殲滅をすべく精を出している。
「そろそろ限界じゃないのか」
丹羽が戸頭間を見てそう言うと、サトルは珍しく笑った。
「何を言っている丹羽一美。弟は兄のために生きてることを知らないのか」
なるほど、と丹羽は苦笑する。
この兄弟はそっくりだ、と。




