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絶望とダンスして 悪魔の腹の上で笑う  作者: 藤谷とう
──ロックダウンシティポップ──
116/120

#58


  〝どこにいるの 遠くまで来た 

   あなたの魂がどこにあるのか見えないの


   まだ会えないのなら

   このまま 歌うけど



   どこにいるの 浅瀬まで流れた

   あなたの骨を拾いたいのに見えないの


   どうしても言えないから

   このまま 歌うけど

  

   あなたが恋しい

   あなたが恋しい〟






        #58




 親が子を抱きしめるその姿は、神聖なものにすら見えた。

 丹羽は寛いだ格好で、それを見守る。


 自分の子から力を取り上げる紫の眼差しは慈愛に溢れていた。犀のすべてを許すかのようにその身体を抱きしめる。

 

 触れた相手の力を奪う紫のそれを、使い続けている。


 ハサミを出す力も、コピーを生成する力も、こちらと向こうを移動する力も、すべてが紫の中に流れている。


「あ」


 犀がガクガクと震え始めた。

 わかるのだ。本能で、奪われているのがわかる。空っぽになっていく自分への恐怖は、どれほどのものなのだろう。

 


 ──楽園をつくりましょう。



 街の大画面でそう優しげに宣言した犀の顔が思い出せない。

 腕に絡みついたハルカは「これ何?」と訝しい表情で見上げてきた。丹羽は答えられなかった。わからない。犀が何を言っているのか、わからない。丹羽の記憶の中にある、じっとりと睨んでくる不健康そうな神経質そうな男の影は微塵もない姿に、気味の悪さだけを感じていた。


 画面の中の犀は、繊細で穏やかで、それでいて慈しみに溢れ、どこか苦しみを乗り越えてきたような翳が彼の美しさを演出していた。



 ──善良で、崇高で、高潔。それが我々のあるべき姿です。あなたの真実の姿。さあ、高みを、目指しましょう。



 足を止める者たちが、一様に沸き立つのを感じた。

 異様な一体感。

 膨らむ熱気。

 置いてけぼりの丹羽とハルカだけが、突然異質になった。




「やめ……や、やめ」

「黙るんだ、犀。大丈夫だから」


 紫の言葉が届かないのか、犀はジタバタと子供のようにもがき始めた。

 その眼の前に、パッと景が現れる。

 

「兄、さん」

「──動くな」


 薙刀の穂を首元に突きつけた景が、じっと見守るように見下ろす。


「動くな」

「いやだいやだいやだ!!」

「犀」


 景が薙刀を斜め下へと動かす。破れる衣服。どろりと溶ける傷口。犀は信じられないように自分の胸を凝視する。


「!!」

「動くな。次は心臓を刺す」


 薙刀の先が心臓のある部分で止まると、犀は引きつった息を漏らして仰け反った。それを許さぬ紫が、後ろから強く抱きしめる。


「もう少しだ。我慢しなさい」


 犀の目が見開かれる。

 うわ言のように「いやだ」と言いながら涙を溢れさせたが、それでも紫はやめない。景も退かない。絶望に染まる顔は、最後に「ごめんなさい」と呟いた。


 初めて、紫が痛ましそうに眉を寄せる。

 脱力した子を支えながら、紫はそれを終えた。景が薙刀を手の中に戻す。

 

「一美」


 紫は悲痛な面持ちを目を伏せて閉じ込め、丹羽を穏やかに見た。あの日の画面に写っていた犀が、誰を真似ていたのかわかる。


「殺すべきなんだろうけど、これで許してくれるかい?」

「……できないと思ってたよ」

「うん」

「そもそも〝止める〟としか言ってなかったしな」

「ああ、バレてたか」


 紫はぐったりと海の上にしがみつく犀の背中をトントンと叩いた。景は呆れたようにその頭を軽く蹴る。


「お前、思春期長えよ」


 その昔と同じ温度に、犀の何かが刺激されたのだろう。ぐす、と静かに泣き出した。

 景がやれやれとばかりにそれを見下ろし、それから丹羽を見る。


「悪いな、一美。さっきのがこいつにとっちゃ一番のお仕置きだわ」

「……」

「ま、そうだよねー」


 無言で返した丹羽の代わりに、戸頭間が答える。


「僕も似たようなことしたからわかるよ。家族って、切っても切れないものね」

「はあ? 容赦ねえお前が慈悲の心持ってんのかよ」

「失礼だね、けーちゃん。君より僕の心はとおっても広いんだから」


 と言いながら、丹羽の肩を叩く。

 ほらね、これの世話をしてるんだよ? と言いたげな顔だ。


「っていうか、丹羽さんってけーちゃんに対して無言多くない?」

「こいつ照れてんの」

「えー、似合わなーい」


 勝手に昔話が始まりそうな気配に、丹羽はすっきりと片付いた海を見渡した。

 泥人形も、地平線の狂気も、もう全てがはじめから無かったかのように澄んでいる。振り返ると、ハルカがなんとも言えない顔で腰に手を当ててため息を吐いたのが見た。


 ──丹羽家の男は甘すぎる。


 そう言っている顔だった。

 気づいたらしい景も笑う。


「ありゃあ呆れられてんな」

「ん? 母さん?」

「……春が〝かあさん〟ねえ……」

「本当に慣れないね、けーちゃん」


 戸頭間はくすくすと笑うと、丹羽を見た。


「丹羽さんも、母さんのこと好きに呼んでいいのに」

「恐れ多いわ」

「ふうん?」


 気づいている。

 彼は、兄妹ではないことに気づいているが、決して聞いてこない。

 丹羽は意味ありげに見上げてくる戸頭間の視線を受けながら、手を差し出した。眼鏡が返ってくる。


「悪かったな」


 受け取りながら戸頭間に言えば、彼は「なんのこと?」と優しく笑った。

 

「……戸頭間くんの機嫌がいいと怖いんだが」

「久々に暴れられてスッキリしたなあ」

「ああ、そうですか」

「兄さんの機嫌だけは取らなきゃだけど」


 そう言いながら、先に歩き出す。

 気を使ってくれているらしい。母親と兄に手を振る無邪気な青年が、海の上を歩いていった。まるで万物に愛されているような、奇妙な感動を呼ぶ背中だ。


「お前、本当に春の息子に使われてんね」


 景が笑いを噛み殺して言うのを、丹羽はため息を吐きながら肯定した。


「……なんか知らんがそうなった」

「あれだろ。因果ってやつだろ」

「かもな」

「犀が悪かったな」

「いや」


 丹羽が言葉少なに答えると、景は目を細めて笑う。

 その目は慈しみと、それから懐かしさがあった。深い愛情のようなものが、確かにそこにある。


 父の、中に。






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