#56
いくつも通り過ぎた永遠を、このまま握りつぶして安寧を。
それもまた、あなたへの愛だ。
紛れもない、愛だ。
#56
鎖に繋がれていた獣が出ていくように、丹羽と戸頭間が海の上へ駆け出すのは同時で、ちらりと視線が合う。
「丹羽さん、後ろに殺されないように気をつけなよ?」
「本当にな……」
もがく泥人形は、海に固定されたままうねうねと奇妙に踊る。
「懐かしいね」
二度目だ。この海でもがくのは。
丹羽の無言に無邪気笑った戸頭間は、すっと頭を下げた。と、風の塊がその上を通り抜け抜け、固定された泥人形が弾ける。
景の一撃らしい。後ろを見れば、同じように駆けて来る景と紫が見えた。
犀の本体はゆらゆらと風に飛ばされるように──こちらに引き寄せられるようにぐんぐんと近づいてくる。降下してくるその顔はまだ見えない。
が、彼に呼応するように、泥人形たちの動きが妙に鋭くなった。
固定されたまま手からハサミを出し、投げつけてくる。
「うっわー、地味に嫌だね」
「戸頭間くん」
「わかってるよ」
言うやいなや、戸頭間は金属バットを出して打ち返し、目についたものからバットで頭部を殴りつけて飛ばしていく。
丹羽はベレッタを出して次々と頭を撃ち抜けば、視界が霞むほどに周囲は青い煙に立ち込めた。
打ち返されるハサミの耳障りな金属音も、銃声も、どしゃりと潰れる泥人形も──晴天の下では喜劇のように馬鹿馬鹿しい。
泥人形たちが突如意思を持ったように自分の足を切り離す。
ごとごとと海の上に倒れ、腕の力で這ってきた。
「え。気持ち悪いんだけど」
「同意するわ……」
「っていうかこれ何」
「今聞くのかよ」
戸頭間は這う奴らをバットで潰し、蹴って消していく。ここ二ヶ月で景に鍛えられたらしい足癖の悪さは、優雅であったが慈悲は無い。
丹羽は戸頭間が舞う隙間を銃で打ち抜き軌道を調整しながら援護していくが、集まってくる泥人形が一気に増えた。雪崩れるように丹羽と戸頭間に向かって集まってくる。
咄嗟に空を見たが、もう裂け目は閉じてある。
ふわふわと降ってくる犀が──その不健康な顔が──にんまりと笑ったのを、丹羽は確かに見た。
「退け」
「──頭、下げなさい」
景の声が聞こえた、と思った瞬間に、腕を引かれた。紫だ。丹羽と戸頭間の腕を掴んで引き寄せ、ぐっと身を低くする。
その上を、景の薙刀がザッと円を描くように通り過ぎていった。穏やかな紫の目が微笑む向こうで、泥人形が吹き飛ばされながら溶けていく。ついでと言わんばかりに、紫の手の中に小さな箱がわらわらと出てくると、景がそれを一瞥し、消した。遠くにばらまき、爆発する。
「ここは大人に任せなさい」
「馬鹿みたいに突っ込んでいくな。危なっかしい」
紫と景の説教を、戸頭間は優しく笑った。
あまりにも無垢な笑みに、景は訝しげに、紫は目を丸くする。そんな二人に向かって、戸頭間は言った。
「ああ、よかった。冷静になれた?」
「……」
「……」
景が薙刀を海面に突き立て、深いため息を吐けば、紫は肩を震わせて笑いはじめる。
丹羽は思い出す。二人を連れ帰るとなったときに戸頭間が言った言葉を。
──他人がいたほうがいいときってあるよ。僕は少なくともそうだったし。
目野のお詫びに手足になる、と言ったのは本気だったらしい。
家族に手をかけることがどれほど判断を鈍らせるのかわかっているのだ。
戸頭間は立ち上がると、にやりと笑ってしゃがんだままの丹羽を見下ろした。
「丹羽さんって、二人にそっくりだね。愛情深いっていうか──間抜け? っていうか?」
「戸頭間くん」
「ねえ、ちゃんと暴れてよ」
そう言って手を差し出され、丹羽は自分のぬるさを知った。
眼鏡を外し、その手に渡す。
戸頭間が満足そうに目を細める。
「景ちゃん。紫くん。最後は渡してあげるから待っててね」
それまでに覚悟を決めろ、と言い渡した戸頭間が先に歩いていくと、それに向かって、空から降る犀が風に煽られるように落ちてきた。
速度を上げ、ドッと硬質な海面に着地する。
泥色ではないが、自分を擦り減らした後の犀に生気はない。
「こんにちは」
戸頭間の声に、ぴくりと反応する。
「さっきね、あなたのコピーに妹をいたぶられたんだ。お返しさせてもらえるかな?」
「……お前がやったの」
「うん。一、瞬、で」
煽る戸頭間の後ろに、丹羽が控えれば、犀の顔が醜く歪んだ。
戸頭間は構わず続ける。
「あー。わかった。あれで制圧できると思ってたんだ? まあ、よくできてたけど……知性は感じなかったなあ」
「だまれ」
「ふふ。かーわいー」
可愛い。そう言われた犀の首の血管が浮かぶ。
「……お前、誰?」
「僕? 人の名前聞く前に自分が名乗るのがマナーでしょ。親の顔が見てみたいね。躾は大事だって教えてあげるのに」
「戸頭間くん、後ろにいるぞ」
丹羽が呟けば、戸頭間はひらひらと手を振った。
「違うよ。だってあの二人は丹羽さんの家族でしょ」
「!」
人を苛立たせる天才だ、と後ろで景が感心したように呟く声が聞こえた気がしたが、気の所為だったのかもしれない。犀が珍しく感情的に突っ込んできた。いつも、じっとりと立って睨むだけの男が、俊敏に動いたのだ。
すり減ったような細い身体にしては無駄のない動きは、景とどこか似ている。
戸頭間はぐっと重心を低くすると、犀が放ってきた拳を左腕で弾き、美しいフォームで頬に拳を叩き込んだ。ぐらりと犀の身体が揺れる。
「あれっ」
戸頭間が驚いたように目を丸くする。
「当たっちゃった。びっくりしたなあ。動きがけーちゃんに似てるかと思ったら、普通に弱いじゃない。もう、驚かせないでよ」
そう言って、金属バットを出す。
「僕、弱いものいじめは好きじゃないんだ。ちゃんとやってくれない?」
戸頭間が笑う。
絶対的な強者の顔は、犀の何かを刺激したらしかった。




