#55
踊り狂え。
足が悲鳴をあげるまで。
#55
砂に足が取られる。
重いその感覚は、沼に引きずり込まれるような奇妙な安堵があった。丹羽は波打ち際から上がってきた灰色の肌の犀を撃つ。
その隣で、小さな箱がふわりと海まで飛んで行く。爆発すると同時に、火がぶわりと上がって周囲を焼き尽くし──そこに風がごうっと吹き、わらわらと海から上がってこようとする犀をなぎ倒す。
「──俺は戻らなきゃならないんだが?」
サトルが離れた場所から言う。
戸頭間に叩き起こされた彼は、靴に砂が入るのが嫌だという理由で、砂浜に降りる階段から風を起こしていた。
それは突風のよう吹きに、ときに腹立たしそうに刃のようになり、泥人形のような際の身体を二つに割った。
丹羽は振り返る。
「……もう少しだけ付き合ってもらってもいいですかね」
返事をするように風が巻き起こる。
丹羽はもうサトルが何を扱おうが驚かない。驚けない。
後方支援といえば聞こえはいいが、その力は戸頭間が恐れるのもわかるほど鋭利で無駄がなかった。
サトルが紫の箱を飛ばし、爆発したところで、その勢いを借りて戸頭間が火を膨らませ、さらにサトルが風で火をコントロールする。
三人の連携は、初めてだとは思えないほどスムーズだ。
それを偶然うまく避けた泥人形は、丹羽が対処する。
戸頭間と紫の後ろに立つ景は、呆れたように隣の丹羽を見た。
「で、ここからずっと迎撃するつもりなのか」
「……彼がそう言うなら、そうするしかないぞ」
目立たないように、騒ぎを最小限に抑えるしかない。
人がこの騒ぎを見たときに──もしくはそれに対処する強大な力を見たときに、均衡はあっけなく崩れる。その時に煩わしい思いをするのは「戸頭間家」の者たちだ。
変化する状況に柔軟に対応してきた姿勢を変えなければならない。
彼女の子どもたちが窮屈な協定から抜け出して何をしでかすのか、丹羽は考えたくもなかった。
ホテルは人数を減らしたものの「全員退避」の状態で静かに待っている。
あそこに、何事もなく戻らなくては。
あそこから、彼らを出さないように。
丹羽は、隣で苛立しげに立つ堪え性のない父を見る。
自分よりも若々しいが、その形は昔と変わらない。
全く、変わらない。
「どっかの誰かみたいに世界をまとめるつもりがあるのなら、好きにすればいいんじゃねえの」
「……お前なあ。一番言われたくねえことを言うんじゃないよ」
景が諦めたように右手を出した。海の方へまっすぐと、黒い腕が伸ばされる。
ようやく本気で付き合ってくれるらしい。丹羽は、密度が膨らみ始めた景を見た。
黒い姿に、結った髪がとろりと靡く。
この男は滅多にそれを出さない。
出す必要もないほどに殴りつけるほうが得意な上に、それを出したときには周囲の者が巻き込まれてしまうからだった。
ふと、紫がその異様な気配に気づいたように振り返る。
めずらしいね、と穏やかに笑う隣で、戸頭間の目がじっとこっちを見ていた。
純粋な目が、景の手のひらを見ている。
それはまるで、幼い頃の自分を見ているようだった。羨望と期待。そして弾む胸。
丹羽は景に何度も「見せてほしい」とねだったが、見せてくれたのは一度だけだった。
思い出す。
あの時の無垢な感動を。
景の無骨な手から、ぬうっと刃身が出てくる。反りのあるそれは「穂」と呼ばれるのだと、その昔聞いた。
鈍色の刃が血を啜ってきたようにぬめりと光り──長い柄がするすると出てくる。
薙刀を手にした景は、懐かしそうに柄を撫でた。
「──サトル、手伝え」
そう言うと波打ち際に立ち、自分より大きなそれを踏み込みと同時に横に振るった。
ブン、と風を切る音がして、その衝撃波が海面を滑るように泥人形へ到達する。一斉に、青い煙が上がった。
「わあ……すごいね」
戸頭間が感嘆の声を漏らすと、紫は振り返ってサトルを見ながら「彼のおかげだね」と頷く。
「サトルくんは器用というより……視野が広いのかな。ちょっと異常なほど隅々までコントロールできる視野があるっていうか」
「あー……兄さんはそんな感じ。でもすっごい短気なんだよ」
「それは周りが大変だ」
「そうなんだよ」
紫と戸頭間の和やかな話を広げるが、空からはまばらに犀が落ち続け、海に積み重なり、這って来る。
気味の悪い光景が、美しく晴れ渡る景色に重なって変に輝いていた。
何故先程戸頭間が燃やしたはずの犀の形をした泥人形が空から降ってくるのか──一体どれだけ降ってくる気なのか──これがいつ終わるのか──他に何が落ちてくるのか──そもそも犀がこれをどうやって用意したのか──
全員、それを口にしない。
不吉だった。
犀のことを口にした途端、寄せ集められた泥人形が集まって大きな塊になるのではないかとさえ思えたのだ。
景は薙刀を振るい、紫が白い箱を出し、サトルが運び、戸頭間が燃やす。
すべてをくぐり抜けた幸運なそれを、丹羽が撃ち抜く。
ただ青い煙が空に溶けていく光景を見送る。
ふと、空の裂け目が閉じた。
最後の一体が、ぐるぐると不気味に回転しながら、恐ろしくゆっくりと降ってくる。
「丹羽さん、行くよ」
戸頭間が言う。
あれが本体だ、と確信した声だった。
紫と景が一瞬足を止めたのを見逃さない戸頭間の判断に、丹羽も従って海へ一歩出した瞬間、理解する。
彼はこれを待っていたのだ、と。
「──本当に、男どもは使えない」
一年前と同じように、ハルカが海を見て笑う。
彼女が止めた海は、宝石のように輝いていた。
その上を丹羽は戸頭間と駆けていく。




