#49
つかぬ間の他愛ない再会が、永遠になるとわかった途端に覚めるのはなぜだろう。
あんなにも込み上げた思いが、あっさりと手元から消える。
残るのは、無防備な安心感だ。
#49
景と言葉を交わさぬうちに、それらは帰ってきた。
全員衣服の乱れはなく、むしろ堂々と戻ってきて──それから、呆気にとられた顔をする。
「は?」
と、呟いたのは戸頭間だった。
見覚えのある顔が二つ。それも一年前の海岸で丹羽と二人でどうにか追い込んだ相手であり、兄を吹き飛ばした男が──母と和やかに話しているのだ。射抜くような視線を向けられた丹羽は、しらっとした顔で逃げる。
説明のしようがない。
とにかく昔に色々あったのだ。その色々を説明するのは面倒で、そして何より憂鬱だった。
逃げた丹羽の代わりに、ハルカが全員を見る。
怪訝な顔をした戸頭間──「群前」と言いかけて口をつぐむサトル──瀬世は驚きに目を見開き、井田口はどうやら実物を見るのは初めてらしく「これが」と言わんばかりに見ているし──何も知らない舟正と狐刀はまじまじと景と紫と丹羽を見比べている。
その重い沈黙の中で、ハルカは悠然と微笑み、言った。
「紹介するわね。紫さんと、景さんよ」
たったそれだけ。しかし、全員がこの奇妙な事態を飲み込んだ。
ただ親しげに。
ただ愛情のある眼差しで。
ただ全身で気を許している、と示すだけで、誰も何も言えぬままに、異質な存在の紫と景を受け入れた。受け入れるしかないのだと、諦める。
ハルカは優しく甘く微笑んで、そんな彼らを褒めたのだった。
イノセントの屋上に、青い午後が広がっている。
忙しなく黒いワンボックスカーが走り、県境から出ていく光景は、まるで甲斐甲斐しく働く蟻のようだった。
逃げ出す蟻。
新たな巣を作ろうとして失敗し、追い出されていく蟻。
丹羽の隣に、戸頭間が並ぶ。
二人して足を一歩踏み出せば、このイノセントの屋上から身を投げられる──そんなギリギリに立つ。
遠くから、二台のヘリが近づいてくるのが見えた。お迎えの馬車とやらだろう。
「……色々あったんだよ」
「丹羽さん、先に言い訳するのはみっともないよ」
戸頭間が楽しげに笑う。
「あの二人は丹羽さんの家族?」
「ああ」
「そう。じゃあ仕方ないね」
「……」
「多分だけど、母さんにとってもそういう人なんでしょ? で、前のとは違う」
丹羽の無言も、戸頭間は正しく受け取った。
「そっちはそっちの因縁があるみたいだけど、必要なときは言いなよ。手足になってあげる。目野のときのお詫びにね」
「……ほう」
「やだなあ。興味本位で頭を突っ込むわけじゃないってば」
「どう見ても〝面白そう〟って顔に書いてあるぞ」
「だってあの二人、誰か殺そうとしてるでしょ」
軽く言ってのけた戸頭間は、優しく笑う。まるですべて見てきたように穏やかに、その横顔は誰かと同じ笑みを浮かべている。
「でも多分殺したくはない。そういう相手を、殺そうとしてる。家族かな? だとすれば、丹羽さんも殺せない」
「はあ?」
「頭に血が上って、上手に立ち回れないって意味だよ。怖い顔しないでよねー。余計にガラが悪くなるよ」
「……ほんっとうに母親にそっくりだな」
「親子だもの」
足元の街が、変容していくような予感に満ちていた。
中心の大きな湖も、ゆらゆらと揺らめいて海のように輝く。ハルカの手が出せない、うみ。
「他人がいたほうがいいときってあるよ。僕は少なくともそうだったし」
「目野か」
「うん。殺すの嫌だったから、目野に情が一欠片もない丹羽さんがいてくれて助かったもの」
だからちゃんとお礼も言ったでしょ、と戸頭間が小さく笑う。
丹羽は街を見下ろしながら煙草を取り出すと、先に戸頭間に渡した。一本咥えたそれに、ライターを向けて火を灯す。伝わったのか、自分の手で風よけを作りながら、戸頭間は目を伏せて煙草の先を火に寄せて言った。
「──どういたしまして。飼い主として、きちんとお世話はしてあげるよ」
「……はあ」
丹羽のため息と同時に、戸頭間もふーっと息を吐き出す。
「生きるって大変だよねー。煩わしいことばっかり」
「本当にな」
「兄さんは上へ報告しなきゃなんないし、イダグチくんも忙しくなるみたいだけど──まあ、今から一番大変なのはお兄さんかな?」
舟正を思い出しているのか、戸頭間は空に向かって紫煙を吐いて煙草を咥え、目を閉じると、はっきりしない発音で「かわいそー」と呟いた。
可哀想。
本当にその言葉がふさわしい。
丹羽も一本取り出して、煙草を噛む。
舟正は、ハルカと丹羽たちを屋上まで案内すると、恭しく頭を下げて足早に戻っていった。
残った仕事とやらが山のように待っているらしい。ハルカは狐刀と瀬世を貸し出したままにすることと「友人と相談した結果」とらやも舟正に伝えたのだ。
今回どこぞの阿呆な議員の息子を取り返したことを駆け引きに使ったらしい。どんな言葉で脅したのかはわからない。しかし、ハルカは〝卑怯者共の首〟をしっかりと掴んだのだろう。そして友人に、今後は臨時首都で何があっても報道せず、口出ししてこないことを約束させ、それが守られるのであれば、外国勢力が入りこまぬように侵入者として見張る、と約束したのだそうだ。臨時首都の治安は鬼不田とともに守る、と。
エトウの件を収めつつ「侵入者をも使える鬼不田」を軽く示そうとした舟正の思惑は、捻れに捻れて別物へと変容した。
侵入者とともにこの街を制圧した鬼不田、という評判ならまだマシだ。侵入者に使われている鬼不田、と言われぬように、彼らは絶妙な力加減でこの街の隅々にまで力を行き渡らせなければならなくなった。
ハルカはこうも言った。
──舟正。二人じゃ足りないでしょう? すぐに用意してあげるわね。
何人の侵入者をここに連れてくるつもりなのか、ハルカはまるで臨時首都を乗っ取るかのように、妖艶に笑った。
世界が変わる、予感がした。




