#47
ヒールが床を打つ。
情熱的に、それでいて冷静に。
二人は踊っていた。
脇目もふらずに。
#47
「止めないのかい?」
後ろから声をかけられ、丹羽は浅い息を吐いた。
振り返ると、少年に見える男が立っている。戸頭間よりも幼く、それにしては肝の座った目をしている男。その目を見下ろした見た丹羽は、ゆるく頷いた。彼らしいうねった髪も、シャツとスラックスだけの寛いだ格好も、そしてその声も。理解するには十分だった。
「むらさき」
「久しぶりだね、一美」
紫が優しく笑う。
「いつ気付いたの?」
穏やかに問われて、丹羽は未だに殴り合おうとする二人を指差した。
ハルカが景の腹を狙って下から拳を打ち込もうと身体をわずかに開けば、景も彼女の左脇腹を砕こうと拳を鋭く入れる。
が、やはりどちらの拳も届くことはなく、すぐに防御に転じた。ハルカは景の拳を腕で上へ逸らすように弾き上げ、景は手のひらでハルカの拳を受け止める。にやりと笑い合った直後、ハルカが先に動いた。一歩後退し、スカートを優美に揺らして蹴りを放つ。景が両腕でガードするも、明らかに無駄だった。ハルカはそれを押し返すようにぐるんと身体を回転させ、景の身体をピアノまで吹き飛ばす。黒いアネモネのように、スカートが咲く。
ピアノに手を置いて止まった景は、脇腹に手を当てると、身体を丸めた。
「い……ってぇー……」
「私の勝ちでいい? ねえ!」
ハルカが無邪気に聞くが、景はピアノにもたれかかり「待て」と手を向けている。それに向かって、子どものように駆けていく様子を、丹羽の隣に立つ紫がクスクスと笑った。
「ハルちゃんの顔、か」
「ああ。どう見ても昔みたいに遊んでる顔だろ、あれは」
最初に見たとき、丹羽は二人が本気で交戦しているのかと思った。
しかしすぐに動きを見て察する。
遊んでいる、と。
そして理解した。
これは、景なのだだ、と。
理屈ではない。ただ胸の奥の記憶が「景だ」と叫んでいた。身体が溶けそうなほど喜びに震えるのかと思ったが、心が身体の一つ後ろに下がったかのように、頭の中が冴える。ああ、景だ。それだけで満たされた。心が凪いだ。景だ。目の前の男は、自分が知っている景なのだ。
「うーん、君が驚いて銃を向けてくると思ったのに……残念だなあ」
「……紫」
「いいじゃない。昔のようにむらさきって呼んでよ」
「記憶があるんだな?」
丹羽が確認すると紫は無邪気に頷いた。
「ある。だからあの時──エトウから君たちを助けただろう?」
助けた。
その一言に、丹羽は力がどっと抜けるのを感じた。
目野が男の首を跳ねた隙に車に乗って走り出した直後、エトウの車が爆発した光景を思い出す。噴き出す現金。踏み込むアクセル。高速へ向かう途中で聞いたいくつもの爆発音は、追跡していたのではなく、追ってくるイノセントの従業員を派手に撃退してくれていたということらしい。
彼らの愛情だったわけだ。
「取り込み中だったみたいだし、私たちが入っていったら余計混乱させると思って脱出だけ手伝わせてもらったよ」
「そりゃどうも。なんでこんな街に?」
「海から離れたかったんだ。そうしたらここに流れ着いた。ついでに、少し働いてただけ」
紫は顔を上げ、丹羽を見て笑った。
子供の顔をした自分の祖父。
奇妙な再会だというのに、こうもしっくり来るのはなんなのだろう。
「時間もないだろうし、簡潔に伝えると、私たちが来たのは半年前。その時一緒に大量に廃棄された子たちを、海から陸に出る前に消しておいた」
「……半年、前」
丹羽は繰り返す。
戸頭間が言ってた「ショッピングモールでの残党狩りのときに、大量の侵入者の気配を感じた」というのは本当だったらしい。
二人が始末したおかげで、街は再びロックダウンすることなく呑気に続いているのだ。
「それで、海から逃げようって思ってね。あの子は──どれだけ私たちを作った?」
「……わからない。俺の前の前まで来たのは、前回の二人だけだ」
「そう。じゃあまた新しく作ってるんだろうね」
その声には、憂いを帯びた諦めが浮かんでいた。
紫は景とハルカを見ながら、あくまでも穏やかに話す。
「一美。記憶は?」
「記憶……?」
「あの子は記憶を奪う力を持っているんだよ。それを自分の生み出すコピーに授けることもできる」
「……ああ」
ああ。
全てに納得した丹羽は、漏れ出る苦笑を抑えることができなかった。
何故か二人のことを忘れていた理由も──またね、と言ったあの犀の勝ち誇った笑みも──ハルカの言葉も。
──あなたに用事があるのね。碌でもない用が。
そうらしい。
とにかく、景と紫を取り戻したい一心の愚かな男の蛮行が繰り返されている。そこから逃げてきたと軽やかに言う紫を、丹羽はちらりと見下ろした。紫は穏やかに笑む。
「向こうは相変わらずだったよ」
「……そうか」
「うん。私が覚えているのは……君の視点の映像ばかりだから、多分君の記憶を使った個体なんだろう」
個体、と自ら言うそれに痛まないわけではない。
しかし、丹羽は感傷を感じるよりも、紫の落ち着いた声色を聞けるだけで満たされていた。
紫はくすくすと笑う。
「きっとあの子は、君の記憶を使うのは最終手段だったんじゃないかな。だから私たちが何も覚えていないと知ったときは……」
「床にひれ伏して大泣きでもしたか?」
「ふふ」
優しい肯定は、しかしそれでも息子を許さなかった父親の響きがあった。泣く息子を前に、彼は覚えていないふりを続けたのだろう。廃棄されると知っていて。
「諦めてくれれば、ね。それが一番いいから」
「だから逃げてるのか」
「そう。間違って捨ててしまった、と気づかないうちに」
「来てるぞ。こっちに」
丹羽が言うと、紫は「あーあ」と呆れたように呟く。
「会ってしまったか」
「ああ。また来るらしい」
「じゃあ──仕方ないね」
仕方ない。
その言葉はどこか冷酷で、しかし覚悟が決まったそれだった。
「息子の不始末は親の不始末。今度こそ止めるよ……力ずくでね」




