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絶望とダンスして 悪魔の腹の上で笑う  作者: 藤谷とう
──死神とブルース──
1/58

#1



「ねえ、生きてる?」


 一瞬天使の声に聞こえたが、それは天使ではなかったらしい。




    ♯1



 

 覚えているかと聞かれたら、何も覚えていない。

 丹羽(にわ)の記憶はいつも朧気だった。自分が誰で、どうしてここにいて、何をしていたのか、いつも遅れて思い出す。

 そして、うんざりする。

 どうして思い出したのだろう、誰が自分を起こしたのだろう、と恨めしく思って目を開けるのだ。


 路地裏でごみと共に倒れている自分に声をかけるのは大抵警官で、彼らは「大丈夫っすかー」と威圧的に聞いてくる。

 その目には、いつも薄汚れた自分が映っていた。真っ白な白髪、着古して汚れたグレーのシャツ、曇った眼鏡にはヒビ。襲い来る現実と、記憶。

 

 丹羽が頭を掻きながらズレた眼鏡をなおして「あー、女房と喧嘩しまして」と言うと、彼らは「お父さん、駄目ですよ、ちゃんと謝って。そうすれば大丈夫だから。ほら、おうち帰れる?」と聞いてくる。うんうんと大きく頷いて立ち上がって歩けば、彼らは放って置いてくれた。

 そうやって逃げて、次の場所へ行って、酒をあおる。

 運が良ければ、ホテルで夜を明かせることもあった。財布は空っぽになっていたが。



「――あれえ、死んじゃってるのかな」



 妙だ。

 警官の声ではないし、間延びしていてどこか育ちの良さを感じる、青年の声。

 丹羽の重い瞼がゆっくりと開く。

 曇った眼鏡はやはりズレていて、おかげでその姿がはっきりと見えた。


 額で分けた前髪から見える大きな目。男にしては長い睫毛に、白い肌。一見して女性に見えるが、彼が着ているのはブラウンの三つ揃いのスーツだった。革靴はぴかぴかに磨かれていて、童顔の見た目に反して、きっちりと着こなしている。

 育ちの良さがにじみ出ていたが、だからこそ奇妙だった。繁華街で見る格好ではない。


「あ、生きてる。よかったあ」

「……」

「名前は?」

「……にわ」

「?」

「……丹、羽」


 空中に文字を書く。

 何しているんだろう、と思うが、丹羽はどうしてか彼から目が離せなかった。


「わかった。丹羽さんね。僕は戸頭間(とずま)

「……トズマ……?」

「戸、頭、間、で戸頭間だよ」


 今度は青年が、丹羽の前で文字を書く。そして、にこりと笑った。



「ねえ。死ぬ気、ある?」







 戸頭間に乗せられたのは黒いクラシックカーだった。

 綺麗な車内に乗り込むのを躊躇った丹羽を、蹴るような勢いで押し込んで、戸頭間は運転席へ回ってキーを回す。


「お。彼女、今日機嫌いいみたい。丹羽さんのこと気に入ったんだと思うよ。よかったね」

「……」


 車が()()らしい。

 褒めるようにダッシュボードを指先で叩いて、戸頭間がアクセルを踏む。


「よし、さあ行こうねー」

「……どこに」

「そうねえ、気分のままに?」


 何を聞いても答えてもらえないような気がして、丹羽は黙った。反対に、戸頭間は機嫌よくお喋りをはじめる。


「僕ね、昨日独り立ちしたんだ。兄さん達はまだ早いって言うけどさ、いや、早くないよね? 僕もう二十九だもの」

「……」

「だから目に見えてわかる結果が欲しくて、繁華街をうろついていたんだけど、いいもの拾っちゃった」

「……」

「丹羽さん、眼鏡捨てたら? いらないんでしょ?」

「……いるよ」

「お酒臭いねー、窓開けようっと」


 楽しそうに戸頭間は言い、窓を開けるために窓の下の小さなハンドルを回す。


「ごめんね手動で。ほら、開けて開けて。開け方わかるよね? 丹羽さん五十代くらいだし」

「四十九」

「あ、惜しい。足掻いたねー」


 けらけらと笑う戸頭間と、小さなハンドルを二人でせっせと回す。


 なんだこれ。

 なにをしてるんだろう。


 丹羽が現実に引き戻されそうになったとき、風がぶわっと車内に入ってきた。


「ふー、いい風!」


 戸頭間がご機嫌に笑い、ラジオをつける。



『――ふふ、確かに。さあ――今日ももうすぐ終わりますね。みなさんどこでラジオを聴いてくださっていますか?』


「車だよ。ね、丹羽さん」


 戸頭間が答え、丹羽は黙る。


『――今日も無事、夜を迎えられたことを感謝しましょう。我々の安寧はこれからあと数時間しかありませんが――それでも、誰もやって来ないことは安らぎに違いはありません。さあ、最後の一曲を流しますね。朝がくるまで繰り返しかけます。明日の夜、またあなた方に会えることを願って――では、どうぞ――死神とブルース』



 ブルースハープの枯れた音色が車内に鳴る。

 酔っぱらいの頭を割るような高音から、魂の叫びを表すように乱高下する音階の向こうに、奏者の息づかいが見えた。

 そこにギターの陰鬱な低い音が入り込んでリズムを刻み、歌が乗る。

 苦しみを吐き出すような声で、深い声がつらつらと歌う。

 


 丹羽と戸頭間の間で、何度その曲を繰り返し聞いたかわからない。

 ただ、夜明けが近づくその前に、車は海岸に到着した。


 戸頭間はサイドブレーキをかけるとエンジンを切り、鍵を抜き取ってわざと丹羽に見せつけるように振ってからスーツの胸ポケットに入れる。


「さ、行こう」


 ご機嫌な戸頭間の顔が、夜の闇でうっすらと光った。


  


 海岸の砂浜に、三人の若者のシルエットが奇妙な動きをしているのが見える。

 気味悪い踊りのような、うねうねとした動きだ。


 戸頭間は強い風を受けながら丹羽の先を悠々と歩く。風除けにしては小柄なので、丹羽の白髪は大きくなびいた。目を細めてただついて行くことしかできない。


 次第に、風以外の音も聞こえてきた。

 声だ。

 ひゃふ、ひいい、という変な声。

 しかし、その合間合間には「う」と呻く声がはっきりと聞こえた。ようやくわかる。

 三人の男が、身体を丸めた男を蹴り続けていたのだ。



 戸頭間がそこに軽い足取りで近づいていく。

 流暢に歌いながら。


 

   "朝が来ることを祈れ


   嘘つき共の夜明けまで

   死神はブルースを歌う


   見てごらん 

   お前のすぐ後ろにいるだろう"



「――right behind you,」




 戸頭間がそう歌いきったとき、彼らはようやく戸頭間と丹羽の存在に気づいたらしかった。


 下卑(げひ)た顔が一瞬ぽかんとする。

 その顔が無垢な子供のように見えて、丹羽は悲しくなった。

 彼らの足下には、何かに覆い被さる男が砂にまみれている。その下に、細い腕が見えた。

 戸頭間にも見えたらしく、彼はのんきな声を上げた。


「えー、いやだなあ。女の子まで蹴ってたの?」


 戸頭間はしゃがみ込むと、丸くなっている男をつついた。ぴくりと反応する。生きているらしい。

 哀れだと思った。

 まるで自分のようだ。だが、自分は誰も守っておらず、ただゴミのように生きているだけなので、彼はきっとずっとましなのだろう。


 周囲は海の独特な生臭い風と、血と、嘔吐物が混ざったようなにおいが立ちこめている。


 そんな中でも、戸頭間はどこぞの貴公子のような佇まいで立ち上がり、彼らににっこりと笑いかけた。


 十代か――それとも深夜の海岸にいられるほど暇な二十代か、どちらにしてもまともではない男達は、耳にするにも阿呆らしいほど何の捻りもないフレーズで戸頭間に迫る。

 それが何故か、親鳥に口を開けている雛に見えた丹羽は、思わず笑った。


 思いの外大きな声だったらしく、彼らは「はあ?」とまた同じ音程で揃って言い、同じように顎を上げる。

 耐えられなかった。



「……ふ、ははは! 駄目だ、ふっ! 我慢できん!」



 腹を抱えて笑い出した丹羽を、男達は気味悪そうに見たかと思うと、大きく一歩を踏み出してきた。

 殴りかかるにしても、動きが荒い。


 ほら見ろ。

 よく見ろ。

 死神はお前たちの後ろにいるぞ。


 丹羽はそう笑い、親切に後ろを指さしてやった。




 戸頭間が、金属バットを振り上げている。








読んでくださり、ありがとうございます。


何に影響を受けて何が好きなのかがバレバレな「好き」を詰め込んだ話となっていますが、お暇な時にお付き合いいただけると嬉しいです。

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