9、動いていても太るのに、動けなくなったらどれくらい太るんだろう
小学校時代の同級生で、舟木と言う男がいる。
私と亭主の共通の友人である彼は、同じ町内に家を建てて仕事も町内でしている。
夫婦して地元に住みついていれば、そういう友人も彼一人ではないのだが、この舟木は我が家にとって特別無比な存在だった。
彼の仕事は接骨医である。
町内で一番人気の接骨院を開業しており、わが亭主は長年患って来たヘルニアのために、定期的にこの友人の世話にならなければ生活できない状態なのである。
舟木は秀才で愛想が良く、眉目秀麗とまでは行かないまでも、そこそこ見栄えのする容姿で、昔から女子に人気があった。
しかし、そんな長所など鼻で吹き飛ばしたくなるほどの、重大な欠点がこの男にはあったのである。
「おお、来たか一平。 待ちわびたぞ、ガラスの腰よ!」
受付に亭主が顔を覗かせるや、舟木は大声で叫んで芝居気たっぷりに両手を広げた。
「最近はお前のその腰が、我が家の生活を支えてくれてるようなものなんだ。 もっと頻繁に壊してくれなきゃ、息子の保育料が払えんじゃないか」
そう。 彼の口には、毒性は少ないが無駄にたくさんの棘が生えていた。
そこから生じる台詞は皮肉に満ちていて、しかも油が乗って来るに連れて、次第にえげつないシモネタへと変貌を遂げることでも有名だった。
「悪いけど、今日は腰じゃないんだ」
亭主は曲がらない足を苦労して、診察台の上に持ち上げた。
舟木は目を丸くして、パンパンに腫れた足を眺め、
「どこの魔女に呪われたんだ?」
と真顔で尋ねた。
亭主は状況を細かく説明した後、
「試合会場に近所の外科医が待機してたんだが、診察した時は骨に異常はないだろうって話だったぜ。
まあ、その時はこんなに腫れてなかったし」
亭主が頭を掻いた。 要するに、こんなことになるとは夢にも思わなかったので、高脂血症の薬を服用しているという事をその医者に伝え忘れたらしい。
「見た目に出血してれば思い出したんだろうがな。
内出血も、その時はほとんど青くなってなかったから、血のことなんかさっぱり忘れてた」
取りあえず湿布をしておくことになり、準備をする間に、舟木は私を手招いた。
「きょんきょん、ちょっとちょっと」
「きょんきょん言うな! さすがの亭主ももうそんな呼び方はしとらんわ!」
「源氏名で呼ばれたからってあせるなよ」
「どこが源氏名か!!」
中学生かと言うような馬鹿丸出しの会話をしたあと、舟木は真顔になって、茶色の封筒を差し出した。
「念のために、骨折は疑った方がいいと思うよ。
こういう症状の中にまれに、実は折れてましたっていうことがあるからね。
一応、呪いを払うためにお札を作った。 日曜でもやってるとこだし、電話も入れとくから、今から行ってお祓いしてもらっておいで」
「お、お祓い?」
「最新機器があるんだ。 体の中の悪魔を映してくれると言う、実に便利な」
「レントゲンかよ!!」
「そうとも言う」
いくら接骨院は病院と違うから、難解な医学用語を羅列しないとこがいいんだ、と普段から豪語しているとは言っても、もう少し文化的な表現をしないと、明治維新以降の人間にはわかりにくくてしょうがない。
舟木の接骨院では、骨の異常が判らない場合があるので、万が一を考えて、外科でレントゲンを撮ってもらえ。 彼の台詞を翻訳するとそういうことになるらしかった。
「12時半までなら診てくれるってさ。
そういうことで一平、腰の治療はまた次の時な。
あちこち壊れてるんだから、無理してきょんきょんを持ち上げるなよ」
冗談の通じない亭主は、舟木の言葉の意味が解らず、目をしばたたかせて言った。
「こんなもんを持ち上げてどうする」
こんなもんとは何事か。
「へえ、一平はそんなにいろいろやってるのか。
俺なんか、持ち上げると言ったら駅弁くらいのもんだけどなー」
「駅弁?」
「はいはいはい、どうもお世話になりましたああ!」
聞くに堪えない下ネタになって来そうなので、慌てて舟木から亭主をもぎ取って接骨院を出た。
紹介してもらった外科医院は、個人経営にしてはかなり大きく、設備も整った病院だった。
そこで1時間ばかり入念な検査の結果、私たちからすると親くらいの年代の男性医師が診断を下した。
「骨にも筋にも筋肉にも異常なし。
腫れは純粋に内出血のためですので、出血が止まれば次第に元に戻ります」
医師の説明によれば、血管を出てしまった血液は、こちらで戻すことも消すこともできないのだそうだ。 放置して体内に吸収されるのを気長に待つしかない。
「それはどのくらいかかるんですか」
「出血量にもよるし、吸収にも個人差があるから、はっきり何日とは言えませんが、10日から2週間くらいで元に戻るのが普通でしょうかね。 まあ、腫れは段々引いて行くので、そのどこら辺で治ったことにするかも問題なんですがね」
「どこらへんで動かしてもいいもんなんですか」
「それは、1週間くらいしてもう一度来てもらって、診察してから判断しましょう。
その間、無理に動かして出血したら元も子もないので、ギプスで覆って置きましょうね」
ギプスだと?
私たちは仰天した。 何しろ普通のサイズの足ではない、スイカの足なのだ。 よく皮膚が足りてるなと感心するくらい巨大化した足なのだ。 ギプスなしの今でさえ、股間の物は一体どういう状態でどこに押しやられてるんだろうと、傍から密かに心配してあげているくらい、ボッテボテに腫れまくった足なのだ。
それをさらにギプスで囲んだら、一体どういう状態になるんだろう。
スイカを段ボール詰めして履いてる状態になるのではないか。
つまり1週間の間、全く機動性はなくなる、もっと端的に言えば、寝たまま身動き取れなくなる。
「おっしゃる通りです。 ご主人、しばらく会社を休めますか?」
いや、会社はもう休みっぱなしに休んでいるわけで、問題は休めるかどうかではなく、いつになったら出勤できるかなのですが。
えらいことになった。
そもそも島根出張からこっち、えらいことになりっ放しの私たちなのだが、まだ更に落ちる先があったとは思わなかった。 ピンチが続きすぎてどれが致命傷かわからなくなりそうだ。
私は心の中で叫んだ。
「まずい。 この上動けなくなったら、間違いなく太る!!」
亭主が前回動けなくなった時は、メニエールの目まいが原因だったので、食欲も一緒に失っていた。 だから太る気遣いをしなくてよかったのだが、今回は違う。 亭主は元気で食欲がある。 ホントに食欲ばかりは、無意味に無駄に無慈悲に無神経に、冬眠から覚めた熊より旺盛にある。
その割に学習意欲はまるでなく、私が苦労して1800kcalに減らした食事を、間食で3500kcalまで引き上げ、
「ちょっとつまんだだけなのに、なんで食事よりもおやつの方がカロリー多いんだ?
ポテトチップって芋だから野菜じゃないのか」
と呆けたことを今更のたまい、揚句に、
「まあいい、その分動くから文句ないだろう」
と豪語して、朝1時間、夜2時間走って戻って来るやまた間食をした男である。
その亭主が、これから最短でも10日間、走るのはおろか歩くこともしなくなる!
しかも食べる暇は死ぬほど(ただの表現ではなく、ホントに死に至るほど)あるのだ!!
「ねえ、つかぬ事を伺いますが、有給ってあと何日くらいあるんでしょうか」
帰りのタクシーの中でムスッとして物を言わなくなった亭主に恐る恐る尋ねてみた。
「あと18日あるよ。 だいぶたまってたから」
「あと18日しかないのね」
「言い直すな」
「だってそのうち10日は動けないのよ。
残りの8日で7キロ痩せなかったら、その後は給料カットでしょう」
「しょうがないだろう、予想外の事なんだから」
私は亭主の顔をまじまじと見直した。 ということは、この調子でやっていたら、あと18日で7キロ痩せることは出来る予定だったという事なのか。
「できるよ。 だってメニエールの時に食べなかったら、3日で2キロ落ちたじゃないか。
それで行くと6日で4キロ、9日で8キロだから、8日目くらいに病院に行って体重計ってもらえばOKだろ」
「あーたはボクサーか!!」
笑い話ではない。 今のようにダイエットブームになる前の時代である。 痩せる苦労を知らない人はたくさんいた。 女の子は、そうは言ってもスタイルをよくするためにいろいろ頑張った経験があるので話が通りやすいのだが、男性のダイエットに関する認識は薄く、「明日のジョー」あたりから仕入れた方法が有効と思い込む男性もまだいたわけである。 とはいえ、亭主のこれは極端すぎる勘違いだったが。
一度でも痩せようとしたことのある人はよくおわかりだろう。
食生活を変え、摂取カロリーを落とすと、最初の2キロくらいはストンと落ちる。 この2キロは、例えば下痢をしたとか、体調不良で食べられなかったとかいった健康トラブルでも簡単に落ちる。
これは体が、従来の食生活のリズムに従ってカロリー消費をしているため、摂取量が落ちた分だけマイナスになるから起こる事である。 奥さんが、旦那の収入が減ったのを気づかずに買い物をしている状態と思ってもらえばいい。
でも、家計簿を見て奥さんはそのうち青くなる。 このままでは今月赤字だわ、やだもう、夕食はもやしいためにしよう!
それと同じで体はすぐに気付くのだ。 まずい、このままでは飢えて死んでしまう。 飢餓状態に備えて、消費カロリーを落とさねば、と。
かくして、2キロ3キロ落ちた後は、めっきり体重が減らなくなる。
それでもそこであきらめずに、この状態を1か月、2か月と続けることによって、体が一時的な飢餓状態に備えるガードを外すと、体重は再び少しずつ減って行くのだ。
そういうシステムを全く理解しないお殿様ダイエッターであった亭主は、有給休暇を存分に楽しんでから、一気に地獄の絶食による職場復帰を狙っていたのである。
さすがに本人も、失敗に対する後悔があったと見えて、口には出さないがこのあとずっと不機嫌だった。
さて。
こうして、わが最愛の亭主は寝たきり生活に突入した。
それは、この先に待ち受けている、超絶最低の金欠生活の幕開けでもあったのだった。