8、3か月の間に魔女の鍋から生み出された実際のメニューと、病身の王子がたどった運命
私のメニュー作りの方は、ひと月目くらいでかなり楽になった。
これは、いわゆる「慣れ」によるものだ。 どれくらいの量を一日に採れるかの目安が頭に入り、定番やローテーションのメニューも出来て来たし、豆腐のように決まった大きさのものはいちいち計らなくても見ただけでカロリーが判るようになったのだ。
その代りに訪れたのは、恐ろしいほどの「メニューのマンネリ化」である。
2か月めから早くも、あれは昨日やったこれは一昨日やった、それは先週やった、という現象が起き始めた。 普通の主婦でさえ、年がら年中この状態に苦しんでいると言うのに、我が家には計算上作れないメニューがごまんとあるのだ。 料理本を一冊購入しても、まともに使えるのは2品くらいという事が多かった。
私は暇さえあれば新聞や雑誌を切り抜き、テレビのお料理コーナーをチェックしてスクラップブックを作った。 それを丁寧にファイリングして、肉が主体の物、野菜が主体の物、魚が主体の物、その他の物に分けて一冊ずつ分類したものにし、これをさらに具材別に検索できるようにした。 当時はパソコンがなかったから、全部クリアファイルに手作りだ。
ここまで手間をかけたのは、私が几帳面だからではない。 我が家では先に具材が決まってからメニューをひねり出す「なぞなぞ調理」だから、具材から検索できない限り、メニューブックが全く役に立たないのだ。
「今日は何を作ろうかな」と思って緩慢に検索するのではなく、既に切って皮を剥いて山積みしてある素材を、どう処理しようかと検討するための特殊な料理本が必要なのである。
自分で考案した料理もレシピに加えた。
これは今見ても大したものだと思う物が結構ある。 我が家だから開発に至ったのだが、他の家庭でもおいしく食べられるだろうと言う種類のものだ。
少々脱線になるが、2、3面白い物を紹介してみよう。
☆巨大ロールキャベツ☆
ロールキャベツは普通に作ってもカロリー内で出来るのだが、この中には挽肉以外に玉ねぎも入っているし、キャベツの葉も人数の2~3倍の枚数が要る。 我が家の計算では、キャベツも玉ねぎも淡色野菜で同じ仲間なので、ロールキャベツ1品で夕食の淡色野菜を全部使い切ってしまうことがある。
そうなると、一緒に出す味噌汁に大根も入れられないしサラダはホウレンソウと人参の緑黄色トリオだけ。 いやキュウリも欲しいだろう? と思っても入れることができない。 だいたい、たったひと品にこんなに野菜と肉を使ったら、あとのメニューに困るのだ。 ごはんとロールキャベツだけで夕飯になるか?
それで発明したのがこの巨大ロール。
普通のロールキャベツと同じようにハンバーグだねを作ったら、家族全員のぶんを一度にボール状にして、キャベツの葉で巻き、巨大な一つの球にしてしまうのだ。 これならキャベツの葉は5枚くらいで済む。
それだけでは煮込んだ時にバラバラになるから、アルミホイルでぐるぐる巻きにして、箸の先などで前面に穴をあけ、汁がしみ込みやすくする。 そいつを汁の中に投下して、火が通るまで煮込めばいい。
食べる時はアルミを剥がし、包丁でスイカのように切る。 なかなか豪快で見栄えもするので重宝だ。
☆ニンジン寒☆
つまるところ、すりおろしニンジンの入った牛乳寒である。
牛乳の中に、おろし金でおろした生のニンジンを入れて沸騰しないように温め、そこに寒天か粉末ゼリーを入れて冷やし、固めたら完成という、単純で簡単な料理だ。 ニンジンがまるまる一本入っていても簡単に食べられるし、乳製品も採れる、砂糖も油も不要の優れもの。 一皿増えて食卓もにぎわう。
ただし、この料理が変わっているのは、それを「わさびじょうゆ」で食べる、というところにある。
最初聞いた人は間違いなく「げー」と発音するだけでコメントしなくなる。 牛乳に醤油をかけることに抵抗があるためだ。
しかし、一度やると案外ノープロブレム。 やみつきになる夏の逸品である。
☆薄切り肉の円盤☆
野菜と一緒に炒めると雑然として見えるばかりか、油も何段階かに分けて掛けたりして高カロリーになる肉炒めを一変、肉をフライパンに敷き詰めてピザのように焼き固め、野菜中華あんの様な物をかけて大皿に盛ると、同じ具材でごちそうに見えるし、ひとり分がどれくらいかよくわかるので食べ過ぎないで済む。 肉は同じ厚さになるようにフライパンに全部並べてから火を点け、裏表を焼く。
そのほか、千切り野菜をふわふわに盛り付けて大量に見せ、食卓の上を賑やかにしてみたり、先に乾煎りして茶色くなったパン粉を使って、油で揚げずにオーブンでトンカツを作ったり、前の食事のスープからちょっと汁を失敬しておいて、それでソースを薄める姑息な努力をしたり、あらゆる方法で我が家のカロリーは無理やり数字通りに計算されて行った。
悩みの種は、まだ小さい2人の子供たちが、野菜ばかりの料理をあまり歓迎しなかったという事だ。
子供の口に合うメニューもかなり開発したのだが、一日の摂取量の4分の3が野菜では、さすがに幼児の好みをカバーしきれない。 かと言って子供の食事だけ別に作る余裕もないし、遺伝的な病気ですと言われたからには、将来普通の食事に戻せる見込みはないのだから、そんな刹那的なことをやっていたら子供の栄養摂取もいい加減になってしまうだろう。
食べにくい野菜だけの料理を、涙目になって食べる子供たちには申し訳なかったが、我が家の調理に慣れてもらうしか方法がない。 泣いても吐き出しても、時間をかけて残さず食べさせることにした。
その子供たちの苦しむ様子も、私のストレスになって行った。
メニエール病から来る目まいと吐き気のため、亭主の体重は一時的に4㎏減ったが、耳鼻科の有難いお導きで目まいが治まると、体重はさっぱり減らなくなった。 食事ができるようになると同時に間食の習慣が戻ってしまったためである。
それでも食事の内容が変わって低カロリーになっていたので、リバウンドは避けられた。
亭主はこれで安心してしまった。 食べても増えないことが判ったからである。
この男サマの頭の中では、「この魔法の食事をしていれば体重が増えることはないから、ある程度間食をしても大丈夫。 運動は好きなのだから、体を動かしていればその分で痩せることができるだろう」という計算が働いてしまったものらしい。
食事を作る側としてはたまったもんではない。 こっちは倒れる寸前まで無理をして、メニューと格闘しているのだ。 本人が全力で痩せようとしてくれなくてどうなると言うのだ。
大体、仕事を休んでまで痩せることに専念しているはずの人間がどうやったら菓子類をあんなにたくさん買って来る気になるものだろう。 取りあえず有給扱いになってはいても、休みが長引けば給料はなくなってしまう。 それがわかっていながら、復帰に真剣にならない亭主に私は腹を立てていた。
大体、食餌療法は決まった時間に決まった量を食べるから効果がある。 それを、イレギュラーで間食ありにされてしまったら、「お腹がすく→食べる」という、あり得ない道筋が出来てしまう、これが一番どうしようもない話なのだ。
カロリーの少ない食事は、その時どんなに量が多く見えるメニューを工夫していても、結局お腹がすくのは早い。 ワカメやキノコなどノンカロリーの食材をを大量に投入し、これでもかというだけ食べさせても、熱量分が燃え尽きてしまうと、やはり空腹感はやってきてしまうのだ。 それを、次の食事まで我慢して初めて、前の食事分の減量ができたことになるのである。
ところが、亭主はこの「空腹感」を少しも克服できなかった。
長女の蘭は、ある日新しいフレーズで私を唖然とさせた。
「とーさん、怒ってるの。 早くごはんにしようよ」
亭主は空腹になるとイライラして、些細なことでも必要以上に子供たちを叱る。 食事前にテーブルの上が片づけてないとか、テレビを見ていて蘭が支度に協力しない場合には、重犯罪でも犯したかのように怒鳴りつけ、散らかしたおもちゃを捨てたりテレビをコンセントごと消してしまったりする。
子供の直感は侮れない。 蘭は、父の怒りがしつけのためでなく空腹のためにエスカレートしていることをきちんと把握していた。 そして、何かしでかして亭主に叱られるたびに私の所にやって来て、食事を急いでとに頼むようになったのである。
空腹感を克服せず内緒で間食をしていると、「お腹がすくたびに食べて」しまう。 これでは毎食毎食、少しも「減らした」ことを体が実感しないので、体質自体変わって行かない。 従っていつまで経っても、空腹感が来るたびにリアルにつらいのである。
とは言っても亭主にも、下痢便血液の危機感はそれなりにあったらしく、運動をやるとの宣言通り、実に熱心に体を動かした。
朝起きると1時間、家の周りをジョギングし、昼すぎると2つ隣の町のビデオショップまでマラソンをして、ビデオを一本借りて帰って来る。 このビデオをダビングしたらその日のうちに返さなくてはならないので、夜までにもう一度マラソンをやるわけだ。
地域のスポーツ交流にも参加をし、小学校の体育館で週2回のバドミントンをやる。 社宅で作っていた野球チームの練習や試合にも、進んで出るようになった。
しかし、一日中体を動かしていても、間食をするので思うように体重を減らすことができない。
おまけに、運動にはひとつのリスクが付きまとうものである。
けがをする、というリスクだ。
亭主は下痢便血液の診断を受けて以来、血流を良くするための薬を飲んでいた。
この薬、血液をさらされにしてくれると言えば有難いことに聞こえるのだが、そうは言いきれない面もあった。 言ってしまえば「血が固まりにくくなる薬」だったのである。
休職から3か月めのある日、事件は起こった。
「おい、驚くなよ。 卒倒するなよ」
野球の試合に出かけた亭主から、暗号もかくやと思うような謎の電話がかかった。 そして30分後、車で送られて帰宅した亭主は、足の代わりにスイカを生やしていた。
左足がパンパンに腫れて、巨大なスイカを2つつなげたようにしか見えなくなっていたのである。
「試合中に僕とぶつかったんですけど、内出血したらしくて、中で血が止まらないんです」
車で送ってくれたチームメイトの男性が、青い顔をして謝罪した。
大した打ち身ではないはずなのに、この「腫れ」のひどさのために、亭主は10日以上もの間、歩けなくなってしまったのである。