7、キッチンに神様は存在しないから、主婦の聖剣は銀色の計量スプーンだけなのだ
「ダイエット食作ってるんだって?
ねえ、シュ〇ーカットって効果ある?」
そう聞かれたんである。
主婦という生き物は、人間関係の濁流から身を守るために常に井戸端会議を必要としているので、情報が知れ渡るのが驚くほど早い。 とりわけ社宅というやつは、どこのご主人が何時に出勤していただの、最近はバイクをやめて自転車にしているだの、油断すると女房よりもお隣さんの方がよく知っていることがあるくらいだから、うちの最愛の亭主殿がここのところ出社せず昼間も家にいる、という噂は、すでに細胞内の細胞液のように確実に社宅中を満たしていた。
比較的親しくしている町田さんの奥さんに欠勤の理由を聞かれて、簡単に事情を説明したのが一昨日の事。
その情報が羽ばたいて、私が大の苦手と敬遠している紺野ばばあに達するまでたった2日しかかからないのだから、社宅スズメさんたちは恐ろしい。
それにしても、いきなりシュ〇ーカットの効用を聞かれるとは思わなかった。
私の感覚から言うと、今うちでやっているのは食餌療法であって、ダイエット食というのとは微妙に違う。 美容のためにすることではないからだ。
ただ痩せさえすればいいのであれば、断食をするとかリンゴしか食べないとか、効果がありそうな食品を足して食べることも試たりするだろうが、食餌療法というのはカロリーの調整を行うことなので、合成甘味料を使うと言う考えに至るまでに、まだまだやることがあるという感じなのである。 こんなに減らしたのに効果がない、それじゃどうすればいいのか、と悩んで初めて、それでは砂糖を合成甘味料に代えてみるか、飲み物を漢方茶にしてみるか、という話になるので、今の私にはその前にまともに制限食を作る事しか考えられない訳だ。
シュ〇ーカットは甘味料であるから、本来こいつのお仕事は、食事に甘みを加えることのはずだ。
だから「効果ある?」と聞かれて、咄嗟に
「友達の家で使ったことがありますが、結構甘くなるんですよね」
と答えた私は、やはりずれていたのだろう。 紺野ばばあは、あきれたように鼻の穴を膨らませて私の肩を小突いた。
「馬鹿ね! 痩せるかどうか聞いてるんじゃないの!」
始めたばかりの人間に、痩せましたかと聞くのもどうかと思うのだが。
大体、痩身剤ではないのだから、使えば痩せるというものでもないだろう。 答えに困っていると更に畳み掛けるように聞かれた。
「じゃああれはどうなの、テフロンのフライパン。 あれ使うと痩せるんじゃないの?」
それも痩身具ではありません。
道具を過信してはいけない。 というより、この感覚はすでに痩身具を飛び越して、「魔除け」の域に入っているのではないかと思う。
テフロンのフライパンを使うと、神様のご加護で体重が落ちる。
シュ〇ーカットをひとさじ加えれば、悪魔デブリンが退散するので痩せることができる。
こう書くと、誰でも馬鹿かと思うだろうが、実際それに近い感覚で道具や食材を購入する人は多い。
買って使って痩せようとする意欲は大事だ。 でも、問題はどのくらい何が減っているかを、ちゃんと把握することなのだ。
主婦である私が、のた打ち回ったあげく身に染みてわかったこと。
キッチンに神様なんていない! お守りなんて存在しない!
そこで最も神に近い存在は、この私だった。 私が計画し、私が生み出す食べ物が、家族を生かしまた殺すのだ。
確かに我が家でも、テフロンのフライパンを使っている。
でも油を使わないわけではない。 具体的な調理については後々上げて行くが、全く油を使わないのであれば、そもそもフライパンを使う理由がほとんどないではないか。 チャーハンをノンオイルでするなら、それは混ぜご飯になるし、ポークソテーを油なしでするのなら、オーブン焼きでも大差ない。
だから、炒めものをするとき、我が家ではちゃんと油をひく。 たくさんは入れられないので、一回につき大匙いっぱいだけと決め、一日にそれを二回しかやらないと決めて。
減量を志す主婦の方々の多くが、テフロンのフライパンはお買い上げになっても、大匙いっぱいのサラダ油を熱いフライパンに投入した時にどのくらいの量になるのかをご存じない。 それじゃ広がらないでしょうとおっしゃる。 計ったことがないわけだ。
実際にやってみると、油は熱い物の上では薄く広がるので、大匙いっぱいの油があればフライパンに一通りの油の膜はできるし、なおかつ控えめながら波打つくらいの量がある。 ただしこれに、乾いた生の材料をガバチョと投入してしまうと、吸い込まれてしまってちょっと足らない感じになる。
それを避けるために、私は具材にレンジで軽く火を通し、バットに広げて水けを切ってから投入する。
そうすると不必要に油を吸い込まないので、油は材料表面に軽く絡むだけで全体に行き渡る。
油でも砂糖でも何でも同じで、まず計ることから始めないと、減らしようがないという事に気付かなくてはならない。
私は食餌制限を始めるにあたって、いの一番に計量スプーンを大量に準備した。
これもやってみると判るのだが、油を計ってすぐ砂糖を計り、1分後に醤油と小麦粉をそれぞれ図ろうと思ったら、スプーンを洗ってばかりで時間がいくらでも経ってしまうのである。 面倒なことはいつまでも続かないから、そのうち目分量になっていい加減になる。
だからと言って、わざわざ計量スプーンをいくつも買う必要はない。 まず一つだけ買い、それで水を一杯計って、その水を小さいお玉や洗剤を計るスコップみたいな形の物に入れて、印をつけておけばいいのだ。これを5つ6つキッチンに転がしておくだけで、計量にかかる手間はかなり違う。
そしてまず道具よりも、何をおいてもメニューの工夫である。
油を使わない料理を作るのは、テフロンのフライパンを買うよりも簡単だ。
1、グリル焼き、オーブン焼き
2、蒸し物
3、煮物
4、汁物、椀物
5、和え物
これで5品も揃うではないか。 わざわざフライパンで、油のないチャーハンを作って「混ぜご飯」なんて呼ばれるよりもよっぽどスマートだ。
加えて、最近ではレンジ料理がとても充実している。 医者からカロリー制限を申し渡された日、台所に立って途方に暮れた私が咄嗟に頼ったのは、オーブンレンジを買った時に取扱説明書と一緒について来た料理ブックだった。 ミートローフ、ローストポーク、ココット、鳥の照り焼きなど、子供たちでも好きになれる料理がたくさん載っていて、それがすべてノンオイルで出来ると判って本当にほっとしたのである。
「アイスケーキを作るのにシュ〇ーカットを使ったのよね。 でもあまり甘くないもんだから、何倍も入れたらお腹が緩くなっちゃって。 でも下痢したら痩せるからいいわよね。 今日から抹茶ミルク作るときもこれにすることにしたわ、どうせ下痢はするんだし」
何か2重3重に間違えている気がするのだけど、紺野ばばあは人の話を聞く人ではないから放っておくことにした。