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魔女のキッチン  作者: 友野久遠
4章 魔女と菩薩は紙一重 
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3、生物学的に弱い生き物、それが我が家の男サマ

 「つくづく、チャチい体だなー」

 からかい半分で言ったことがある。 確か亭主がメニエールの治療で、耳鼻科に通っていた時のことだ。 最初脳梗塞と間違えて大騒ぎしたこの病気は、その後もかなり長い間、周期的に亭主の平衡感覚を奪って日常生活を脅かした。

 とにかくフラフラして起き上がれなくなるので、取るものも取り敢えず病院にいくしかない。 それでなくても休みがちだった仕事にやたらと穴が開く。

 

 そのメニエールの治療が画期的に成功したのは、鳥取に転勤した期間だった。 鳥取の大学病院に行ってみたところ、当時最新の治療法を試してくれたのである。 一言でメニエールといってもタイプだか種類だかで一括りにできないものらしく、その原因も治療法も、これが最高というものはまだ確立されていないようだが、亭主は大学病院でいろいろ試してみるうち「極小の電気あんまのような機械で、内耳の『石』を移動させる」治療が効果的だったと言っている。 専門家でない私が専門家でない亭主から聞いただけなので、例によってオトボケファンタジーみたいな説明になってしまうのだが。


 「どうもさ、内耳の中で、石みたいな小さい部品が剥がれて、正しい位置にいない場合があるらしいんだ。 それを、バイブっぽい機械でブーンて振動させて、元の位置に戻すんだよ」

 「石が剥がれてるって……部品が取れた的な?」

 「部品言うな。 とにかくそれが終わったら嘘みたいにめまいが引いてるんだ。 今まで、薬もらって長々と寝てるだけで、効いた感じなかったのに一発だぜ」

 「ほー、ネジが取れたのをはめてもらったのかー。 よかったね、ロボットみたいだね」

 「ロボット言うな!!」

 「じゃあ、糊が剥がれた子供の工作かしら」

 「お前、わざとチャッちくしてんだな?」

 「だってチャッちいじゃんか」 

 冗談じゃなく、私はこの当時から、亭主の体の作りが安っぽく見えてしょうがなかった。

 結婚してすぐに思ったものだ。 なんでうちの王子様は、いつ見てもどこかかしこか体調が悪いのか。 




 大体、狭心症の診断が下る前から、体質上のトラブルが多い男ではあった。 病弱というほどではないけれど、少なくとも丈夫とか頑健といったイメージからは程遠い。


 まず、アレルギー体質である。 だから、春になると花粉症で寝込む。 鼻が詰まって頭痛がするだけでは済まないで、結構深刻な熱が出るのである。

 検査をしたら、スギ花粉、ヒノキ、ブタクサなどの植物の他に、ハウスダストはもちろん犬や鳥にもアレルギー反応が出た。 そして、前述のバイパス手術の時に、アルコールにも強いアレルギーがあることがわかったのである。 皮膚の上を脱脂綿で拭いたあと、そのとおりにくっきりと「腫れのライン」が現れたのだ。 以後は注射のたびにイソジンで殺菌してもらい、皮膚を真っ黄色にされて帰って来る。

 一般的に下戸というのは、肝臓でアルコールを分解する機能が弱い人を言う。 「歩行者用信号機」とあだ名された本人は、自分を「下戸」だと思っていたのだが、これが実は酔いでなくアレルギー反応だったのではないか、と医者に言われて納得した。 


 皮膚そのものも弱い。 アレルギー体質者のご他聞に漏れず、アトピー性皮膚炎があるからだ。 頭は脂漏性湿疹という症状で、とんでもない量のフケが出る。 枕はホワイトチョコレートをまぶしたようにテカテカになり、頭皮は汗負けをしてすぐに出血する。

 日焼けも大敵である。 同行者が誰も焼けてないのに、1人で真っ赤に焼けて翌日熱を出す。



 加えて、重いものが持てない。 腰が悪いのである。

 「椎間板ヘルニアなんですよ。 現場の工事関係やってたもんで」

 よく会う人ごとにそんな風に説明していたのだが、これにごく近年、専門家のダメ出しが入った。

 「工事関係の部署にいらしたのは20代の頃で、もう30年は経ってますよね。 椎間板ヘルニアは、そんな長い間続くもんじゃないですよ」

 大学病院の整形外科の先生が言うには、椎間板というのは柔らかい物質なので、骨と骨の間で圧迫されて外にはみ出す「ヘルニア」状態になっても、次第に元に戻るのだそうだ。

 「でも先生、治らないから手術する人がいるじゃないですか」

 「あれは治らないわけじゃないです。 ただ治るのを待っていたらそこそこ時間がかかるんで、痛みとか仕事とか、いろんな事情を考慮して手術になることもあるんです」

 

 いや、それなら亭主の腰は何なんだ。 毎日のように痛い痛いとマッサージをさせるアノ痛みはどういうことだ。 座ると同時にどこでもかしこでも馬乗りになって腰を揉まされるので、友人とキャンプに行って草原に座った時には「夫婦で昼間からエッチな行為に及んでいた」と噂を立てられたんだぞ。 

 舟木の接骨野郎にさんざん儲けさせたあの腰痛、結婚して以来荷物も持ってもらえず高いところの物も取ってもらえず、妊娠中も野菜だらけの荷物を両手に抱え、背中にも背負って、亭主の後ろをのしのしと歩いたあの苦労は一体なんだったんだ。


 「それは、背骨のここ、ちょっと骨が出っ張ってるんで、ここの痛みなんでしょうね。 はい、これは手術で削らないといけませんね」

 整形外科医、結局椎間板ヘルニアじゃないことになんの意味もないくらいのあっさり感で手術を決行。 これによって30年来の腰痛は解消した、かに見えたのだが。


 その後、たった1年で腰痛は再発してしまったのである。 舟木が飛び上がって喜んだ。

 「どこかで転んだのか? 軽く手も捻挫してる。 ははあ、階段踏み外して、背中がコキッとなったのね。 めでたく腰の筋が腫れまくり。 3ヶ月はかかるねえこりゃ」

 「3ヶ月だ?」

 「ガラスの腰が健在で嬉しいよ。 手術なんかしちゃうから寂しかったじゃないか」

 「おい待てよ、普通そんなんで壊れるか? コキってだけだぞ」

 「腹の脂肪を支えるだけの腹筋がないんだってことだね。 それ以上メタボったら、サオが届かなくなっちゃうぞ」

 「何の話か!!」

 見ろ、何もかもが壊れやすい上に、年々悪化しつつあるのだ。 このままだと我が家の家計は大半が舟木と大学病院に持って行かれるぞ。

  



 そして、体調は血液循環の加減なのか、いつもあまりよくない。 不定愁訴っぽいものがある。

 「ああ、疲れた」

 仕事から帰ったら、必ず口にする。 結婚当初からそうだった。 その程度なら帰宅時の一般的なセリフと思われるかもしれないが、これに続きがある。

 「本当に疲れたよ。 いや、今日は特別大変だった、こんなに疲れたのはほんとに久しぶりだ」

 本人はすっかり忘れているらしいが、実はこのセリフは昨日も言ったし、その前も言ったし、考えてみるとほぼ毎晩、迎えに出た私の耳に流れて来ているのである。 ある日ハタと気づいて、疲れたと言った日のカレンダーにマルをつけてみたら、1ヶ月で29日マルがついた。 つまり休日も含まれているのだ。 

 判で押したように毎日繰り返しておいて全く気づかないことにも呆れ返るが、もっと呆れるのは、翌朝も同じセリフが繰り返されるということなのだ。 たっぷり眠って自分から起き出してきた亭主の口から、いの一番に飛び出すセリフが「ああ、しんどいなあ」だ。 そのあとに、「今日は特別しんどいよ。 こんなに疲れてるのはよほどのことだ」と続くのだ。 つまり、毎朝毎晩、これまでにない程疲労し続ける自覚症状があるということなのである。 これは一体、どこの老人の日常であろうか。


 「それはあれだよ、今日子にもっと甘えたくて言ってるだけじゃないの? ちゃんと労ってあげてる?」

 母に言われるまでもなく、その可能性については私も考えた。 私の性格でベタベタの甘甘にはなっていないだろうし、亭主からすると淡白な構われ方なのかもしれない。 それで反省して、疲れたと言われる前になるべく手厚く労ってあげることにした。 お疲れ様と玄関に迎えに出て、出来るだけの言葉をかけ、起き抜けには体調を気遣い、行ってらっしゃいの時も、無理しないで早く帰ってきてねと言い、マッサージをし、お茶を入れてヨシヨシしてやっていたが、それをしてもしなくても結局まるで変化なく疲れている。


 判で押したような話が、最近他にも見つかった。 このエッセイを書くために、昔から書き溜めていた記録を整理していた時、子供の日記帳を発見したのである。

 日記といっても、子供達が自分で書いたものではない。 筆跡は私のものである。 実は、小学校入学間近になっても全く平仮名が読めなかった長男・司に、少しでも文字に興味を持たせようとして、寝る前にその日あったことを目の前で「供述筆記」してやっていた時期のものだ。 一日を振り返って、蘭のことと司のこと、かわりばんこに書き取ってやった。 1年くらいで慣れて来て、蘭の方は自分で書くようになったので、親子の交換日記に発展させた。 蘭が4年生になり、宿題が多くなったことが原因でやめてしまったが、合計で3年くらい続けている。


 この3年間に3回「父さんが熱を出して……」という記述があるのだ。 それも1回目が正月の1日、2回目が翌年1月4日、3回目は翌々年1月の2日ということになっている。 正月ごとに熱を出しているのだ。 

 これは衝撃的だった。 私の記憶ではそこまで特別、正月ばかり寝込んで大騒ぎした印象がないので、症状自体は深刻なものではなかったのだろうが、新年の長期休暇中に具合が悪くなって軽く寝込む、ということを繰り返していたことは間違いない。 日頃無理をしている人間がまとめて休みを取った時によくある症状ではないかと思う。 


 確かに仕事は大変なのだ。 楽をしているとは決して言わない。 が、組合がしっかりした大きな会社なので、独身時代の私みたいに寝る間もなく残業漬けにされていたわけではない。 週休2日で年休もきちんと消化させてくれるし、アフター5の付き合いはゼロではないが、飲めない亭主が最短時間で逃げ出しても、それでとやかく言われることはなかった。 仕事以外で無理をするではなし、期間限定ならともかく、1年中となるとそこまで疲労困憊するようなブラックワークではないのである。   

 にも関わらず、亭主は年中やたらと疲れていたし、定期的に熱を出した。 そして、たった37度こっきりの熱で、ぐったりしてまったく布団から起き上がれなくなってしまうのだ。 この崩れやすさはなんだろう。


 「男は弱いからな」

 我が白馬の王子よ、そこでも男サマの陰に隠れるのはいかがなものか。

 「私もそこまで頑健な体じゃないけど、薬飲むほどの熱は滅多に出してないわよ。 結婚してから産婦人科と歯科以外で通院したのは数える程よ。 風邪で熱を出した時、前回の発熱で病院に行ってもらった薬の残りを飲もうとしたら、11年前の日付だったことがあるわよ」

 「それはお前、絶対頑健を通り越して鉄人状態なんだと思うな」

 「おまけにその薬を貰った時ってインフルエンザだったんだけど、家族が相次いで倒れたあと最後に貰っちゃったもんだから、みんなすっごく冷たかったわよね。 誰もお粥を食べたがらず作りたがらず、病み上がり揃いだったせいで皆それぞれ忙しく出かけちゃって、私は39度の高熱だったのに誰も食器を洗ってくれなかった事に腹を立てて、これみよがしに起きて家事をしているうちに熱が下がってしまったじゃない。 もともとはあんたたちの看病で疲れたから発病したのかもしれないのに馬鹿! ああッ、思い出したら俄然腹が立ってきた!」

 「お前って絶対長生きするよ。 元気の素はその復讐心だな」

 

 恨み晴らさで死なりょうか。

  

 亭主のその後を書きました。 

 次の章では、子供たちの成長を書こうと思います。 亭主の病気の、今の状態を書くのが先かとも思いましたが、その前に我が家の現在に至るまでの家族の様子を描写してからでないと、いろいろわかりにくいので。 

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