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魔女のキッチン  作者: 友野久遠
4章 魔女と菩薩は紙一重 
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2、血液はサラサラならなんでもいいってわけじゃないし、「バランスの取れた食事」は「肥満しない食事」ではない!

 「薬を替えましょう、あまり思わしくない」

 亭主が定期的な診察に通っている大学病院でそう言われたのは、手術から6年後のことだった。

  手術後の閉塞状況が心配だというわけである。




 手術以来、私たちは家族で躍起になって亭主の体重管理をしていたのだが、努力虚しく術後4年目に体重は激増した。 まず1月、鳥取に転勤が決まった亭主が、3ヶ月早く単身で赴任し、学校のある蘭と司が進級するのを待って、私と子供たちが後を追いかけた。 そのたった3ヶ月で、3~4kg簡単に増えてしまったのである。 

 単身寮では朝夕2回、バランスのとれた食事が出るので大丈夫、などと思っていたら大きな間違いだった。 バランスは取れていてもご飯やおつゆはおかわり自由、量的にも男性の若い社員が満足するだけのボリュームを基本としているわけだから、「日常的にバランスよく」カロリーオーバーするのである。 単身寮は職場のすぐ隣で歩く必要もなく、就業から5分で帰宅、酒を飲まない亭主は、家族もいない部屋で寝る時間までテレビを見るばかり。 これで間食をするなというのが無理な話で、しかもどれだけ間食をしたって止める者はいないのだ。


 「土日は寮の食事がないから、変なもの食べてまた太ったら大変だ」

 単身中、亭主はそう言って、金曜の深夜に必ず私と子供たちが残る社宅に戻って来ていた。 車で5時間以上かかる道のりを、毎週何があっても戻って来て、日曜の深夜に鳥取に出て行くのだから、ろくに休んだ気はしなかっただろう。 

 「こんなに遅くなって、疲れるでしょう。 無理して毎週戻ってこなくていいのよ?」

 模範的なオクサマとしては、玄関口で一応気遣いの言葉をかけるが、胸の中では心の声が「帰っても意味ないだろ」と嘲笑う。 変なもの食べてないはずの亭主のボディが、毎週見るたびに膨張しているのだ。 4月に子供達と一緒に鳥取に引っ越したあとで、私が真っ先にやったことは、亭主の背広を一回り大きなものに買い換えることだった。


 しばらく別々に暮らしていて、さてまた一緒に生活しましょうということになると、改めて気づくことが多々ある。 よく「うちの亭主は縦のものを横にもしない人で」という言い方をするが、我が家の亭主はそもそも自分が縦にならない人だ。

 家に帰ってご飯を食べて、ごろりと横になったら全く起きない。 風呂とトイレ以外のことで体を起こさないのだ。 立って歩いている姿を見ないばかりか、座って何かしていることがほとんどない。 新聞を読むのもテレビを見るのも座った姿勢ではやらないのだ。 

 休日になると、お早うと起きて来たらすぐテレビの前にごろり。 そのまま枕に頭をつけて1日過ごす。 食事の時とトイレに立つとき体を縦にするだけ。 あとは何もかもリモコン任せ。


 新婚時代はよくそれで喧嘩をした。 亭主がテレビのスイッチをリモコンで「ピッ」、エアコンを「ピッ」としたあと、「ん」とこっちに手を出すからである。

 「え? なに?」

 「何じゃない、お茶だろ」

 「私はリモコンじゃない! せめて口をきいたらどうよ?」

 「夫婦なんだから、そこは阿吽の呼吸でサッと出せよ」

 「わからないから言ってるんじゃなくて人権無視だって話でしょ。 私とは口も聞きたくないっての? 感じ悪い!」

 亭主が理想とする「息の合った夫婦」は、会話を必要としないものらしい。 しかし実際それをやってみると、「亭主を理解し、いつでも観察して次の行動を予測する妻」と「妻が何をしたくて何を考えているか、まったく理解も予想もしようとしないのに、そばにいるかいないかだけはひどく気にする夫」の組み合わせであるに過ぎない。 阿吽の呼吸も一方通行だ。


 とにかく亭主は体を起こさずに土日を過ごし、月曜日は「腰が痛い。 おかしいな、昨日しっかり休んだのに」などと不思議がる。 私だったら、あんなに長時間横倒しになっていればそれだけで背骨の調子が悪くなると思うのだが、男サマの頭の中では、あれが「休んだ」状態であるらしい。

 鳥取で一緒に生活できるようになった時、一番に気になったのが、とにかく寝ているな、ということだった。 地元にいた頃には、知り合いが多くて町内会に引っ張りこまれたり、体協のバドミントンサークルに参加したり、町内に残っている同級生と会食したりして、家を空けることもたまにあったから、さして気にならなかった。 単身赴任中は会社以外の付き合いがないので、出かけることがないというのも理由としてあったのだろうが、それにしてもせめて座って休めばいいのにと思った。


 運動に出かけなくなった亭主は、食べたら食べただけ体につくようになった。 間食グセも悪化して、少々の食事制限は焼け石に水だった。 そして、2年間の鳥取生活の後、地元に戻ってもとの大学病院を訪れた亭主は、すっかりポッチャリさんになっていた。 それを見て、懐かしい主治医の伊丹先生が例によって各種検査のフルコースをやり、薬を強化することを提案したのである。 先生もこの状態ではと心配になったのだろうと想像している。


 新しい薬は、タチが悪かった。 血液をドロドロにしないための薬なのだから、効果があったと言えば言えるが、血管の中だけならともかく、外に流れ出た血も一向に固まらないので、どんな小さな出血も止まることがなかった。

 出勤前にヒゲを剃っていて、ちょっと切れてしまっただけの1ミリ以下の傷が、夕方になっても塞がらない。 放っておくと30分後に血が首まで垂れてくるので、カットバンを貼っておいたら、血だらけになるので会社で3回取り替えたそうだ。

 「これ血友病と同じじゃないか?」

 危険な予感がした。


 ある晩、亭主が血だらけで帰宅して大騒ぎになった。

 自転車通勤をしていたのが、夜道でほんの軽く転倒し、あちこち擦りむいたまま残りの帰路のペダルを踏んだところ、玄関灯の明かりで改めて見ると、通り魔にメッタ刺しにされたのかというくらい血まみれになっていたのである。


 しかもこの時たまたま、私と娘が出迎えて、しょうもない冗談をやった。

 玄関ブザーを鳴らした亭主に、7匹の子ヤギごっこで迎えたのである。

 「手を見せてごらん。 お父さんの手は綺麗な白い手よ。 お前は狼だろう!」

 「バカ野郎さっさとあけろおおお!!」

 新聞受けから手ぐらい出すかと期待していたら、いきなり怒鳴りつけられた。 まあ無理もないけど。


 その後も何かと大変だった。 大便で肛門が切れただけで出勤が危うくなる。 虫歯で歯医者に行くだけで薬を止めなければいけないので、いちいち入院を考える。

 亭主が「あ、イテテ」と声を上げただけで大騒ぎする。 もしももっとひどいケガをしたらと考えるだけで怖くなる。 正直言って、血管が詰まるよりもそっちのほうが恐怖感が強かった。

 あまりにもひどいので、定期検診の時に訴えて薬をもとに戻してもらった。 

 「でも、詰まりやすくなるんですよねえ」と言われながら。


 

 「もう一度、カテーテル入れてみませんか」

 そう言われたのは、手術から11年経つ頃のことである。 

 大学病院は、県外の同じ大学病院同士で医師の移動がある。 主人の主治医も最初の伊丹先生から2回替わって、市橋という中年の先生になっていた。


 カテーテルが検査ではなく、実は手術の一種であることは前述した通りである。 そしてこの当時になると、カテーテル関係の手術様式にも、いろいろな新技術が取り入れられ、バリエーション豊富になっていた。

 「バルーン」という言葉と、「ステント」という言葉を教えてもらった。

 「バルーン」とは、カテーテル検査で詰まりが確認された部分に、極小のいわゆる風船のようなものを入れて膨らませ、詰まりを解消するやり方で、血管壁にこびりついたドロドロが取れやすい反面、取れた欠片が脳や心臓に飛散して危険な状態になる恐れもあるとのこと。 

 「ステント」は、血管に、これ以上狭窄しないように人工の壁を入れるやり方である。 Wikipediaを見ると、「冠動脈の狭窄している部分にステントを留置して血管内部から支え、狭窄を改善して十分な血流を得る治療方法である。先端にステントを載せたバルーンを持つカテーテルを、大腿動脈や腕の動脈から血管に挿入する。バルーンを狭窄部に進め、そこで広げるとステントも広がり、狭窄が改善される。広がったステントを残してバルーンカテーテルを抜き取ってもステントは血管内に残り、狭窄部分を内側から支え続ける。ステント表面から再狭窄を防ぐ薬剤が溶出するものもある」と載っている。

 もちろん危険もあり、ステントは異物であるから、そのこと自体に体が反応することもある。 逆に狭窄しやすい物質が溜まることもある。 そうでなくても、血管の中に段差がつくので、そこめがけて澱が溜まりやすくなるものでもあるようだ。


 「もうさあ、結局いいことづくめってないんだよね。 何もやらなくても危ないし、薬も危ないし手術やっても危ない、つまりは『どの危険がお好き?』ってことじゃんねえ」

 ブツブツ言いながら、2度目のカテーテル検査を受けた。 そしてその場でステントが2本入ったことを、術後の画像で知らされた。


 亭主の心臓を再び目にしたときの印象は、前と違っていた。

 「こいつ、グレたな」となんとなく思った。

 以前は、ただひたすらにむっつりした不気味な印象を感じる心臓だった。 殺人鬼に変貌する前の病んだ人間が、人前でそれを露呈しないように、異様におとなしく沈黙している状態に似ていた。

 今回、久々に顔を見た心臓は、違った意味で不気味だった。 相変わらずむっつりして静かだったが、どこかふてぶてしい感じがしたのだ。


 取調室で、刑事の詰問を受け流して頬杖をつく犯人。 何が出てきても自白なんかするもんか、そんな決意とともにしらっと天井を見る。 そういう人間の表情が何故か目に浮かんだのである。

 殺伐としている。 まさか心臓にそんな表現を使う日が来るなんて思いもよらなかった。 

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