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魔女のキッチン  作者: 友野久遠
2章 はじめまして心臓さん
26/45

11、目の前でボキッとちぎって見せないと判らない人種がいる

 幼稚園に司を迎えに行くと、担任の先生がちょっとイラついた様子で「居残り保育」のお部屋から出て来た。

 「司くん、ちょっと叱ったらいじけてしまって」

 司は保育室の隅で丸くなり、指を口に入れたままボーっと宙を見ていた。


 「回尖塔が破損したので使用禁止にしてあったんですけど、司くんが何度もぶら下がろうとするのでちょっと強く叱ったんです。 そしたらお部屋へ駈け込んで、しばらくしたらこんな状態になってしまって。 話しかけても返事もしないんですよ」

 反抗的な子供に内心腹を立てている様子の先生に、私はまず質問した。

 「お昼に、お弁当全部食べました?」

 「はい?」

 「残したんじゃないですか」

 「あ、ああ、そう言えば中にお茶をこぼしちゃって、食べられなくなったものがあって半分くらい残したんです」

 「やっぱ燃料切れか」


 私は司の前にしゃがみ、顔を覗き込んだ。

 「つか」

 返事はない。 ぼんやりした顔で、目だけが動いて私を見た。

 「おにぎりあるけど、食べるか?」

 当時まだ発売されたばかりで目新しかった「海苔が別包装になったコンビニ風のおにぎり」を、病院の売店で発見して買って来てあった。 ビニールをパリパリやると、司はふっと手を伸ばした。

 「香川さん……」

 ここは叱るとこですよ、と言いたげに先生が眉をひそめるのがわかった。 こんな甘やかし放題の親だから、と内心で鼻を鳴らしたろう。


 おにぎりを食べ終えた途端、司は床から跳ね起きた。

 「おっし、エネルギー充填!!

  つかさムーンスクライバー、発進します!」

 「待て待て待て。 まずママと話をしよう」

 すぐに外に飛び出して行こうとする息子を抱きとめて、目を丸くしている先生の前に立たせた。

 「先生、この子は極限までお腹がすくと、全然動けなくなるんです。

  体が小さいから、一度にたくさん食べられなくてご飯まで持たないんです。 お弁当を出来るだけ高カロリーにしてるんですけど」

 「それにしても、返事もしなかったんですよ」

 「昔からそうなんです。 もしかしたら低血糖症かもって検査したこともあるんです。

  赤ちゃんの頃は、お腹がすいてる時に予防接種しても泣かなかったくらいで、反応ゼロになっちゃって」

 「へ……」

 変な子、と明らかに言いかけて、先生は慌てて口を塞いだ。


 「つか、ママに聞きたいことあるんじゃない?」

 司の目をまっすぐ見て言うと、コクンとうなずいた。

 「ママ、かいせんとう、って何?」

 やっぱりわかってなかったか。


 「回尖塔はメリーゴーランドの事よ」

 「遊園地にあるやつ! 馬がかっこいいやつ」

 「違う違う、ここのお庭にあるやつよ」

 「ママ、お庭はお家の外だよ。 ここのはお庭って言わないんだ、えんてい、って言うんだって」

 「はいはい、園庭を覚えたのね、おりこうね。

  その園庭の真ん中に、くるくる回るピンクのお道具があるでしょう。 あんたが一番お気に入りの、ベルの形の遊具よ」

 「ああ、あれか! あれね、今日ね、誰か悪い奴がね、テープで動かなくしたんだ。

  俺、外してあげたよ」

 「外しちゃダメなのよ。 あれは故障してるから、今日は使っちゃいけないってことなの」

 「えええ? 壊れてなかったよ?」

 「じゃあ、今から見に行ってみようか。

  先生、壊れたところを教えてやってください」

 

 あっけにとられたように見守っていた先生に声をかけ、暗くなってきた園庭に出る。

 「ほらー、どこも壊れてない、遊べるよ!」

 司はすぐに大好きな遊具にぶら下がろうとする。

 「あああ危ない! そこじゃなくて隣、隣が外れかけてるのよっ」

 先生が悲鳴を上げんばかりに慌てて、司の体を止めに来る。

 見ると確かに、すぐ隣の握りの鉄棒は、錆が原因でジョイントが外れかけていた。


 「司! よく見て!」

 私はその鉄製の握りを思い切り引っ張った。

 ギン、と音がして、鉄棒のまるまる一本が簡単に外れてしまった。 メリーゴーランドががくんと揺れ、上下に大きく暴れる。

 「うっわー、とれちゃった!」

 驚いた司が私のお尻にしがみついた。

 「壊れて取れ掛けてたんだよ。 もし今、つか坊がこれ握ってたら、今頃あの辺まで吹っ飛ばされてたぞ。 そんで、反対側にぶら下がってた子がいたら、あそこに落ちて下敷きだ」

 「あっぶねー!」

 「だから、修理が終わって先生がいいですよって言うまで、使ってはいけません。 わかりましたか」

 「はい! 司一号機、了解しました」

 司の返事はパロディだったが、視線はこわそうに、まだ揺れている遊具に注がれていた。



 「香川さん、さすがお母さんですね。 司くん、ちゃんとわかってるんですね。 

  私、あんなふうに説明することは考えてませんでした」

 正門まで送ってくれながら、先生が申し訳なさそうにもじもじしながら言った。

 「先生、司は人より、体や頭で一遍に処理できる物事の容量が少ない子なんです。 他の子とテンポが合わないかも知れませんが、一つずつ見せたらわかると思います。 

  できるだけゆっくり教えてやってください、きっとわかりますから」

 頭を下げながら、それでもだめだろうな、と思った。

 幼稚園の先生に、ひとりひとりの子供を充分理解する時間がそれほどないことは、私自身の経験でよくわかっているのだ。 このテンポの子供に合わせて全体を動かしていると、理解の早い子が退屈してバラけてしまう。

 せめて反抗しているのではない事だけはわかってもらえた、それだけで今日は良しとしよう。

 一番いけないのは敵を作ることだ。 司にも私にも、誰にとっても。




 「ママ、明日の夜がお泊りになるんだよね。

  お洋服、明日と明後日のだけでいいの? 園服は一枚で大丈夫なの?」

 夜になると、しっかり者の蘭は早々に自分のお泊り荷物を集め、大きくなり過ぎる鞄をいかに整理するかで悩んでいた。 この娘は日頃の幼稚園の荷物も、帰宅するなり次の日の物をセットして置き、夜寝る前と、朝出かける時に必ず点検をする。 まっこと園児の鑑である。

 園にいる間も、蘭は先生のいう事を一言も聞き漏らすまいと気を張っているので、いつ見ても怖い顔をしている。

 「今日はすっごく面白かったよ」

 毎日楽しげに園での出来事を報告してくれるのを聞きながら、

 「あの顔でホントに楽しかったのかなあ」

 親としては疑問が湧いて来る、そのくらい生真面目な園生活を送っている蘭なのだ。


 完全燃焼型の娘は、毎晩8時にはスイッチが切れて爆睡する。 夜間はどんなに起こしてもビクともしない。

 だから、彼女の唯一の欠点は、「夜尿が治らないこと」だった。

 起きれない上に尿量が多いので、紙おむつをしていても溢れることがある。 おねしょパットにビニール敷きまで併用していても、引越しのたびに畳の取り換えを要求される徹底したおねしょ娘である。


 「いいわよ、おねしょくらい。 姉ちゃんのところの真央ちゃんたちがさんざんやった専用布団があるし、でかい紙おむつも残ってるわよ」

 こういう事になると、実家の母は親の躾がどうのとうるさいことは口にせず預かってくれるので、娘としてはとても楽だ。

 「昔は6人も7人も子供がいたから、中にひとりくらいおねしょ坊主がいたもんよ。

  うちの弟だってさ、ほら、神戸にいる正志おじさんなんて、今で言う中2くらいになってもぜーんぜん止まらなかったんだから。 それでもみんな、例えば大人になってから社内旅行で笑われる人なんていないでしょ。 どうにかなるもんなのよ」


 こういうざっくりした言い方をしてくれるので、緊張しやすい蘭などは、「にゃんこばあちゃん」の家に泊まるのが大好きだ。

 しかし今回、私はあえて彼女に釘を刺した。

 「いい? 蘭。 にゃんこばあちゃんは大変なんだからね。

  真央ねえちゃんをしょっちゅう預かってた頃とは違って、今はおじいちゃんの食事しかいつも作ってないんだから、急にやるとなるとすごく忙しいのよ。 おじいちゃんの食事は、うちと同じで手間がかかるの、わかるね?」

 「うん、フライパンがダメなんだよね」

 「あんたは自分のことが自分で出来ると思うけど、今回は司のこともよく見てあげて、おばあちゃんに手を掛けないようにしなきゃダメよ」


 そう、以前から「預かるのが難しい」と言われていた理由は、単に年齢的なことだけではないのだ。

 うちの父は、10年前に膵臓を患い、食事を制限されている。 我が家の亭主のカロリー計算とは多少異なる、油を中心に制限した病人食を食べているのだ。

 この母が制限食と格闘する様子を、私は高校の頃から目にして来た。 まさか自分まで同じようなことをやる羽目になるとは夢にも思っていなかったのだが。

 そして、学生だった当時にはわからなかったことが、今はよくわかってしまうのだ。 制限食は、調理の手間も馬鹿にならないが、一番重要なのはそれを人数に合わせてぴったりと等分することなのだ。 自然、子供がいるのと大人だけなのとでは手間が全然違ってしまう。 

 子供の場合、大量に食べられなくてもカロリーは落とせない。 野菜と同じに魚や肉も半分にすればそれで子供用になるわけではないのである。


 普段365日、夫婦で二人分を作ってわけて食べている家庭に、子供二人分を足して作れと言うのは、制限食と全く別の計算でもう2食作れと言うのと同じことなのである。 自分の用事が一人で出来る蘭はともかく、司のように手のかかる子の相手をしながらでは、いつまでたっても父の食事は仕上がらないだろう。

 そのことが判るだけに、申し訳なくて仕方がない。

 

 亭主などは、何故私がこれほど実家に遠慮するのか、実の親子だしもっと甘えてもいいんじゃないか、と不思議に思っているようだ。 「他の奥さんは、実家が近かったらもっと気軽に預けに行ってるぞ」などと簡単におっしゃる。

 一体誰のせいなんだ、と言いたい。

 こいつにも、いちいちボキッとちぎって「ほら壊れただろう」と見せないと判らないんだろうか。


 

 そんなわけだから、翌朝、2人の子供を幼稚園に送り込んでから、荷物を預けに実家にを訪ねた時、私はちゃんとお土産を持って行った。

 「母さん、ごめんね。 よろしくお願い。 こいつは差し入れでやす」

 父に内緒で、生協の冷凍ミニ天ぷらのセットを母に手渡したのだ。

 「おおお! 1年ぶりの揚げ物が! ありがたいでやす」

 母も、父に聞こえないように小声で言って笑った。



 大学病院の個室は、最近立て替えたばかりというだけあって、ものすごく近代的な設備が整っていた。 デザインも病室らしくなく、どこかのビジネスホテルのようなつくりだ。

 ちょっと寝不足らしい姑の横で、亭主は思ったよりも元気な様子だった。 ベッドからは起きられないし、全身にやたらと管がつながっていて、補給・排泄を助けている状態だが、表情は明るかった。

 「もうさ、この人、俺が逃げられないだろうって言うんで、ここぞとばかりに喋り捲るんだよ。

  夕べから10年分くらい世迷言を聞いてやったから、そろそろ交代してくれよ」

 一晩泊まり込みで看病してくれた母親を捕まえて、そんな軽口を叩く。 今朝から水や流動食を口から採れるようになったので、今夜の食事は少しずつ固形食も出ると言う。 ひとまず心配のない状態のようだ。


 「……で、聞いたんですか? 麻生さんのこと」

 姑を病室の出口まで送って行って、別れ際に迷った挙句聞いてみた。

 「聞いたは聞いたけど」

 あまり歯切れのいい返答ではない。

 「一平の言うには、なんだか難しいお嬢さんで、会社でちょっといじめだか村八分? みたいなものに会って、急にボンと出勤しなくなっちゃったりして困ってるんだって。

  会社からも文句言われてるんだとかで、俺にどうしろって言うんだよって居直られちゃった」


 うーん、ほんとだか言い逃れだか。

 まあこの程度のことしか本人からはわからないだろうと言うのは予想の範疇だったので、私はこの件について、今夜のところは忘れておくということに決めた。 今はとにかく回復に全力を注いでもらわねばならない。 修羅場をやる体力が戻るまで、不安も不満も手帳に書き込んで保留にしといてやろうじゃないか。


 と、母を見習ってざっくりと構えることにした私だったが、いかんせん敵はそんな風に鷹揚には考えてくれなかった。 このあと、ざっくりが裸足で逃げ出す大事件が続けざまに勃発したのである。


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