表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女のキッチン  作者: 友野久遠
2章 はじめまして心臓さん
23/45

8、今日食べた物が、自分の過去に届くのなら何も苦労はなかったのに

 手術室に入る亭主を、姑と二人で見送った後は、7時間になるか8時間になるか未定だがとにかく長い待ち時間が襲って来た。

 あらかじめいろいろと予測を立てて、仮眠用の毛布や小説や雑誌などを持って来ていたのだが、結果的には何一つ要らなかった。 30分も経たないうちに、姑の姉に当たる月子伯母さんが駆けつけ、姉妹で相当賑やかな四方山話が展開されたので、延々と聞いている他なかったのである。 疲れる事態ではあったが、ひとりで相手をする時よりも姑の話に脱線が少ないのが救いと言えば言えた。


 「一平ちゃんの体質は、モリ子(姑だ)の言うとおり、うちの家系かもしれないわね。 でもねえ、一平ちゃんがあんなに食べ物に執着するのは、絶対に昔食べさせてないからだと思うわよ」

 「私がいろいろ苦労させたものねえ」

 「モリ子じゃなくて航平さん(舅のことらしい)でしょ、苦労させたのは。

  丁度、一平ちゃんが中学に上がる前くらいだったじゃない。 成長期の一番食べたい頃に貧乏させたから、そのせいで今我慢できないのと違うかしらね」

 「あの時はお姉さんにお布団まで貰ったわよね」

 「そうそう、持ってった持ってった」

 「他にも本郷のお兄さんが炊飯器や古い掃除機くれたりして、ありがたかったわ。 でも冷蔵庫だけは当分ないままだったのよね」

 姑がしみじみ言うので、私は仰天した。

 「そんなに貧乏だったんですか?」

 「あら今日子さん、一平から聞いてないの?」

 「離婚なさって女手一つで子育てするのが大変だったから、お金がなかったと言う話は何度か聞いたんですけど、どれくらいって話は具体的には聞いてないんです」


 本人に聞いた話だけではなく、私自身にも一つの記憶があった。

 中学3年の時のことだ。

 修学旅行の帰りのバスで、ほとんどの生徒が疲れてうとうとしている中、不意におかしな場所で停車した気がした。 目を開けると、当時一緒のクラスだった亭主が一人で、荷物を背負ってバスを降りて行くのが見えた。

 

 「え? 田辺君(亭主の旧姓だ)何でこんなとこで降りるんですか? 先生、まだ大川についてませんよね」

 担任に問うと、実に簡単な説明が返って来た。

 「ああ、田辺んちはこの旅行中に引っ越したんだ。 まあ隣町だしな、卒業までもう少しだから、転校せずにここからバスで通うそうだ」


 この時に両親の離婚が成立して、姑と亭主とその妹の3人で、とにかく大急ぎで県営のアパートに移ったのだと言う事情を、私は結婚前に亭主から聞かされていた。 だから、彼らがその後本当に貧しい中を頑張ったのだという事はわかっていたのだが、その日に寝る布団もないレベルとは想像していなかった。 

 田辺というのは地元の人ならよく知っている旧家で、大きなお屋敷や田畑がある家だったから、女が家を出て行く時には普通、そういう物は前もって持ち出しているだろうくらいに思っていたのだ。


 「離婚したから貧乏になったと言うんじゃないのよ今日子さん。 田辺の家は破産して没落したの。 それで、これ以上何にもなくなっちゃう前にって、残り物をかき集めて家を出たのよ」

 「そうよ、ほっといたら借金取りに洗いざらい持ってかれるとこだったから、その前に家を出ろって、あたしがモリ子に勧めたのよ」

 姑と叔母が代わる代わる説明したところによれば、亭主の父親である航平という人は、田辺本家の跡取りで土地も財産もかなり有り、両親に田畑を任せて自分は喫茶店とブティックを経営するなどして手広く儲けていた実業家だったのだそうだ。 亭主はそこの長男として乳母日傘(おんばひがさ)で大切に育てられた。


 しかし亭主が小学校の高学年になる頃、田辺家の運命は突然闇へと転落する。 事業をやる時に互いに保証人になり合っていた航平氏の友人が、会社経営に失敗して大借金を残し失踪、その取り立てが全て田辺家へと押し寄せたのだ。

 店を売り、田畑を手放し山を人手に渡しても、まだ借金は埋まらなかった。 裕福だった田辺家には、自家用車から高価な家電製品、モーターボートまであったが、それらすべてを売り払い、家具にまで売却の手が及んだ時点で、家長である航平氏は家に戻ることをしなくなり、連絡まで途絶えてしまった。

 残された姑は、老いた義父母夫婦と話し合って、取りあえず家を出ようと決める。 せめて子供の学習机にまで手を付けられぬうちに、と思ったのだそうだ。 市内の県営住宅に受け入れを許可してもらい、残った日用品を出来るだけ持ち出して引っ越しを決行、それがたまたま修学旅行の日程と重なったのだと言う。


 夫は自分も子供も、親さえも見捨てて借金取りから一人で逃げた。 姑の胸にはそのことにもちろん大きな怒りがあったが、だからこそ戻って来て、男として責任を取って欲しいと思ったのだ。 引っ越しをしてからすぐに、夫に連絡を取るために奔走したのはそういう気持ちからだった。

 しかしその段になって、初めて明らかになった事実。

 彼女の夫、航平は、ひとりで逃げたのではなかった。

 彼は、それまで関係のあったある女の所に転がり込んでいたのである。


 「私より先に田辺のお(とう)さんが切れちゃって、もう籍なんか抜いてしまえ、あんな息子はわしも家に入れるものか!って。 家なんてとっくに息子が抵当に入れてて、もう無いに等しかったのにね」

 姑が引っ越した後、老夫婦は家財全部を取られ、姑とは違う街の県営アパートに移り住んだ。

 姑の方はその後必死で職を探し、兄姉たちの援助を受けながら高校受験を控えた二人の子供を死に物狂いで育てた。 当時は家にろくすっぽ物がなく、勤めを始めた会社で取っている新聞のチラシを貰っては安い食材を買って帰り、子供たちは来店者プレゼントのチラシを見つけると、欲しかろうが欲しくなかろうが学校の帰りに貰いに寄った。 そう言えば今でも何かやかやと無料の便利グッズを貰って帰る傾向がある亭主だが、ここらへんでついた癖だったわけだ。


 「引っ越しから3年ぐらいたったころに、モリ子のアパートに行って見たらね、テーブルの上にざるが置いてあって、リンゴが3つくらい入ってたの。 それ見て、ああ、おやつが買えるようになったのねえってあたし言ったのよ。 普通の家では、テーブルにリンゴなんて当たり前に置いてあるもんだけど、あそこではそんなの見たこともなかったんだから」

 月子伯母さんはしみじみ言って笑っていた。



 確かにトラウマというのはあり得るかもしれない。

 人の心を一度襲った「飢え」は、その苦しい時期が去った後も、逆の方向に強烈にその人を引っ張る。 本人には抗えない、得体のしれない力で。

 

 実は同じような話を聞いたことがある。 私の父の話だ。

 私の父は、イマドキの言い方で表現するなら「デジ夫」というやつだ。 車や電化製品、とりわけ人がまだ誰も持っていない、新しい商品が大好きで、野放しにして置くとものすごい勢いで衝動買いをやらかすため、昔から母が素晴らしく強靭な力で財布を押さえていた。 それがなかったら、我が家は食べるものが買えないほど新商品に侵食されてしまっていたに違いない。


 家族全員で使うテレビなどは、いつまでもボロボロの白黒だったりしたのに、ワープロやパソコン、車のように父だけが使うもの、つまり母に決定権がないものについては、高価ではないがいつでも最新のものが必ず家にあった。 とりわけパソコンに至っては、まだWindowsが発売されるより何年も前の機種を退職金で買って来て、60歳の父がそれを自分でプログラミングして使いこなしていたのだ。

 口で言うのは簡単だが、これは凄いことだと思う。 何しろ父の受けたのは戦時中の教育のみで、アルファベットはAもBも一文字も読めなかったのだ。

 「今日子、この尻尾の付いた字は、これと同じ文字になるのか」

 パソコンのキーボードには大文字しか書いてないので、小文字の打ち込みになるとさっぱりわからない父が、しょっちゅう私に聞きに来た。 どれどれ、教えて進ぜようとパソコンを見てびっくり、モニター画面いっぱいに、目が痛くなりそうな細かい記号や文字がびっしり並んでいるばかりで何が何だかわかりもしない。 父はパソコンの専門誌を見ながら、そこに書かれたプログラムを何日もかけて打ち込んでいたのだ。 小文字が一文字も読めないのに。


 「凄いなあ」「若いねえ」

 見た人が驚いたり感心したりするのが嬉しいのだろう、父は毎日楽しそうにパソコンを叩いていた。 歳と共にこの「人に驚いてもらいたい」癖はひどくなり、若い頃好きだった歌謡曲を聞かなくなったと思ったら、突然ブリティッシュハードロックなどに入れあげて室内をオーディオルームにしてしまったこともあった。


 「お父さんってなんで、ああなのかな」

 あきれた私が母に聞いてみると、意外な言葉が返って来た。

 「まあ、あれもトラウマってもんなんだろうねえ」


 父の母、つまり私の祖母は、昔あるお屋敷で住み込みの女中をしていたのだそうだ。

 「戦時中は男がみんな出征しちゃって、女の人は子供抱えてどうやって食べて行くかが問題だった。 お婆ちゃんは広島の田舎の旧家に、住み込みで働きに入ったの。 女中さん、今でいう家政婦さんよね。

  で、お父さんはその家から学校に通ってたんだけど、そこんちの長男と同級生だったんだって。

  息子って言えば坊ちゃんだから、お父さんのことは『使用人の息子』扱いでずいぶん馬鹿にされたみたいよ。 学校じゃ平等に出来る筈のことが、やっぱりやらせてもらえなかったりして。

  そこんちの息子はボンボンだから、おもちゃも文房具も最新の物を買ってもらえるでしょう。 で、友達同士では貸して貰えたり、順番に使わせてもらえるのに、自分だけは『お前は触るな』って、一緒に遊んでるのに使わせてもらえなくて、悔しい思いをしたって言ってた。

  だからね、その時の反動で、自分しか持ってないものを見せびらかしたい気持ちになるんだと思う訳よ」


 なるほど、それで超デジ夫か、と私は納得した。

 そういう事もあるとしたら、うちの亭主が「食欲」にあれほど翻弄されるのも、過去の人生に復讐しているという事なのだろうか。

 人間誰しも、絶対に戻りたくないと思う過去がある。

 そこへ踏み込むのを避けるために、不必要に遠くまで走り去ってしまったり、その時の悲しみを癒すために、今は必要のなくなったものを買ってしまったりするのだ。 それはその時の飢えを癒すための行為なのだが、実際にはそれが癒される時はもう来ない。 過去の傷に、今になって薬を付けたところで、何かを治せるわけではないのだ。


 亭主に必要なのは、魔女でも勇者でも食事制限でもない。

 増してや娘や奥さんの小言などでは決してない。

 必要なのは、タイムマシンだ。

  

 あああ。手術の後のことまで書き進めるつもりだったのに、ページが嵩んでしまいました。 来週は手術室を出ますから……。とほほ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ