6、これまで旧知の友人と信じて疑わなかったあいつは、実は見知らぬ奴だった
人の心臓が動く様子を、じっくりと見たことは意外と少ないものだ。
テレビの医療ドキュメントなどで他人の心臓の動きを映す映像が良く出るような気がするが、結構短時間で終わってしまうためか、少なくともその時まで私の脳裏に残っていたのは、静止画の状態の心臓と、それが動くと言うイメージだけで、生々しい動作の印象はなかった。
「下半分、動いていません」
つまり上半分しか伸縮していないという事なのだろうが、全体が振動してはいるので、素人目にはどこが異常なのかはっきりとは判らない。 テレビでやるように正常な心臓と画面2分割で出してくれればわかるのだろうが、撮れたての画にそういう贅沢を言ったって始まらない。
にも関わらず、私はその心臓を見た時、心の中で叫んだのだ。
「お前、誰だ?」
まるで他人のように見える心臓だった。 何しろ亭主の心臓とはもう長い付き合いだ。 姿をお見かけしたことこそなかったが、音だけはしっかりと耳に沁み込んだ、長年の電話友達みたいなものなのだ。
人の胸に耳を当てて聞いてみると、心音という物は人それぞれでかなり違った音色を持っているものだ。
修学旅行の夜、布団に寝転んでふざけていたら、
「今日子の心臓、変な音! キットンキットンって言ってるぞ」
と笑われた。 笑ったのは、パパをマサオと呼ぶ友人、藤崎みゆきだった。
お返しに聞いてみたみゆきの心臓は、「ショックンショックン」という、なんだか物を齧るようなおいしそうな音を立てていた。
子供たちの心臓は、小ぶりだが軽快な響きで歌うように打つ。 蘭の心音は「ザァゴッザァゴッザァゴッ」、司のは「ビシュビシュビシュ」と聞こえる。 子供の学習図鑑の付録だった聴診器を使って聞いてみると、私の心音はやはり「キットンキットン」で正しいような気がする。
さて、亭主の心音はというと、これまで私が聞いた誰の物よりも派手な音で、胸全体を揺さぶるように暴れ打ちをする。 「ガシュコッ! ガシュコッ! ガシュコッ!」と、丘を登る蒸気機関車の様な重量のある音を立てるので、彼の心臓は人の1,2倍くらいはあって、武骨な砲丸投げ選手に似た筋肉を持っているような気がしていたのだった。
悪く言えばうるさく暑苦しく強引な、よく言えば男らしく力強さがあるその響きは、いかにも亭主そのもので、なるほど心音は人格を表すのだなあ、と、私はこの音を聞くたびに納得したものだ。
カテーテル検査の青白い画面に現れたそいつは、私の知らないのっぺりした奴だった。 そいつの顔を見た途端、私の脳裏に浮かんだものは、何故だか幼稚園で見た司の表情だった。
列を離れてフラフラしているところを、しっかり者の同級生に連れ戻されて来る司の顔は、家で見るやんちゃ坊主の顔とはまるで別人のようだった。 園で先生との信頼関係が築けず、何をやったらいいのかわからないので取りあえずやりたいことをやることにしてしまった司は、どこか魂が抜けたみたいな、雲の上を歩いているような表情をしていた。
「つか坊はどうしちゃったのかな」
私は時々、司に聞いてみる。
「つか坊はつか坊をお家に忘れて来ちゃったね。
幼稚園に行く時も、ちゃんと持って出なきゃだめなんだよ?」
いま、目の前にいる亭主の心臓も、それと同じ印象だった。 何かを忘れて雲の上にいる顔。
実は、こののっぺりとした臓器と、私はその後も何度も何度も対面してゆく羽目になるのだ。
伊丹医師は画像を繰り返しリプレイしながら、冠状動脈から出た造影剤が心臓に流れ込んでゆく様子を説明してくれた。 途中で、処置の終わったらしい亭主が、看護師さんに車椅子を押されて近付いて来て、一緒に画面を覗き込む。
「心臓に直接つながる大きな血管は3本あります。 ここと、こちらと、もう一本はちょっと陰になるんですがここ。 こいつは全然見えませんね。 もう流れていないんです」
「詰まってるんですか」
「これは詰まってから結構経つんでしょう、先の方まで完全に閉塞してます。 残りの2本もかなり細くなってて、1本はここでほらッ、ほとんど通行止めだ。 わかりますか?」
「うわ……」
「で、最後の一本が辛うじて頑張ってる。 でもこれもあんまりスムーズじゃないから、ほっとくと近いうち詰まっちゃいますね。
幸いなことに、香川さんはしっかり運動をされていたので、この辺のこいつとかこいつとか、本来細い血管が、冠状動脈の弟分みたいに太く育って、助けてくれていました。 それで普通の生活は支障なくやって来れたんですが、マラソンの様な激しい運動をすると、これでは賄いきれなくなって来ていた。 それでいわゆる狭心症を起こして、意識がなくなったりしたわけなんです」
「狭心症……」
「血液が心筋に行き渡らなくて酸欠のようなことになるんです」
「い、いつからそうなんでしょう?」
いきなり私が質問をしたのは、医療的にはどうだっていいような事だった。
「いつからというのは、はっきりとは判らないですが」
「5年よりも前ですか? それともあと……」
あんなに頑張って地獄の料理を作り続けたのに、それは空しい努力だったのか。 女の意地がかかっているので、無駄と知りつつも先生に食いついて質問を重ねていると、突然、看護師の女性が声を上げた。
「香川さん、香川さん? 大丈夫ですか?」
見ると、亭主は車椅子の上で目を回して伸びていた。
「そんなに恐縮されなくていいです。 香川さんの気が弱い訳じゃないんですよ、僕の方がうっかりしてまして。 普通あの場で患者さん本人に映像を見せたりはしないことになってるんですがつい」
その日の夕方、改めてモニタールームに呼ばれた私たち夫婦は、伊丹医師の横でもう一度映像を見ていた。
「画面を見てるうちに、ふわーっと判らなくなっちゃいました」
頭を掻く亭主に、医師はとんでもないと首を振って見せた。 医者は謝らない、とよく言われる通り、ストレートな謝罪の言葉はなかったが、その口調は申し訳ない気持ちが充分伝わって来るものだった。
「血管をずーっと辿ってカテーテル入れますから、患者さんは検査の間中、かなりのストレスを感じておられるんです。 その緊張状態の仕上げにライブでポーンと、このアブナイ心臓の画まで見てたら、そりゃ気分悪くなりますよね」
多分、映像が揃ったところに私がいきなり乱入して、画面を見ますと言ったものだから、予定と違う展開になって亭主が見に来てしまったのだろう。
「それでその……やっぱり手術ですか」
「手術ですね。 先まで詰まっちゃってる一本はもうどうしようもないとして、残りの2本は出来るだけ早く回復させないと」
5年前の比ではない大きさで、目の前に死がぶら下がっている。 うなずく以外に選択肢はなかった。
しかし、うなずいてみたものの、それがどんなに大がかりで恐ろしい手術か、具体的に聞くまではほとんど知識のない私たちだったのである。
翌日の午後に手術の説明会をやることが決まり、病室に戻ってため息をついた。 今夜は一足先に、「ダブルで」ばーちゃん達に電話して説明をしなければならないだろう。 女子供の世話を私に押し付けられると判って、亭主は上機嫌だった。
「お袋によく言っといてくれ」
「嬉しそうね、説明の重責から逃れて」
「だけど、こっちだって大変なんだ。 苦労してんだぞ、夕べはほとんど寝てない」
亭主は声を落とし、窓際のベッドの方を指さした。
八木老人のことである。
「ひょっとして夜もあの調子なの?」
「ほとんど15分おきに目を覚まして、看護婦を呼びつけやがるんだ。 大声出すわけじゃないから、文句も言えないんだが、しゃべる事が全部罵倒だからさ。 聞いてるだけでなんかずっしり来ちゃってたまらんぞ。 俺、手術前夜だけでも部屋替えて貰おうかと思ってんだ」
人間誰しも、強烈な言葉には無意識に耳を傾けてしまうものである。 面白い内容だったり癒される会話だと言うのなら、眠らずに聞いていても苦痛とまでは行かないだろうが、あの罵詈雑言の機銃照射では、確かに拷問であろうと推察される。
しかし何にしても、傍で聞いている人より言われている本人の方が、格段に大変には違いないのだが。
「やっぱり私が悪いのねえ。
今日子さんがあんなに食事に気を遣ってくれてたのに抑えられなかったのは、やっぱり血筋のせいなのねえ。 ごめんなさいねえ」
案の定、姑は我が子への心配を自分の落ち込みに変換して、どうしていいのかわからないと言った様子になった。
「いやお姑さん、遺伝に親がいちいち責任取ってたらキリないですって」
「でもホントにうちの家系はそうなのよ。 本郷の卓巳兄さんも脳梗塞で亡くなったし、ほら、去年は月子姉さんトコの淳助兄さんが倒れて」
「そこ血ィつながってないです。 月子おばさんはお姑さんのお姉さんで、淳助おじさんはそのご主人だから」
「でもあそこの息子のあっくんもコレステロール高いってよ」
「そこはつながってます」
「とにかくうちの家系は血管詰まりやすいんだから、今日子さんも気を付けないと危ないわよ」
「ありゃー、伝染るんですかいなー」
何で私がこの人を相手に、呆け突っ込みをやらねばならんのか。
しかし、この姑の凄いところは、この会話の迂遠さと対称的な、記憶力と行動力の素晴らしさである。 私はそのギャップにいつも脱帽するのだ。
「篠原君っていたでしょう、ほら信行君って、中学で一緒だったの覚えてない? あそこの奥さんと、以前職場が一緒だったの。 今のサニーじゃなくってね、綾野工務店って言って、駅裏に「野点」って看板があるの知らないかしら? あの隣に昔は事務所があったのよねえ。 小っちゃい事務所で冬は寒くってやなとこだったんだけど、それで当時、篠原さんとこのご主人がバイパス手術受けるって、あの人何日かお休み取ったのよ。 で、聞いてみたらね、手術に9時間だかかかって、そのあいだずっと待合室で待ってなきゃいけないんですって。 そのあと集中治療室にいる2日くらいは付き添い要らないんだけど、そこから出て個室に移ったら、誰か泊まり込んで付き添ってくださいって言われるらしいの。 だからね、手術日と2日後に取りあえず仕事休むかもしれないからって、今日所長に言っといたから、やるわよ泊まり込み。 それ以外に出なきゃいけないところは、今日子さんにもお願いしていいかしら」
つまりこの姑は、大人しく会話を聞く能力さえある人間にとっては、大変付き合いやすく頼りになる相手なのである。 だのに彼女が一番聞いて欲しい息子にその能力が著しく欠如しているのは、全く持って不条理と言うしかない。 それとも、実の親と言うものは、すべからく付き合いにくく感じるものなのだろうか。
一方、雑談ゼロのいちいちごもっともな意見をつるりと2分で言い切る私の母の方の返事。
「そりゃああんたも大変だろうから、出来るだけ子供は預かるわね。
でもどうにもならない場合もあるんだからその辺の覚悟はしておいて頂戴よ。 今だって腰は痛いし、毎日のように各種病院のお世話になってる状態だからね」
「わかってる。 昼間はぎりぎりまで幼稚園に預かってもらうから。
夜中に泊まり込まなきゃいけない日が2日くらいあるみたいだから、その時だけお願いするね」
無理は禁物である。 手術したら当分入院生活だ。 先はまだまだ長い。
そんなこんなで万全の準備をしてオリエンテーションに望んだつもりだったが、ただ一つ心の準備だけは充分やり切ってはいなかった。 術式の解説と言うのは聞くだけで気が遠くなるスプラッタシーンの分解説明だったのである。
説明文が多くて流れが遅いんですが、伏線の仕込みも含めて丁寧にやりたい箇所がいくつもあって、なかなかあっさり流せないです。 次回は手術の説明をぱぱっとやって当日までなだれ込みたいんですが。