3、女が100人揃ったら、その中の3人はスナイパーです!!
無駄に攻撃型の女、というのが時々いるのである。
大体、主婦が100人集まると、2人か3人くらいの割合で存在している。 つまり子供の学校のPTAなら、1クラスに1人は分布する計算、うちの社宅くらいの集合住宅なら、やはり1,5人くらいは行き渡っているわけだ。
彼女らは頭が良く、そこそこ有能な人間であり、それゆえに自信家でもある。 豊富な成功経験に基づいて、正論を貫いた秀逸な発言をする能力もある。
しかし一番彼女らが彼女ららしいのは、その正論を吐く理由とタイミングなのだ。 理由のほとんどが「気に入らないから」で、タイミングのほとんどが「攻撃のチャンスだったから」であることを、当の本人は意識していない。 彼女らは、優秀な頭と体を持ちながら、心の中には極めて動物的なエンジンを搭載したトラブルメーカーなのである。
心のどこかで、常に弓に矢をつがえているのが彼女らの特徴である。 いつもそれを引き絞り、相手に放つきっかけを狙っているのだ。 自分が決して悪者にならなくて済むチャンス、決して嫉妬や好き嫌いのために攻撃したのではないと、周囲を納得させながら嫌いな相手を傷つけるチャンスを。
この種の奥さんたちを、社宅では「マダムの射手」と呼んでいる。
彼女らは優秀であるから、例えばPTAの役員などをやらせると、仲間をまとめて大いに盛り上げ、気の利いたアイデアを多発して献身的に活動する。 その年の役員活動は大成功、周りからは大感謝、絶賛のうちに任期を終える。
しかし、いくら前年に良い活動をしても、メンバーのほとんどが入れ替わるPTA役員で、その後毎年同じレベルの活動が出来る保証はないのである。 任期を終えて拍手の中を退任したのち、新しい役員のやることなすことが彼女らは気に入らない。 その中に、もともと気に入らない知人などがいようものなら大変なことになる。
今年の役員は何をやっているのか、自分たちがあんなに手本を見せたのに、何故その通りのことが出来ないのかと、1年を通して後任の役員を、助言と言う形で糾弾し続けるのだ。
マラソン大会で、亭主の部下である小太りの女性を見た時、若いのにかなり強烈な「マダムの射手」の才能を見て取って、私はそこに気を取られ、もしかしてこのうちの1人と亭主が浮気などしたりしないかと言う、世間一般の下世話な発想をするのをうっかり忘れた。 決して亭主の腹が出ているからとか、昔から合コンなどでまるでモテた試しがなく、「もうあいつは連れてこないで」と初対面の女性を怒らせるのがうまかったからとか、そういう認識でタカをくくっていたからではない、と思う。
「この2人、俺の部下……といっても派遣社員なんだけどさ。
こっちが新任だけど頑張ってくれてる小見山さん、こっちの背の高い方がベテランの麻生さん。 今日は2人で司を見ててくれるってさ」
亭主がそんな風に紹介してくれたが、当人たちは「2人で」一緒に何かをする心づもりは全くないように見えた。 小見山はその3秒後には、亭主の荷物を預かると言って姿を消してしまい、あとにポツンと残された麻生と言う美人のお嬢さんは、どう動いていいのかまったくわからない様子で、場違いに素敵なプロポーションの体を縮こまらせて立ち往生していた。
彼女は私の顔をおずおずと見た後、すでに何もかも忘れて広い競技場を走り回る司の姿を、途方に暮れた様子で目で追った。 子供の相手どころか、大人同士の人づきあいも得意な方ではないと思われた。
私は走り回る司を苦労して捕まえ、何とか開始時間に応援席に押し込んで、亭主のスタートを見送らせた。 1番走者だったからいいようなものの、2番手や3番手だったら、どうやって時間まで司を待たせることが出来たか、全く見当もつかない。
親でさえそんな状態だったから、育児未経験のお嬢様に何か出来る事があるはずもなく、司はおっとりした麻生の動きを馬鹿にしたように一瞥して、そのあとはほとんど彼女を視野に捕えようともしなかった。 ティラノサウルスと同じで、動かないものは見えないのかも知れないと思ったくらいだ。
亭主が第2走者にタスキを渡す地点に移動すると言った彼女の車に、やむなく私も乗り込んで一緒にお迎えすることにした。 そうせざるを得なかったのだ。 私が司を置いて帰ってしまったら、彼女は2分で子守りの対象物を見失うだろう。
何もマラソンが終わるまで居なくても、亭主がゴールするまで応援したら面目は立つだろうから、そのあとで司を連れて帰ろうと思っていた。
亭主は38人の走者の中で、2番グループという思いのほか良い成績でタスキを次へとつないだ。
街中の中継地点は休む所がないので、近くに止めておいた車の中に転げ込んでから水分補給をする。 車は第2中継地点では間に合わないとかで、その次の第3中継地点まで移動を始めたが、その車内で大変なことが起こった。
司が私の膝の上であまりに動き回るので、ブレーキがかかった時に座席から飛び出し、運転席の横の方で顔面を強打したのだ。 おでこにたんこぶが出来ただけで済んだのは幸いだったが、すぐに冷やさねばならず、公園前に車を停めて、ハンカチを濡らしたりして大騒ぎをした。
みんなでバタバタやっているさ中に、一瞬おかしなことに気付いた。
世界が終わるのかとからかいたくなるような大音声の司の泣き声と、私たちが走り回る騒ぎの中。
亭主は後部座席で眠ったように目を閉じていた。
司の手当てが終わり、大急ぎで目的地に車を乗りつけた頃、亭主はやっと目を開けた。
「大丈夫?」
と聞くと、うんうんとうなずいたが、
「ちょっと頑張りすぎたかな。 目の前がふっと暗くなった」
と、物騒な発言をした。
「自分の限界はわかってたつもりなんだけどな。 普通ならもっと行けるくらいだった」
「緊張した分、余分に疲れたんじゃないの?」
「多分そうだろう。 司は何を泣いてたんだ」
後で考えたら、冷や汗が出る。 亭主はあの騒ぎの最中、意識そのものがなかったのである。
次の週、私は久しぶりに保健管理センターに呼び出された。
前の週に会社で一斉に行われた健康診断で、あまりよくない結果が出たようである。 この呼び出しの内容を巡って、私と亭主は軽い言い争いをしていた。
亭主はこの時期またしてもかなりの間食をしており、それを医者に知られると怒られるものだから、検診の予備調査で1日分の食事を書く欄に、間食の記載を一切していなかった。
実は以前同じことをやって、「カロリーをこれほど落として薬も飲んでいるのに高脂血症が悪化しているから、さらに一段上の制限に落とすように」と私に招集がかかったことがあって、その時に一回夫婦喧嘩をやっている。 だのに性懲りもなくまた自分だけいい子になろうとしたわけだ。
「自分だけおいしい物を食べて、家族全員をガリガリにしなきゃ気が済まないの?」
あまりに腹が立ったので、今回は亭主が間食したことを医者に告白してからじゃないと、私は病院に行かないと言って座り込みをやり、事前に電話をさせたが、まだ気が治まらない私はとにかく不機嫌だった。
留守中の子供たちについては、私の母つまり「にゃんこばあちゃん」が、我が家へ来て2時間ほど留守番をしてくれることになった。 自分の家なら司もさほど危ないことはしないだろうという事で、やっと納得してもらったのだった。 おかげで亭主と二人で医者の話を聞くことが出来る。 こういうことは、ひとりで聞いておくのは心もとない物なのだ。
ところが、病院で医者が切りだしたのは、カロリーとは全く別の話だった。
この話が、ものすごく深刻なことだと気づいたのは、間抜けなことにすべての説明を聞き終わって、更に数時間が経ってからのことだ。 一応、大まかに言えば再検査の話だった。
「勘ですよ、私の。 だから絶対とは言えない。
でもなんか、怪しいなあって思うんですよ」
ホケカンの先生はそう何度も前置きしたあとで、子供に聞かせるように平たい説明を始めた。
「今回の検査で心電図を取ったんですが、1か所だけね、軽い不整脈が出てるところがあるんです。
1か所だけだしそこまで深刻じゃないんだけど、こういうのが出ると再検査する決まりだから、一昨日ご主人に3時間ほど来てもらって、階段登ったりいろいろな運動をしてもらって、運動時のデータを取ったんですよ。 聞いたらこないだのマラソン大会の時具合悪くなったって言うし、そのこともあって念入りにね」
私は驚いて亭主の顔を睨んだ。 再検査をしたと言う話は聞いていなかったのだ。 一昨日と言うと、普段と同じように会社に出かけて同じ時間に帰って来たはずだ。
亭主ははっきりするまで要らぬ心配を掛けたくなかったとあとで言い訳したのだが、本音はこういう事のたびに私にグズグズ言われるのがめんどくさかっただけではないかと思う。
「で、再検査の結果、一度も不整脈は出なかった。 でもねえ、ちょっとなんというか、手ごたえが違うんですよ。 鈍いと言うかなんとなくね」
「何の手ごたえですか」
「心臓とか脈とか、なんかねえ。 何となくとしかもう言いようがないんですけどもね」
医者のいう事は何だか曖昧で、でもなんとなく、心臓の働きが悪くなっている、とか、はっきりとは言えないほど大きな病気の予感がするが、自分がそう言ってしまって誤診になるのは避けたいとか、そういうニュアンスを感じる言い回しだった。
「で、どうすればいいということでしょう?」
「血管はなかなか細かいところまで見えないので、今最新のやり方でカテーテルと言うのをやるのが1番いいでしょう」
「カテーテル」
私たちには、その検査名は初耳だった。 今でこそかなり身近なところで頻繁に行われているカテーテル治療だが、この頃は最先端で、しかも治療ではなく、手術の前の予備検査のような形で取り入れられ始めた物だったのである。
つまり、心臓の血管が詰まっている、かもしれないということだ。
検査で詰まった個所が発覚したら、手術をすることになるかもしれない、という事なのだ。
手術と言う言葉が頭に浮かぶまでに、とにかく長い時間が必要だった。