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魔女のキッチン  作者: 友野久遠
2章 はじめまして心臓さん
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2、家では冴えない陸トド亭主が会社で「男かぐや姫ごっこ」をしているとわかったらあなたはどう思いますか

 長女の蘭が生まれて半年ばかりの頃、亭主は自分があらゆる人から「パパ」と呼ばれ始めたことに、一種の抵抗を示した。

 「おい、なんでお前までパパって呼ぶんだよ。 子供にはパパと呼ばせても、お前は『一平』のままでいいじゃないか」

 「そんな甘ったれたことを言ってて、子供にまで名前を呼び捨てられる羽目になった父親を知ってるからよ!」


 そう、子供の理解力に過大な期待をしてはいけない。 ヤツらが「自分」と「他人」の立場や呼び方の違いを多少なりとも理解してくれるのは3歳以降のことで、家族の呼び方などの基本的な名詞はその前にガッツリ定着してしまう。

 藤崎という私の高校時代の友人は、自分の父親を「マサオ」と呼んでいた。 彼女が「昨日マサオがね」などと話し始めると、周囲が「こいつカレシいたっけな」といぶかしげな顔をしたものだ。

 なんでも母親がそう呼んでいたのでそのまま定着したらしいが、幼稚園の頃の彼女は、「なぜうちにはお父さんがいないのだろう」と、密かに悩んだことがあったそうだ。 呼び名というものは、子供には大事な物なのだ。


 だから、子供が片言なりとも人間の言葉をしゃべるようになると、周囲はそれに巻き込まれ、あらゆるものや人の呼び方を変えてゆくことになる。 「あなた」を「パパ」に、「お風呂」を「ボチャ」に、「車」を「ブーブ」に。

 先日、姉の家に行くと、

 「悪い、そこのお布団を畳んでどけて座ってくれる? あ、隣の『おクトン』も一緒にお願い」

 と言われた。 「お布団」は普通の大人用の布団、「おクトン」と呼ばれたのは、古い子供用の肌掛布団だ。 姉の子供たちはもう高校の制服を着ている歳だが、昔使っていた幼児語が一部固有名詞になって、古い布団と共に残留しているらしい。 

 こういうことは、どこの家でもあることだ。 だからこそ、子供に人の名前を教える時は、一生呼ばれる覚悟で与えなければならないと思う。 物の名詞は大きくなって呼びかえることもあるが、人の呼び方は相手との約束事でもあるので、意外と変えにくいものだからだ。


 姉の家に一人目の子供が生まれた時、私はまだ20歳になったばかりだったが、迷わず、

 「私のことはおばさんと呼ばせて。 だって小母さんなんだもの」

 と言っておいた。 

 親族関係が小母と姪である以上、どんなに抵抗しても「小母さん」から一生逃れるわけにはいかないのだ。 50歳60歳になっても無理矢理「お姉さん」と呼ばれるのもどうかと思うし、「実は小母なのよ」などと周囲に説明して歩くのも面倒な気がする。 物心ついた姪っ子本人に「もうおばさんって呼んでもいい?」なんて聞かれるのも物悲しい。

 それよりもあと数年だけでも「あら若いおばさんね」と周りに笑ってもらえた方が気分がいいのじゃないかと、その時なりに考えてしたことだった。 今もそれは間違いではなかったと思っている。



 さて、6歳になった我が家の長女・蘭と、4歳の長男・司には、「おばあちゃん」と呼ぶべき人が二人いる。

 これは別に珍しいことではない。 私の母と亭主の母がいるから当たり前だ。

 亭主の父親は既に亡くなっており、「おじいちゃん」はひとりだけなので問題ないのだが、二人いる「おばあちゃん」には、区別をつけるための固有名詞が定着している。


 「ママー、にゃんこばあちゃんから電話だよ」

 土曜の昼下がり、蘭がおやつを口の周りにいっぱいつけたまま、電話の子機を持って走って来た。

 「にゃんこばあちゃん」は私の実家の母のことである。 家に猫を飼っていて、この猫が蘭のお気に入りであったことから、「にゃんこを飼ってる方のおばあちゃんよ」と言っていたのが固有名詞化したものだ。

 ちなみに主人の方の母、つまり私の姑に当たる人のことは、「サニーばあちゃん」と呼んでいる。

 彼女は「サニー(株)」と書かれた看板のある会社で経理事務の仕事をしており、看板を見た娘が「サニーで働いてるおばあちゃん」と言い始めたのが縮まったのだ。


 「ありがと、蘭。 それからパパがマラソンから帰って来るまでに、おやつは片づけておくのよ」

 「うん。 パパ食べたくなっちゃうもんね」

 電話の子機を私にくれながら、心得た娘はにっこり笑った。 

 今や、亭主の過食防止の見張りはもっぱら娘の役目である。 女房というものは、どんなにガミガミ言ったところでやはり大人同士でパートナー意識もあるものだから、あーんと開けた口の前から食べ物を取り上げるような強引な真似はなかなか出来ないものなのだが、娘は平気でそれをやる。 しかも男親は娘に甘いので、女房がやるより角も立たないもののようだ。



 「今日子、明日の話だけど、つか坊を預かるのはやっぱり無理だわよ」

 電話の向こうの母は、きっぱりとした口調で言い切った。 言いにくいことも、こうと決めてしまうとサバサバと言うのがこの人の割り切ったところだ。

 「無理って、何か用事?」

 「そうじゃなくってもう手におえないってことよ。 あの子すごくよく動くから危なくて、こないだもソファやテーブルを全部物置に入れて預かったのに、玄関で頭ぶつけたでしょう。 うちは子供用に設定した家じゃないから、ガラスのはまったドアも多いし、ずーっとハラハラして見ていられないのよ。

  蘭ちゃんなら、抱っこして本でも読んでれば2、3時間大人しくしてられるからいいけど、つか坊は抱っこしても30秒しないうちに飽きて降りたがるでしょう。 家の前の車道に飛び出すし、急に『ばーちゃーん』ってドシンとぶつかって来るし、母さんも父さんももう歳が歳だからね。 ちょっとやってく自信がないのよ。 それでなくても、うちは女の子しか育てたことがない家なんだから」

 「蘭だけならいいの?」

 「それは大丈夫よ」

 ここでも司は問題児だった。 母はもともと責任感が強いので、預かると言ったらパーフェクトに面倒を見てくれる。 逆にダメと言ったらもうそれは決定事項だ。 

 確かに、司の世話をしていると、今日こそは怪我をさせてしまうかもという覚悟なしには見られないところがあるだろう。 潔癖な母にはそんな無責任な引き受け方は出来かねると言ったところなのだろう。


 母の気持ちは充分わかったのだが、この拒絶は私にとって痛い仕打ちだった。

 司があちらでもこちらでも「弾かれ」て、家以外に行くところが無くなってゆく。 理不尽な悔しさと同時に、この事実を全て親の育て方の罪として、甘んじて受けなければならないぞと、心の中で両足を踏ん張っている自分がいる。 その自分自身に立ちはだかられて、本当の私が前方をきちんと見ることが出来ないでいる。 

 頑張る私が、どこかで邪魔くさい。 そんな痛さだった。

 

 

 


 実は明日の日曜日、市内で駅伝大会が開かれるのだった。 

 亭主の会社からも10名2チームが参加することになっており、亭主もメンバーに入っている。

 「子供も連れて応援に来てくれ」

 と言われたが、12月の寒空に5時間強、しかも球技ならともかく、いつ盛り上がるかわからずひたすら待つばかりのマラソンの応援に、小さい子供連れは難しい。 とりわけ司は、どこに行ってしまうかわからない子供なのだ。

 しかもこの時私は、自分自身が応援に行けるかどうかも確信できない体調だったのである。


 うっすらと吐き気がする。 熱もないのに微熱の時のように体が頼りない。

 この微妙な体調不良は、過去に2回ほど経験した記憶があった。

 「絶対いるって。 いる気がするの」

 「お前、寒い中応援に来たくないから適当に言ってるんじゃないだろうな」

 土曜の自主練マラソンから戻った亭主が眉をひそめて怪しんだ。

 「病院行って確かめてみたのかよ」

 「まだ病院でもわかんない時期なのよ。 たった1か月だもの、いつもそうじゃない? でも、私にはわかるんだもの。

  蘭の時も司の時も、病院でまだ確認できませんって言われた時から私はわかってたわよ。 あの子たちふたりとも、それがなかったら生まれて来れたかどうかわかんなかったんだからね」


 その月の生理が遅れていた。 といってもたった2日のことなので、普通は気にならない筈なのだが、この時何故か猛烈に嫌な予感がしたのだ。

 思い起こせば7年前、蘭がお腹にいると判ったのは、膀胱炎で泌尿器科を受診したのがきっかけだった。 薬を処方してもらう段になって、突然嫌な予感がして、医師に

 「その薬、妊娠してても大丈夫ですか」

 と聞いたところ、それ用の薬ではないと言われたので、妊娠していても使える薬に代えて貰った。

 その足で同じ病院の産婦人科を受診して、妊娠の検査をしたが、その時はまだわからなかった。 わかったのはさらに2週間たって、やっぱり生理が来ないからともう一度受診した時だった。


 司の時も同じだった。 夏でも滑れる屋内スキー場のチケットを貰ったので、蘭と亭主と3人で行こうとしていたのを、なんとなく体調が不安だったのでキャンセルしたのだ。

 まだ市販の妊娠検査薬など発売されていなかった当時から、私は誰より早く妊娠の兆候をキャッチすることが出来た。 生理周期が非常に正確だったためもあるが、やはり「母のカン」というものも多少は働いたのだと思う。 悲しいかな、お腹の外に出た子供に対しては、さして働くことのないカンであったが。


 「絶対できてるって、3人目!!」



 この体調で、寒風の中、子供を抱いたり追い回したりしながら1日がかりでマラソンの応援をするのは絶対にまずい。 出来れば家で待機させてほしい。 その旨亭主に申し出たのだが、

 「わかった。 それじゃ蘭はばあちゃんに預けて、司は部下が応援に来るからそいつらに見させよう。

  お前は司を連れてスタート地点で見送ったら、家に帰ってていいよ」

 亭主の感覚がずれていると感じるのはいつものことではあったが、この時も首をひねらざるを得なかった。 私がいないのに司だけを置いて帰って何になると言うのだろう。


 「家族が誰一人、ゴールで待っててくれないなんて寂しいじゃないか」

 「そりゃわかるけど、それで司が家族代表?」

 「いいだろ、あれでもうちの長男だぜ」

 「いいけど絶対、5時間も待ってなんかないと思うわよ」


 部下たちの前で家族に慕われているところが見せたいのか、私が冷たくしたと思って意地になっているのかはわからないが、司を赤ちゃん扱いしない亭主の考え方は好きだった。 

 「男の子はいかにわからんちんでも、いつか化けるさ」

 この状況下でそんなことを言われたら、私もなんだかほっとして涙が出そうになってしまう。

 でも、休日なのに子守りを命じられた部下の人たちは、さぞかし苦労することだろう。 かぐや姫に課題を出された求婚者の方がましなくらいの、理不尽な苦労を。

 それがまたやるせなくて申し訳なくて、その晩はいろいろと考え込んだ私だった。


 ところが次の日、亭主の車で競技場につくなり、予想外の状況に驚いた。 あまり驚きすぎて、申し訳ないなんて感情は一瞬で青空の彼方まで吹き飛んでしまったくらいだ。

 「香川主査。 おはようございます!」

 まず車に駆け寄って来たのは、身長175センチくらいの、モデル雑誌から抜け出して来たような美人のお嬢さんだった。 その後ろから、ちょっと太めだがハーフっぽい感じの、やはり妙齢のきれいな女の子が、先の美人を押しのけた。

 「ちょっと、麻生さん邪魔!!

  主査おはようございます、今日は頑張ってくださいねえ!」


 なんだなんだ、競い合う若い美人の部下を保育士に雇ったのか? もしかして「逆かぐや姫ごっこ」か?

 ずいぶんすてきな職場だな一平ちゃん!! 


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