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魔女のキッチン  作者: 友野久遠
1章 食餌療法開始
12/45

12、他人の家に行くたびに、腹が立って仕方なくなるその理由

 豊田家の室内は、うちと同じアパートの部屋とは思えないくらい、ゴージャスかつデコラティヴだった。 ソファカバーにクッション、暖簾からタペストリーまであらゆるものが手作りでセンスもいい。

 豊田家のママ(息子は育毛剤の大地くんだ)の趣味は、お菓子作りだけではないらしく、コーヒーやジュースと一緒に出て来るコースターやシュガーケースなどの小物までが、いちいち小まめに可愛らしい。


 この部屋と比べると、うちなんて作業場か、よく言って事務室だ。

 片付いてないとは言わないが、うちの場合要するに、荷物を効率的に収納しただけで、愛想もムードも飾り気もない。 正確に言えば、そういう要素を持ち込む隙間がないのである。 仮に私に物を飾り立てる趣味があったとしても、我が家でそれが実現できるとは思えない。


 物が多すぎるのだ。 これもうちの亭主の性癖の産物である。

 自分で買ったものは何一つ捨てないので、引越しのたびに業者の人に「大きいお子さんがいらっしゃるんですか」と聞かれる。 家を出てよそに下宿でもしている息子の荷物が一緒にあると思われるようだ。 それほど亭主の私物は多い。


 結婚して最初に新居にやって来た時、亭主の荷物はスポーツバッグ一つだけだった。

 「旅行じゃないんだから、自分の荷物を運びこんでよ」

 町内に実家がある同志なので、私の荷物も車で地道に運んでおいたのだ。 そうするつもりだろうと思っていたら、当日になっても荷物がまとまっていなかった。

 自分の荷物を自分で作れなかったのだ。 母親(私の姑だ)がやってくれると期待して延々と待っていたら、前日になって

 「私がするわけないでしょう」と突っぱねられたらしい。 当然のことだ。


 「こういうことは当人しかできない事なんだよ」

 いくら言っても納得しないので、やむなく一緒に片づけに行ったら、全く手つかずの学習机の中には、小学校の時のお習字の金賞とか「良い歯の賞」バッヂ、幼稚園の時の記念式典のリボンなど、まるで地層のようにそのまんま残っていて、それらの私物が山を成し川を成し、彼の実家の狭いアパートを7割方占領していた。

 「これは要るの?」

 一つ一つ聞いてみると

 「それ何?」

 と逆に聞き返される。 じゃあ捨てていいのかと言えば、

 「いや、一応取っといて」

 と答えるのだ。

 「こんな子供っぽい物はもういらんでしょう」

 「いや、子供が生まれたら使うかも知れないから」

 「この服はもう流行遅れだし、子供も使わないよ」

 「ファッションは繰り返すから、孫かひ孫が使うかも知れないから取っといて」

 何のことはない、捨てることを考えたくないだけなのがだんだんわかって来たので、私は亭主を置き去りにして新居に戻ってしまった。


 そういう亭主の荷物を、引っ越しのたびにいやいやながらに持ち歩いた私の収納アイテムは、10個のユニット棚と8枚の板だった。

 転勤して新しい社宅に入るたび、収納庫に入りきらない荷物が山のように余る。 それらを片づけるため、家の中で空いた壁面という壁面に、天井まで届く棚を組むのである。 

 ユニット棚とユニット棚の間に板を渡し、ボルトで固定しながら積み木のように組んで行く。 その棚に荷物をいっぱいに入れ、その上から板に画びょうでポスターやカレンダーを貼って、それが我が家のタペストリーとなるのだ。


 だから、何度引っ越しをしてどんな部屋に住もうと、家の中で写した写真は全部同じ家の中に見える。

 壁のない家なので、表彰状を貰っても飾るところはない。 無理やりテーブルの様な物を置いても、すぐに亭主がその上を物でいっぱいにしてしまうので、花束を貰っても花瓶を置く場所もないのだった。



 かわいい掛け時計やタペストリーに囲まれた豊田家の室内を見回しながら、私はますます腹立たしさが極まって、集まった社宅マダムたちに亭主への不満をぶちまけた。

 さすがに“出社停止”の噂は社宅全戸に行き渡っており、みんな詳しい話を聞きたがっていたらしい。

 現役で料理に携わる主婦たちは、亭主とは段違いに素早く、制限食の困難を理解してくれた。


 「それでそれで? レシピや重量は全部書き出しといて始めるの?」

 「ってことは出来上がった料理はかっちり等分しなきゃダメよね」

 「中央にドーンと盛り付ける料理はないのね、食器を無駄にいっぱい使うわ。 洗うの大変ね」

 「チビちゃんたちはどうするの? 等分にしたって大人と同じ量は食べられないでしょう」

 「カレーのルーから自分で作ってるの? そうか、塩分糖分、全部別に計ってるんだもんね」

 「〇〇の素ってのは全部だめなのよね。 うち、マーボ豆腐の素がないとつらいなあ」


 ところが彼女らにも理解できないものがあった。 社宅マダムたちは、口を揃えてこう言ったのだ。

 「香川さんは凄いわねえ。 私だったら絶対そんな面倒なことできないわ。

  うちも亭主が高脂血症気をつけろって検診で言われてるけど無視してるもん。

  制限食作れって言われたって、無理だって投げちゃうわよ」

 いや、断れるものならうちだってそうしていた。 体重を減らさないと出社できないと言われても、平気な顔で高カロリー食品を与えられるものではなかっただけのことだ。


 「そんなことしなくても、自分が困るんだから、切羽詰れば旦那が絶食でもなんでもするわよ」

 「そうよ。 小さい子抱えて出来る事じゃないんだから、私なら絶対断る」

 「私も。 実家に帰っちゃうわ」

 「嫌なら自分で作れって言うわよねえ」

 「香川さん優しいから」

 「ラブラブなのねえ」

 

 そうだろうか。 この中の全員が、実際に私と同じ立場になった時、本当に食餌療法を拒否するとは私には思えなかった。 結局ぶうぶう言いながらも、やらなきゃならない事はやってしまうのが女房ってもんじゃないだろうか。

 ただしそれは、単純に亭主を愛しているからとか、心配でたまらないからだと思ってもらっては困る。 それだったら愛情を感じない日は即、料理なんか作らないぞという事になるではないか。 朝、出がけに言われた一言が気に入らないから今日のご飯は早死にするようにトンカツよ。


 そうではないだろう。 大抵の奥様が、亭主に少々気に入らないことをされただけなら、いらいらしながらも食事くらい作るだろう。 要は愛情ではないのだ。

 結局、ラブラブだろうがシオシオだろうが関係ない。 自分が家庭内で調理担当者であり、家族の需要に合わせた働きをするのが仕事であるから、というドライな理由が一番大きいように思う。 


 話し込んでいる間に、車の音がした。

 威勢よく出て行った割には早く、亭主が戻って来たのだ。

 私達が窓辺に殺到してこっそり外を覗くと、亭主はギョッとするような荒っぽさで駐車場に車を入れ、せかせかと階段を登って行った。 短パンに長袖パジャマ、足にはギプスというおかしな恰好で、逆に表情は不気味なくらい真面目だったから、みんなが笑いをかみ殺していた。 亭主もまさかこんな至近距離で覗かれているとは夢にも思わないだろう。


 もぬけの殻になった我が家を見て、亭主は何を思うだろう。 考えると愉快だった。

 その日はそのまま豊田家に居座り、ラーメンとみんなの持ち寄りのおかずを頂いておやつの時間まで話し込んでいた。 蘭と司は、ママと一緒に集まった遊び仲間の子供たちと、楽しそうに遊んでいた。




 「香川さん、香川さん」

 揺り起こされて目を開けると、部屋の中には夕闇が立ち込めていた。 室内に料理をする匂いが漂っている。

 いつの間にか豊田家のソファの上で眠ってしまったらしい。 慌てて見回すと、他の奥さんたちの姿はなかった。 豊田さんは自分の家の夕食を作り終えるまで、私を寝かせておいてくれたのだ。


 「うわ、どうしよう。 こんな時間までごめんなさい」

 「いいのよ。 ものすごく疲れてるみたいに見えたから起こさなかったんだけど、かえってまずかったかしら」

 「いいえ、ありがとう。 ごめんなさいね迷惑かけて。 帰るわ」

 「そう。 ご主人、あれから出て来てないから家にいらっしゃるわよ。 大丈夫?」

 「うーん。 どうかしらね」


 仮眠を取ったためか頭がすっきりして、私の腹は据わっていた。

 取りあえず家に戻ろう。 こんな着の身着のままで、どこへ行けるわけでもないのだから。

 帰って来た私たちを見て、亭主がどんな態度を取るかで別れる云々の決断をしてもいいはずだ。

 

 蘭の手を引き、これまた居眠りをしていた司を抱いて、わが家の玄関の戸を開けた。

 ずどごん、ずどごん、ずどごん、ずどごん!

 とんでもない音を立てて、亭主は3秒で玄関に飛び出して来た。

 ギプス、意味なし。

 安静のために着けているのに、こんなに乱暴に歩いたら、かえって足に悪いだろう。 それより何より、それだけ歩けるものなら、最初から爪切りまで人に持って来させるなと言いたい。


 「どこ行ってたんだ! さ、沢井か」

 沢井というのは私の実家だ。

 「違う」

 「どこだ」

 「どこも行ってない」

 口をきく気にならないので、いい加減に返事をしながら室内を見回すと、ひっくり返っていたちゃぶ台が元に戻っている。 どうやら亭主は、「片づけて掃除をする」などという前代未聞の行為に手を染めたようだ。


 キッチンに入ってみると、作りかけの料理が片づけられて冷蔵庫に入っていた。

 「いちおう、昼飯は作ってあった奴を食った」

 亭主がぶっきらぼうに言い放った。

 「そりゃあ……」

 さぞ大変だったでしょう、と私はあきれた。

 料理は未完成だったのだ。 煮物は生煮えだったはずだし、和え物にはまだ味をつけていなかった。

 最後に作っていた炒めものに至っては、先にレンジで火を通しただけで、味付けどころかフライパンに投下してもいない。 ただの「蒸した野菜」だったのだ。


 「一平」

 パパ、でもあなた、でもないこの呼び方は結婚前の物だ。

 私は結婚なんてしなきゃよかったと思うたびに、この呼び方で亭主を呼ぶ。 呼ばれた方は、ラブラブ時代の呼び方と喜んでいるみたいだが。

 ほっとしたように振り向く「もと王子様」の顔面に、私は最後通告を突きつける。


 「私はもう、制限食を作りません」


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