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魔女のキッチン  作者: 友野久遠
1章 食餌療法開始
10/45

10、時間はない、亭主はイラつく、みんな貧乏が悪いんである

 「ばんごはん、つくります。 トントントントン」

 「ママー、きょうはなんのごはん?」

 「もやしのいためものよ」

 「えー。 もやしきらいー」

 「だめよ、もやしはやすいんだから。

  こんなにいっぱいたべて、たったの30えんよ!」


 蘭の一人遊びが、めっきり貧乏臭くなった。


 ままごとというものは案外恐ろしい遊びである。 ただし、子供にではなく親にとって、という意味でだ。 家庭の中の出来事を、ライブで放送されてしまう恐れがある。

 蘭の遊び友達の愛梨ちゃんは、車を運転すると人が変わるママの2面性をリアルに演じきってしまったし、アパート1階の大地くんは、頭をしゃもじでトントンやって、パパの育毛剤使用をバラしてしまった。

 我が家の場合、パパがいつも家でゴロゴロしているので、蘭の方が他の子の家へ遊びに行くことが増えたのだが、この際いっそ家から出さないようにしようかと思うほど、恥ずかしいことをいっぱい口走るようになった。 主に料理を作る場面で、そういうことが増えたような気がするのは、わが家が特殊な食事事情を持つ故のひがみ根性だろうか。


 「チーン、はいどうぞ」

 というフレーズも、この当時急に増えた。

 「香川家では出来合いのものが減ったはずなのに、なんだって蘭は『チン』が増えたんだ?」

 亭主は不思議そうだったが、私から見たら無理もないことと思えた。

 実際にレンジの使用量は増えている。 油を減らすために、炒めものをする前にレンジで下茹でしておくようになったし、できた物をかっちり4等分するので、出来上がった料理を鍋ではなく皿で保存することが増えたからだ。


 「チーン、はいパパどうぞ」

 「ありがとう、こいつはなんのお料理かな?」

 「すっごくおいしいよ、『きのうののこり』だから!」

 

 やっぱり遊びに出すのはやめた方がいいかも知れない。


 実際には、我が家では前日の残りを次の日に出すことはない。 一日ごとに計量して同じカロリーにしなければならないので、次の日に持ち越せないのだ。 生の状態で、しかも種類別に計らないといけないので、出来上がってしまったものは計量し直すことができない。

 あまりにもったいないので、次の日は3人分で計算して、私だけ前の日の残り物ばかり集めて食べたことがあった。 これを蘭が見とがめて、

 「ママだけ違うもの食べてる!」

 と責めるような言い方をしたので、

 「ママのは、きのうの残りなの!」

 確かにそう言った覚えがある。 

 “きのうののこり”というのは、蘭の憧れなのかもしれない。 決してうちの貧しさを表現した台詞ではないのだが、どちらにせよ、けち臭いことから始まった「恥ずかしいままごと」であることには間違いないのだった。




 我が香川家に、家計上の氷河期が押し寄せて来ていた。

 それは恐ろしいことに、病欠中の亭主の有給休暇が品切れになるよりもずっと早くに起こった非常事態なのだった。

 有給だからと言って、病欠前と同じ収入があると思ってはいけない。 バブルという言葉はまだなかった時代だが、当時すでに日本は好景気で、企業は活発に動いており、亭主も毎日残業をこなし、休日出勤も出張も豊富にあった。 そういった特別手当が、特に忙しい時期でなくても手取りの3割以上を占めていることが多かったのである。

 有給休暇は当然、基本給オンリーになるのだから、これは給料が3割カットになるのと同じことなわけだ。

 一方で、支出の方は激増した。 食費がなんと、食事制限以前の2倍近くに跳ね上がったからである。

 




 「ダイエット」イコール「絶食・休食・粗食」ではないことが常識になって来た昨今、

 「痩せる食事? 食費が浮いていいわね」

 などと言う人は少なくなって来た。 ただ減らすだけではいけないという事実が浸透してきた証拠だ。

  そんな現在でも、

 「買い物が大変なのよ」

 と言うと、それが買い物の全体量及び費用のことだと気づいてくれる人はほとんどいない。 大抵は、いろいろな食材を探し回っていると思うようだ。


 冗談ではない。 この忙しいのに何が悲しゅうて、世界を股にかけて珍しい食材を集めるグルメダイエットなんぞという矛盾したことを致さねばならんのだ。 何度も言うが、私のやっているのはダイエット食ではなく、高脂血症を改善するための制限食だ。 ピンとこない人は、糖尿病の病人食とほぼ同じ、と言ったら耳にしたことがあるかもしれない。

 その食事の目的は、いかに偏らせないか、そしていかに低カロリーでも満足行く量を確保するかに尽きる。 「ちょっと食べてお腹いっぱいになるダイエットメニュー」とは対極の減量法であることを頭に置いて読んで欲しい。


 まず青果食品だけでその量に面食らう。

 成人に必要な一日の野菜摂取量は、緑黄色野菜100gと淡色野菜200gを基本とする。 それに果物がりんごなら1個分180g程度。 この約500gに廃棄部分、つまり皮や芯がくっついているわけだから、買い物をするときは600g以上。 単純計算しても、4人家族なら1日2.4㎏を何が何でも買わねばならないのだ。

 その他、牛乳・大豆・肉・魚、全ての必須アイテムを揃えると、1日ひとり400g位にはなる。 肉の種類や、大豆を豆腐にするか油揚げにするかでかなり重さが違うので、あくまで我が家の平均であるが、買い物に行くたび合計1000×4を、毎日下げて戻るのだ。


 「3キロや4キロの買い物はうちだっていつもしてます」

 いやいや、まだ終わりじゃないですよ奥さん、これはあくまで1日で使い切ってしまう食品の量です。 主婦の買い物はまだまだある。

 砂糖や味噌、醤油などの調味料、パンやお米、乾麺、そして同じ青果でも炭水化物に計算するのであまり大量に採れない芋・かぼちゃの類。 子供がいればジュースやおやつ類も必要になる。 食べ物以外でも、洗剤やトイレットペーパーなど、ひとり分の量が決まっておらず毎日必ず買い換えるわけじゃないけど、定期的に買わなきゃならないものがたくさんある。 これらの買い物を入れると、プラス1キロくらいじゃ利かないでしょう?


 我が家の1日分は、平均で6~7㎏、スーパーの買い物かご1~1.2杯くらいある。 金額にしたら3500円くらいだろうか。

 2日分をまとめて買うのは至難の業、お醤油が安いから2本買っておこうなんていう買い方もなかなかできるものではない。 下手にまとめ買いをすると冷蔵庫に入らない。

 雨が降ろうが槍が降ろうが、台風の日でも買い物は欠かせない。 どこにどんな気取ったハイヒールで出かけようと、帰りはいつもサンタクロースか大黒様だ。 


 食材が多くなる理由は、野菜以外にもいくつかある。

 前述した「作り置き」や「残り物リサイクル」ができないこともその一つだし、外食や店屋物が取り入れにくく、必ず3食とも家で食べることも、食材が増える原因になる。


 また、その他の理由として、「残飯整理メニューが組みにくい」という事もあげられると思う。

 どこの家庭でも時々やるだろう、冷蔵庫の残り物をかき集めて一食分にするメニュー。 例えばかき揚げてんぷらとか、炒飯、お焼き、半端食材の卵綴じやどんぶり、またはあんかけのようなもの。 

 わが家では、そういう物がすべてカロリーオーバーするからできないメニューなのだ。 いや、できないわけじゃないけど、それ1品で1食分がまかなえるほどの量を作るとオーバーするので、それだけのことをやっても、なおかつもう3品くらい作り足さなければならない、つまりどうやっても買い物は毎日要るということなのだ。


 給料が振り込まれても、あっという間に財布が空になる。 そういう危機的状況の中で、亭主が寝たきりになるとどういうことになるのか。

 安い物を求めて動き回ろうにも時間がない。 節約の工夫をするだけの時間もない。

 何しろ作るだけで1日9時間、食事に縛られるのも私なら、子供を公園で遊ばせるのも、買い物をするのも私、電話に出るのも宅急便にハンコを押すのも、近所に回覧板を回すのも、司のおむつを替えるのも子供たちをお風呂に入れるのも私一人。

 おまけに、亭主の包帯を変え、亭主の入浴に付き合い、手の届かないものを取ってやり、移動の時には足代わりにならねばならないのだ。 一体何人いるんだ私!


 おまけにうちの王子様のマイペースぶりは、いつものことと笑ってられないほど、私のペースをかき乱した。

 「おーい、水」

 「テレビのリモコン」

 「トイレ行く」

 せめて「してくれ」とくらい言えんのか、と腹を立てながらも、この種のことは待ったが効かないからしょうがないよなと、調理中の濡れた手を拭いたり洗ったりして駆けつける。


 ところが、用事が終わって調理に戻るとまたすぐに呼びつけるのだ。

 「蘭が汗かいとるぞ。 着替えさせたほうがいいんじゃないか」

 「ティッシュ取って」

 「通帳どこだった?」

 5分おきに呼ばれるとさすがにむっとした顔になるのだろう。 用事を言いつける亭主の方もそれを見て不機嫌になって来る。

 「呼ばれたら早く来い」

 なんてことをぶつぶつ言い始めると、こちらもついキレ気味になって、

 「今すぐやらなきゃいけない事じゃないでしょ。 用事があるならまとめて言ってよ、その度に手を洗って拭いて来るんだから」

 なんぞと要らぬ一言が出る。


 「いやそうに言うな! こっちだって自分で出来りゃする。 できないから頼んでるんだ」

 「頼まれる方の都合を考えて頼んでくれてもいいでしょ。 なんでひとつずつ待ったナシなのよっ」

 「なら、いつがいいか顔に書いといてくれるのか? 暇で困ってるから今頼んでね、とか言って来てくれるのかよっ」

 「誰のせいで暇がないと思ってんのよっ」

 もとより、亭主も動けないストレスでイライラしている。 こっちは金欠と不眠不休で爆発寸前だ。

 あ、しまったと思った時には、亭主は立っちゃいけない事も忘れて立ち上がり、ちゃぶ台ならぬ炬燵台をひっくり返していた。


 「ならもう何もするな! いやいや世話するならせんでいい!」

 そこらじゅうの物をガンガン私に向かって投げつけたあげく、足音高く、と言ってもギブスで動かないから片足だけ不自然に踏み鳴らして、亭主は車のキーをつかんで外へ出て行った。

 怯えた蘭が声を殺して泣き始め、つられた司が、なんだか事情が分からないくせに一番大声で泣きわめいた。

 ああ、またアパート中にこの喧嘩が伝わるんだろうな。

 呆然と座り込んだ私の頭の中に浮かんだ思いは、現実的なようで、かなりずれた内容のものだった。 今はもっと別のことを考えないといけないのだと、本当はわかっていたはずなのだが、押しても引いてもそれ以上何の言葉も浮かんでこなかった。  

 

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