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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

私、ローズは、実の母親が夜逃げしたせいで借金を背負わされ、奴隷市場で競りにかけられました!どんな人に買われるのか不安です!誰か、助けて!

作者: 大濠泉

◆1


 私、ローズは物心ついた頃から、お母様が営む洋裁店で働いていました。

 お父様は亡くなったのか、お母様と喧嘩して出て行ったのか、わかりません。

 とにかく、お父様がいない分、お金がないと不安で仕方ないそうで、お母様は私を学校にも通わせずに働かせました。

 洋裁店は、グロリア王国の王都から、少し離れた郊外の小都市の目抜き通りにありました。


 不況にも関わらず、お店は朝からお客様が殺到し、繁盛しています。

 古着を縫い直したり、新しいデザインに裁縫し直したりする商法が当ったようです。

 私、ローズは、そんな洋裁店で働いている裁縫師でした。


 夜明け前から、ボロ切れを集め、それらを繋ぎ合わせて衣服に仕立て上げます。

 それから、休む間もなく、お客様から預かった衣服の修繕に勤しみます。


「これもやっときな!」


「ほら、これも!」


 先輩たちから、次々と衣服を投げ渡され、仕事を押し付けられます。

 今日もいつものように、私の目の前に、古着が山のように積まれていきます。

 さすがに、私は吐息を漏らしました。


「ここ最近、やたらと注文が多いわ。

 これだけの量を、本日中に仕上げるなんて、無理ですよ」


 私が泣き言を言っても、他の従業員たちは受け付けてくれません。


「やるしかないのよ!」


「この中で、一番、手先が器用で仕事が早いのはローズ、あなたでしょ!」


 実際、先輩従業員たちも、お客様に対応したり、衣服を分類したりと、忙しく立ち働いています。私に構ってなんぞいられない、といった風情でした。


 でも、私も、目が回るような忙しさで、頑張って働いています。

 このままでは焼き切れそうでした。


 それなのに、店主であるお母様は、何もしません。

 私や従業員には、「働け、働け!」とせかしておきながら、自分は寝そべって、煙草を吸っては、毎日、ゴロゴロしています。

 私は食事休憩の合間に、奥の部屋に行って、お母様に訴えました。


「あの……お母様。

 衣服の修繕は仕方がありませんが、ボロ切れ集めはやめませんか?

 それに裁縫の方も、先輩方にもやっていただけるようにできないでしょうか?」


 少しでも作業量を減らさないと、身体がもちません。

 ですから、利益が薄い仕事を減らすよう、お願いしたのです。

 でも、店長たるお母様は、ろくに私の方を見向きもしません。


「そんなこと、私が決めることじゃない。

 従業員同士で適当に決めなさいな」


 お母様は煙草を吹かしつつ、嘲笑ったように言います。


「仕方ないでしょ。ローズが一番、裁縫の腕があるんだから。

 この店で働くことができて、幸せじゃないの。

 ショールを織ると、ローズのデザインが上手くて、飛ぶように売れるのよ。

 ドレスのデザインや刺繍なんかも、色合いや柄が良いって評判だわ。

 なのに、ローズ、あなたはお客様からの評判を無視するのかい!?

 王宮から依頼があって、王子様の衣服を仕立てる注文もあったわ。

 こいつは運悪く沙汰やみになったけど、途中まで刺繍を仕上げたの、忘れたのかい?

 それだけの名誉、誰のおかげだと思う?

 ワタシが仕事を貰ってくるからじゃないの!」


「でも、私のほかにも裁縫ができる人がいないと、お客様からの注文をこなせませんよ。

 お母様も刺繍、出来るでしょ?」


「知らないわよ!

 また、そうやって威張って!」


 お母様は面倒くさそうに立ち上がると、ドンと足踏みをしました。


 かつてはお母様も裁縫に腕をふるっていましたが、あるお客様から、名指しで私に刺繍の依頼があった途端、不貞腐れてしまいました。

 自分が無視されたのを根に持って、以来、お母様は針を手にしなくなったのです。


「ワタシはもう裁縫なんてしないの。

 もちろん、この店もアンタに譲る気はないわ」


 そう、しょっちゅう聞かされてきました。

 でも、子供は私しかいないのに。

 このお店は、誰かに譲るのでしょうか。


 ジッとお母さんを見ていると、舌打ちされました。


「物欲しそうな顔したって駄目よ!」


 別に私は、お店が欲しいなんて、思っていません。

 仕事の量を少しでも減らして、休みたいと思っているだけです。


 そんなとき、店で販売している売り子から、応援を要請されました。


「誰か、刺繍に詳しいヒトをーー」


「はい、私がーー」


 私が反射的に応じて進もうとすると、お母様から、バシッと平手打ちされました。


「ローズ! あんたみたいなのを表に出せるわけないでしょ!

 気持ち悪がられて、お客様が逃げちゃうじゃない!

 だから、アンタには店も継がせないの。

 わかってるでしょ!?」


 そうでした。

 忘れていましたが、今の私は、お母様から、「顔にこんな痣があっては、人前に出せない」ーーそう言われ続けていたのです。


 去年、アイロンがけを手伝わされたとき、従業員の一人から顔にアイロンを押し付けられました。

 その後輩従業員によれば、


「ローズさんが店長の一人娘だからって、不当に可愛がられてるのが、気に入らなかった」


 のだそうです。

 そんな言い分を、お母さんから聞かされたとき、火傷(ヤケド)で肌が(ただ)れた部分を湿った布で押さえながらも、首をかしげました。


(私が可愛いがられてるって?

 どこをどう見たら、そんなふうに思われるわけ?)


 他の従業員よりも、私相手の方が、お母様の風当たりが強いことは、店で働く誰もが知っています。

 なのに、私に痣をつけた犯人はヌケヌケと、いかにもお母様が喜ぶようなことばかりを口にしたようでした。

 この事件のあと、お母様がやたらと、その従業員を褒めそやし、お金をあげたと知りました。

 彼女はそのお金を元手に、今では、よその街で店を出したと聞いています。

 ですから、おそらく、お母様が、その従業員に命じて、私に嫌がらせをするように仕向けたのだと、今では思っています。


 頬から首、さらには胸のあたりにまで、大きな蝶々が舞っているような痣ーー。

 胸の部分は服を着るから隠せますが、頬と首の部分は隠しようがありません。

 人は私を何か怖いものでも見るような目で見ます。

 そして、私と目が合うと、サッと目を逸らすのです。

 そんなわけで、私は人の目を見て話すことができない、コミュ障な人間になりました。

 それを百も承知だからこそ、お母様は私を店内奥の裁縫室に閉じ込めて、いっさいお店に顔を出させてはくれませんでした。



 それなのに、その日の午後ーー嵐のような裁縫作業を終えたあと、お母様から意外な命令が下されました。


「ほ、ほんとうですか? お母様。

 私に外に出て、じかにお客様に服を売れ、と?

 今まで、店に立たせてもくれなかったのに?」


 悪びれる様子もなく、お母様は煙を吐きながら言い募ります。


「仲買から大量の注文を受けてたんだけど、今、世の中、不況の真っ只中だろ?

 当てが外れて、完成した衣服を小売店が引き取ってくれないのさ。

 だから、アンタが直に街へ売りに行きな!」


「でも……」


「痣は気にすんじゃないよ!

 売れ残りを(さば)くだけなんだから」


 今、考えると、お母さんはそのとき、とにかく私を追い払いたかったようでした。



◆2


 翌朝、私、ローズは、朝早くから店を出ました。

 寒くて、全身がブルッと震えます。

 今年は、近年稀に見る寒波が、王国全体を襲っているといいます。


 寒風が吹き荒れる中、私は衣服を大量に積んだ荷車を引いて、街へ向かったのでした。


 途中、農作を生業とする小さな村を通り過ぎました。

 ここを脱けたら、明日は王都に辿り着けます。


 ですが、距離的にも時間的にも、ここら辺で、一泊しなければならないようでした。

 とはいえ、田舎の農村ですから、宿屋らしきものが見当たりません。

 もっとも、宿屋があったとしても、大人の男性専用のいかがわしい飲み屋を兼ねた宿屋か、バカ高い宿泊料を請求するコテージしかありません。

 実質、今の私に泊まれる宿は存在しなかったのです。


 特に、ここ最近、痣が出来てからは、人々の視線が怖くて仕方ありませんでした。

 まず驚きの目で私を見てから、首の辺りをジロジロと見て、憐れむようにまた、私の全体の容姿を見直すのです。

 そして不吉な何かを見たような目で、私から目を逸らして、足早に立ち去るのが、多くの人の反応でした。


 でも、私は密かに、この痣の形を気に入っていました。

 首から胸にかけて、二匹の蝶々が羽を広げているように見えるからです。

 その意匠(デザイン)が気に入っていました。

 私には、ちっとも不吉には見えません。

 美しいとさえ思います。


 ですから、私、ローズは、いつも自分に言い聞かせていました。

 今の私はサナギなんだ、と。

 いずれ、この痣の蝶々のように、青空に向けて羽ばたいて行くんだ、と。

 この痣は、私に与えられた運命だと思って、背負うことにしたんです。



 そんなことをツラツラと考えながら、村から出るときーー。


 一軒のボロ屋から、大人の怒鳴り声が聞こえてきました。


「いつの間に入り込んでたんだ。出てけ!」


 キャン、キャン!


 一匹の子犬が、赤ら顔の中年男によって、ボロ屋から蹴り出されていました。

 白い短毛の子犬が捨てられていたのです。


(可哀想に……)


 私は即座に駆けつけ、子犬を抱き寄せようとしました。

 が、警戒され、私の腕を噛みついてきます。

 ですが、私は痛みを堪えて、子犬の頭を撫でてあげました。


「良い子、良い子。

 本気で噛んでなんか、いないよね?

 ワタシにはわかる。

 傷だらけ……ワタシの心と一緒だね」


 クウーン。


 子犬は頭を胸に押し付け、なついてくれました。

 私は、この子犬も荷車に乗せて、衣服と一緒に引いて行くことに決めました。



 村から出て、王都へと向かう道すがらに、一本の小川が流れていました。

 その川べりに、荷車を置きます。


 もう夕方になっていました。

 小川に架かった橋の下で、一晩、過ごすしかなさそうです。


「良い場所を見つけた。

 ここはあったかいわ」


 私は子犬を抱き寄せます。

 そして、荷車から衣服を何枚も取り出しました。


「売り物だけど、良いわよね。寒いんだもの。

 あったまろ。

 これらは、私とあなたのガウンよ」


 私は子犬と一緒に、服にくるまりました。

 橋の下で寒風を避けて、一緒に抱き合って眠ったのです。



 衣服と子犬の暖かさで、幸い、風邪をひくこともなく、寒い夜をやり過ごすことができました。

 翌朝、子犬が頬を舐めてくれたので目が覚めました。

 小川で顔を洗い、さっそく荷車を引いて王都へと向かいます。



 王都の周りは石壁で囲まれ、出入口には大きな門がありました。

 その門を開けてもらえないと、王都の街の中には入れません。


 私が荷車を引いて進むと、門番に止められました。

 ですが、お母様からもらった許可証を見せたら、通してくれました。



 それからすぐに、衣服を路上で売り始めました。

 昨晩から何も食べていませんでしたが、仕方ありません。

 お金もないうえに、食べ物を売る屋台もまだ営業していなかったからです。


 大きな布を敷いて衣服を綺麗に並べ、売り出しました。

 子犬と一緒に身を寄せ合っていると、往来の人々の目に止まったようでした。


「路上販売なんて、久しぶりに見るわ」


「この寒さなのに……」


 ほんとうに、白い子犬が客引きに貢献してくれました。

 子供が撫でてくれて、そのついでに、その子のお母さんが服を買ってくれました。

 他にも、老夫婦などが足を止めて、衣服を選んで買ってくれます。

 特に、中年以降のおばさんに好評のようでした。

 彼女たちは、衣服の布地や、刺繍を指で撫で回しながら、口々に言い募ります。


「実際、安いわよ。良い生地だし」


「しっかり仕立てられてる」


「デザインも素敵だし」


「結構良い裁縫してるよ、この服」


「すごく安いじゃないの。これでも私、見る目はあるのよ」


「最近、衣服も高いからねえ。お買い得かも」


「これ、貰うわね」


「頑張るんだよ」


 私は思わず笑顔になっていました。

 いつも裏方で裁縫してばかりだったので、お客様の反応にじかに触れられるのが新鮮でした。


「ありがとうございます」


 お金も十分入ったので、昼頃にようやく開いた屋台で、肉串を二本買い、一本を子犬にもあげました。

 二人で並んで、ガツガツと食べました。


 商売の方は思いのほか順調で、他にも何人かが衣服を買ってくれました。

 中には、お金を投げ寄越すだけの紳士もいました。


 チャリン、とお金がお皿に入る音がします。

 でも、そういった、衣服を手にしない人がお金を入れてくれても、あまり嬉しくありません。

 その人たちが立ち去り際に、


「物乞いだよ。だって、あの顔見てみろよ」


「ああ。痣……」


 などと小声で語り合うのを耳にすると、よけいにやるせなくなる気分でした。

 でも、お金はお金です。

 食べていくためには、お金が必要でした。



 ところが、せっかく得た稼ぎが、いきなり奪われてしまいました。


 見回りの官憲に、路上販売を見咎められてしまったのです。

 お母さんからもらった許可証を見せましたが、首を横に振られました。


「これは通行許可証。販売許可証じゃない」


 なら、販売の許可を取ろうと思いました。

 が、その許可を得るためには、大人の保証人が必要だといいます。


「ここにはいません」


「では、駄目だ。子供ひとりには許可は下りない。

 お金は没収だ」


「や、やめてください。売って儲けたお金です」


「うるさい。この街では、物乞いは禁止なんだ」


「物乞いでは……!」


「なんだ。反抗的だな」


 若い大人が、私の頭をガツンと殴ります。

 思わず、涙が溢れてきました。


 うわああん!


 子供が泣くと同時に、子犬がキャンキャン吠えます。

 さすがに、往来の人々の目に止まりました。

 官憲に対し、誰も苦情を口にはしませんが、非難がましい視線をぶつけていきました。


 官憲がまた、弱い者いじめをしてるーー。


 ひとり、若い方の官憲が、恥ずかしくなって、かえって激発しました。


「公務執行妨害で逮捕してやるか!」


「やめろよ、子供相手に」


 年配の官憲が、若いのを押し留めます。

 そして、チラと没収した金を見て、言いました。


「今宵の酒代は出来たんだから。

 親にとっても、要らない子供なんだろう。

 見ろよ、あの痣。

 可哀想なんだから、ほかっとけ」


「ふん。気持ち悪いな。

 とっとと、出て行け!」



◆3


 せっかく得た稼ぎが奪われ、服も少なくなってきました。

 私と子犬は抱き合って、寒空の下、建物の陰で凍えるしかありません。


 すると、見知らぬおじいさんがやって来て、チラと荷車の中を覗き見てから、話しかけてきました。


「この服は、お嬢ちゃんのものかい?」


 黙って、うなずく。


「昨日から噂になってた、路上販売の娘さんだね。

 外は寒いだろう。おじいちゃんと一緒に来なさい」


 見知らぬおじいさんが、大きな館に入れてくれました。

 執事に命じて、衣服も荷車から取り出して、運び込んでくれました。


 おじいさんは白い顎髭を撫で付けながら、私の痣をしげしげと見詰めます。

 その視線には、(あざけ)る色合いはまるでありません。

 そして、絨毯の上に並べられた衣服に視線を落として言いました。


「このデザインは……そのお顔の痣から取ったのですね」


 私はコクンとうなずきます。

 二羽の蝶々が羽を広げている意匠でした。

 自分としては、とても美しいと思っていました。

 でも、口に出して、そうは言えません。

 痣と同じ模様と知れば、みなが気味悪がるとわかっていたからです。

 ヘタな同情も惹きたくもありませんでした。


 でも、私の心配をよそに、おじいさんは柔らかく微笑みました。


「今晩は私の所に泊まっていきなさい」


 暖炉のそばに毛布を敷いてくれました。

 私は喜んで、子犬と一緒にくるまって寝ました。



 翌朝、カーテンが開かれる音とともに目覚めると、テーブルの上には、湯気がたったスープとパンが置いてありました。

 朝食までご馳走になったのです。

 さらには、残った衣服を全部、おじいさんが買ってくれました。

 お金も、袋いっぱいに手渡されました。


「こ、こんなに!?」


「困ったことがあったら、このおじいさんに頼りなさい。

 これは、私と懇意になった印です」


 おじいさんは、碧色の石を嵌めたネックレスをくれました。

 信じられないほどの厚遇に、私、ローズはポロポロと涙をこぼしました。


「ありがとうございます」



 官憲からは酷い扱いを受けたけど、衣服を買ってくれた街の人々や、館のおじいさんからは、思わぬ親切を受けました。

 袋いっぱいにお金を詰めて、洋裁店に帰ることができます。

 私、ローズは子犬と連れ立って、意気揚々と王都の街を出ることが出来ました。

 門番は何も言いません。

 門の中に入るのには厳しいけど、出る者にはあまり干渉しないようでした。


 上機嫌で帰路についた私でしたが、密かな悩みがありました。

 一つは、このなついた子犬をどうするか。

 そしてもう一つは、高価そうな、碧石を嵌めたネックレスをどうやって隠すかでした。


(このネックレスをしたまま帰ると、お母さんに奪われてしまう……)


 道すがら、思案した挙句、妙案を思いつきました。

 衣服を販売する際、丈合わせで余った布切れに包んで、子犬の首に巻きつけたのです。


 小首をかしげる子犬を抱き締めつつ、私は子犬に言い聞かせました。


「これでアナタも、どこかの飼犬に見えるし、一石二鳥なのよ。

 そして、私とはしばらく、ここでお別れ。

 キミをこれ以上、連れていけない。

 絶対、お母さまはアナタを飼うことを許してくださらないわ。

 それに、従業員のお姉さまたちにも、きっといじめられてしまうもの。

 ーーでも、大丈夫!

 これほどのお金をいただけたんだもの。

 私、きっとまた、王都の街に行くことになるから、そのときに会いましょう。

 ここの橋の下で待ってて」


 クウーン……。


 名残惜しく思いつつも、私は子犬を橋の下で手離しました。

 子犬は相当に賢いようで、私からの言いつけを理解したようでした。

 ポツンと居残って、子犬はずっとこっちを見詰めていました。



「ただいま戻りました。お母さま」


 私は荷車を裏口に回すと、そのまま裏から店に入ります。

 来る途中に表を見たら、洋裁店は閉まっていました。

 中は薄暗く、ガランとしています。


「おかしいわ。今日はお休みなのかしら?」


 それにしたって、住み込みの従業員が何人かいるはずだし、お母様がゴロ寝して煙草を吹かせているはずです。

 それなのにーー。


 疑問に思ったとき、いきなり大男どもに、私は床に押さえつけられてしまいました。

 五、六人もの男たちが、店の中に隠れ潜んでいたのです。


 私が目を白黒させているうちに、お金を袋ごと取られてしまいました。


「おお、たいそう持ってるじゃねえか!?」


 勝手に袋の紐を緩めて、男が陽気な声をあげます。


「泥棒!」


 と、私は甲高い声をあげました。

 が、私の身体の上に座り込んだ男は、身をかがめて、私の耳元でささやきました。


「人聞きが悪いな、お嬢ちゃん。

 俺たちは債権者。

 泥棒はアンタのお母さんだ。

 あの女、布地や装飾品をツケで大量に買い込んで衣服を作り上げて売り捌き、しこたま儲けた金を溜め込んで、そのまま夜逃げしやがった」


 数多くの取引業者に迷惑をかけ、自分だけ大金を手にして、雲隠れーー。

 従業員たちも行方を知らないのだそうです。

 いかにも、お母様がやりそうなことでした。


「残された書き付けによれば、借金のカタとして、娘を置いて行くってよ。

 アンタが、その娘さんだろ?

 痣があるから、すぐわかるって書いてあったぜ。

 ほんとだな」


 冷たいナイフの刃を頬の痣に当てられ、私は絶叫しました。


 いやああああーー!


 男どもは私の悲鳴を無視して縛り上げ、私が今まで引いてきた荷車に放り込みます。

 面白がって、胸や太腿に手を伸ばす男もいましたが、リーダー格の男が(たしな)めました。


「何もすんなよ。大事な商品だ。競りに出したら、良い値がつくかもしれねえ」



◆4


 お母様のせいで、多額の借金を背負った私、ローズは、債務者によって売りに出されることになりました。


 このバルーン王国では、人間の売買は許可されていたのです。

 お祭りの日に、年に一度、〈人間の競市(せりいち)〉が開催されるのでした。


 王都の闘技場で開催される、競市の会場は熱気に包まれていました。

 大きな舞台には、今日売買される人々が白いマントを着せられ、胸元には番号札が付けられていました。


 私は二十七番でした。

 マントの下は裸です。


 何人もの男女が裸を晒されて売られたあと、ついに私の番が来ました。


 司会者が私を舞台の中央に立たせ、口上を述べます。


「さあ、お次は、いまだ十代の若い娘です。

 名前はローズ。

 器量も良いし、スタイルも良い。

 美しい娘に育っております。

 顔も美しい。

 ただ大きな欠点があります」


 司会者は、私にマントの前ボタンを外すように命じます。

 でも、私は恥ずかしさのあまり、唇を噛んでうつむいてしまいました。


 私がなかなかマントのボタンを取らないので、司会者が無理矢理マントを剥ぎ取りました。


 おおおお!


 口笛を吹いたり手を叩いたり、観衆の男どもは興奮し、ヤジを飛ばし始めました。


「そんな痣がある女なんて、安値でしか売れねーよ!」


「美人なのに、もったいねぇなぁ!」


 競りに出された私をクサしながらも、私の裸をギラついた目で見詰めています。

 会場は下品な熱気に満ちていました。


 会場の客席上段では、私、ローズを舐め回すように見ている男がいました。

 禿げ頭に口髭を蓄えた、気持ちの悪い見た目をした、脂ぎった中年オヤジです。

 この辺り一帯で手広く商売をしている、ハロルド商会の当主ハロルドでした。

 太った身体に、好色そうな小さな目を光らせています。

 獲物を見つけた猫のように、舌舐めずりをしていました。

 彼は女好きで、いつも複数の女を身の回りに置いていました(今も首輪を付けた女性を二人、両脇に抱えています)。

 そして、飽きっぽい性分をしていました。

 自分の愛人にしていた女を、飽きたからといって、遊郭に売ったこともあります。


 そんな好色なオヤジが、私、ローズのことをひと目見て、気に入ったようでした。


「アザがなければ、良い女だ。

 化粧をしたら誤魔化せる。

 飽きたら娼館に売れるぞ」


 ハロルドは司会者に向けて、大声を張り上げました。


「銅貨五枚!」


 おおおお!


 会場に歓声があがります。

 大きな痣がある、「傷モノの娘」に、予想外の高値がついたからです。


 私は悲しくなりました。


(あんな(ヒト)に、私は買われるんだわ……)


 突然、言いようのない絶望が、心中に込み上げてきました。

 目の前が真っ暗になっていきます。


「神さま、どうか私を助けて下さい」


 私は、声にならない声を出しました。


 すると、祈りが天に通じたのでしょうか。

 事態は思わぬ方向へ進みました。


 フードをかぶった一人の若者が、颯爽と、風のように会場に入ってきたのです。

 そして、私をじっと見詰めるやいなや、即座に手を挙げました。


「銀貨十枚!」


 ハロルドが提示した銅貨五枚を受けて、司会者が「それ以上はありませんか!?」と声をあげていました。

 それに対して、いきなり「銀貨十枚!」と叫んだのです。


 ちなみに、銀貨一枚は銅貨十枚に相当します。

 中年オヤジが銅貨五枚と提示したのに続いて、若者がいきなり銀貨十枚ーーつまり、銅貨にして百枚に値を吊り上げたのです。


 ハロルド商会の当主は、目を剥きました。

 銅貨五枚でも奮発した価格なのに、銀貨十枚なんて、まったくふざけた値段です。


 会場はどよめきました。

 ざわざわとした喧騒が広がります。


 ハロルドの取り巻きどもが、若者に食ってかかりました。


「おい、若いの。貴様、どこのもんだ? 見かけない顔だ」


 若者はキッと睨み返します。


「貴様らごときに名乗ることはない」


 年若の男から、上から目線で応じられたのです。

 ハロルドの取り巻きどもは、悔しそうに歯軋りしました。


 たしかに、フードの若者は、良く見れば、高級そうな身なりをしています。

 貴族のお坊ちゃんかもしれません。


 それでも、この地域一帯を縄張りとするハロルド商会の面々にもメンツがあります。

 貴族のガキに馬鹿にされてたまるか、この競市での顔役は俺たちだ、とばかりに奮い立ちました。


「なんだと!

 口の利き方に気をつけろ、このガキ!」


「俺たちがハロルド商会の者だってのを知らないな!?」


「おい、若いの。おまえ、この街の者じゃないだろ!」


「さては最近、噂になってる山賊か?」


 街の女を攫って売り飛ばす山賊が郊外でのさばっていると、近頃、(ちまた)で噂されていました。

 親分のハロルドが、騒がしい子分どもの口を抑えるように、腹を抱えて笑いました。


「はっはは。それはない。

 儂は、その山賊どもと取り引きしたことがあるが、話の分かる奴らだった。

 こんな傷モノに銀貨十枚なんて法外な金額を払おうとする、相場のわからん馬鹿ではなかったわ」


 ゲラゲラ……。


 嘲笑が渦巻く中、若者は凛とした声をあげました。


「相場など関係ない。私は真に価値のある女性を手に入れたいだけだ」


 シーーン。


 静寂が場を支配します。

 この若者は本気だ、と会場にいる誰もが理解したようです。


 一方、ハロルドは本気で腹を立てていました。

 こんな見知らぬ若造に、一度唾をつけた女をさらわれるのは、男の沽券に関わるーーそう思って、ハロルドは声を張り上げました。


「金貨十枚ーー!」


 司会者のみならず、会場にいる誰もが驚きました。

 金貨一枚は銀貨十枚に相当します。

 つまり、銅貨で換算すると、この「痣の付いた傷モノ娘」に、銅貨五枚から始まって、銅貨百枚、そして銅貨一千枚の値が付いたのです。


 司会者は喉を震わせます。


「ま、まさかの金貨十枚が出ました!

 これは破格です。びっくりですよ。

 私も長くこの商売をやっておりますが、こんなことは初めてです!」


 ハロルドの取り巻きの間でも、動揺が広がっていました。


「ハロルドさん、いいんですか? そんな大金」


 ハロルドにも、地方名士としての意地がありました。


「ああ。構わん。店にはうなるほど金貨があるからな。十枚ぐらいたいしたことない」


 中年オヤジが、無理して平静を装います。

 ですが、その演技も破れる時が来ました。


 相手の若者が、


「では私は、金貨二十枚とさせていただこう!」


 と値を吊り上げたからです。


 おおおおお!


 割れんばかりの歓声が、場内にとどろきます。


 業を煮やしたハロルドは、若者を睨みつけ、


「この痴れ者がーー!」


 と大声で怒鳴りました。


 衆人監視の中、裸に剥かれた私は、目の前で何が起きているのか、さっぱりわかりませんでした。

 もちろん、できれば、あの美しい若者に自分を買ってもらいたいと思ってはいます。

 そして、私、「傷モノ娘」の意向は、顔を見れば、誰にでもわかってしまうのでしょう。

 どうやら、自分が、売り物になっている女ごときに嫌われている、という事実が、ハロルドには許せなかったようでした。


 ハロルドの取り巻きは、主人に口々に言い募ります。


「あんな女、金貨二十枚の価値なんてありませんよ」


「そうですぜ。金貨十枚で、立派なお屋敷が建つっていうのに!」


「もう諦めましょう。明らかに無駄な出費です」


 それらの声を遮るように、中年オヤジは癇癪を起こしました。


「うるさい!

 男は戦うときには戦わなければならんのだ。

 こんな若造ごときに舐められてたまるか。

 おい、誰でもいいから、店に行って、ありったけの金貨を持って来い!」


 いかにも、競市の顔役らしく、司会者に向かって命令口調で言い渡します。


「この傷モノを、このハロルドが金貨五十枚でもらい受けるぞ。それでいいな!」


 司会者も観客も、声を出しません。

 会場の熱気は一気に鎮まりました。

 これでは競りとはいえません。

 権力に物を言わせた横暴でした。


 でも、中年オヤジのハロルドは得意満面になって、改めて椅子に座り直します。

 そして、競合相手の若者に向かって鼻を鳴らしました。


「若造。これが世の中の仕組みというやつだ」


 若者はそれでも、冷静な振る舞いをやめません。

 溜息を一つついて、言いました。


「では、僕も〈世の中の仕組み〉というものを利用させてもらおう」


 若者は司会者を呼びつけます。

 そして、若者の手から、司会者は指輪を受け取りました。


「こ、これは……!?」


 司会者はその指輪を見ると、瞬時に青褪めました。

 急にペコペコと、若者に向かって頭を下げ始めます。

 そして、手を挙げて、宣言しました。


「こちらの女性は、このお客様に落札されました。

 おめでとうございます。

 お嬢様、どうぞこちらにーー」


 司会者は、驚愕の表情を浮かべるハロルドを無視して、丁重な口調で、私、ローズを若者の許に引き渡したのでした。


◆5


 私、ローズは、すっかり怯えていました。

 謎の若者に付き従って馬車に乗り、連れて来られた場所が、なんと、丘の上に聳える王城だったからです。


 私の手を握ってエスコートする若者がフードを取ると、金髪で碧色の目をした美男子でした。

 始終笑顔を絶やさない彼が、私をお城へと引っ張って行く間、通り過ぎる誰もが深く頭を下げるのが印象的でした。

 自分を買い取り、手を引く若者が、とてつもなく偉い身分であることが、容易に察せられたのです。


 お城の中の、豪華な金銀で装飾された部屋で、若者に勧められるままに、ソファに腰かけたあとも、私は緊張して、全身の強張りが取れませんでした。


(これから私、どうなっちゃうんだろう……)


 不安を抱える私を前に、若者は片膝立ちになって、言いました。


「お嬢さん。僕と付き合ってくれませんか?」


 私は何がなんだか見当もつきません。


「あの……失礼ですが、どちら様でしょうか?」


「これをご覧ください」


「こ、これは!?」


 若者が懐から取り出して見せたのは、碧色の石を嵌めたネックレスでした。

 いつか、寒風吹き荒れる街で、館のおいじさんがくれたもの……。

 私は両目を見開きました。


「このネックレスは、あの子犬の首に巻いてあげたものです。

 ということはーー。

 ああ、貴方様は、あの可愛らしい子犬の飼い主さんなんですね!」


 子犬は無事だった、良かったーーと心底、私は安堵しました。

 小首をかしげて待っている、可愛い子犬の姿が目に焼き付いていました。


 ですが、若者は首を横に振って、照れたように笑います。


「いえ、飼い主ではありません。

 僕はその子犬、本人です」


「はい?」


「人間の姿でお会いするのは初めてですね。

 僕の名前はレフルド•グロリア。

 このグロリア王国の第一王子です」


◇◇◇


 レフルド王子は、幼い頃、王宮付きの占い師から、次のように予言されていました。


「王子様は将来、お若いときに、とんでもない苦しみを味わうでしょう。

 魔法をかけられ、お尻から尻尾を生やして、人々から邪険に扱われるのです」


 子供の頃の王子は、目を丸くしました。


「ほんとうに?」


「でも、ご安心を。

 大きな蝶々が羽を広げて、王子をお守りいたします。

 それまで、どのようなことがあろうとも、耐え忍ぶのです。

 その蝶々の方が、王子様より、もっと苦しい人生を送ってきたのですから。

 しかも、その蝶々は、王子様をお助けしたあと、売りに出されてしまうのです」


 王子は首をかしげました。


「?? 蝶々なのに『人生』って。おかしいね。

 ーーああ、そうか。これは比喩なんだね」


 占い師のおばあさんは、ニッコリと微笑みました。

 その、暖かみのある、皺だらけの顔に、レフルド王子は惹かれていました。


 ところが、その占いを聞いて以来、そのおばあさんの占い師は、王宮に姿を見せることはなくなりました。

「王子様に不吉な予言をしたから」という理由で、王国から追放されてしまったのです。

 王子が八歳のときでした。


「予言の真意を深く知りたい。どうして追い払ったんだ!」


 レフルド王子は怒りました。

 占い師のおばあさんを気に入っていたからです。

 それなのに、「宰相が決めたことだから」と父王も王妃も取り合ってくれませんでした。


 それから十年後ーー。


 その宰相閣下が、王位を簒奪しようとして、謀叛を起こしました。

 宰相は父王の親類で、王位継承権があったので、欲を抑えられなかったのです。


 その際、宰相に雇われた魔法使いが、王子に呪いをかけました。

 子犬に変化する呪いでした。

 宰相は王位簒奪に際し、レフルド王子からも次期国王の芽を摘もうと算段したのです。


 ちなみに、この魔法使いは、子供の頃の王子に将来の苦難を予言したおばあさんの占い師の血縁者で、宰相から嘘をつかれて、国王によって、おばあさんが国外追放されたと信じ込んで、怨みを持っていたのでした。

 

 それでも、結局、謀叛は失敗し、宰相は監獄行きとなりました。

 ですが、魔法使いは官憲の手から逃げ切り、変装魔法を駆使して街中に潜伏します。


 おかげで、王子が呪いで子犬になったことを、魔法使い以外は誰も知らず、結局、犬になった王子は王宮から追い出されてしまいました。

 占い師のおばあさんの予言が、真実となったのです。


 後日、それを知り、魔法使いは気に病み始めました。

 じつは占い師のおばあさんを国外追放にしたのは宰相だったと知ったうえに、王子が失踪扱いになっていること、それに自分が王子の誘拐犯とされてしまっていることを、迷惑にも、申し訳なくも思っていたのです。

 もう呪いは解いてやろうと、魔法使いはおじいさんに姿を変えて、子犬になった王子が街をフラついているのを追いかけ、なんとか解呪してあげようと試みます。


 ところが、子犬になった王子が、警戒してなつきません。

 さらに、王都の街から姿を消してしまいました。


 魔法使いが、行方を探し始めてから、一ヶ月後ーー。


 冬のある日、いきなり子犬の王子が、痣のついたお嬢さんに抱きかかえられて、自分の許にやって来たのです。


 そう。

 ローズを助けた〈館のおじいさん〉こそが、王子を子犬に変化させた魔法使いでした。


 呪いを解く条件はハッキリしています。

 ヒトからの愛情を受けたあと、解呪のネックレスを嵌めて一定時間を経過したら、呪いが解けるーーとされていました。


 つまり、ローズは何も意図せず、子犬の王子を優しく慈しんだうえに、首に解呪のネックレスを巻きつけたのです。

 その結果、王子にかかった呪いの解呪条件を満たしたのでした。

 ローズと橋で別れた翌日、レフルド•グロリア王子は、子犬から人間の姿を取り戻したのです。


 レフルド王子はさっそく王宮に駆け戻りました。

 国王も王妃も大喜びしました。

 それも当然です。

 失踪して一年、そろそろ王子が死亡したと発表しようとしていた矢先でした。


 一応、詳しい経緯を知ろうと、魔法使いを探しましたが、〈館のおじいさん〉は街から姿を消していました。館はもぬけの殻になっていたのです。


 それと同時に、王子は自分を助けてくれた痣のある娘を探しました。

 その痣の噂から、すぐに服飾店の娘ローズだと知れました。

 ところが、その店は閉店した後でした。

 債権者どもを問い詰めたら、ローズが人身売買の競りにかけられたと知り、王子は激怒しました。


 急いで、自由になるお金を掻き集めて、フードをかぶり、お忍びで競りに出ます。

 もしもの時に、身分を明かす、王家の紋章が入った指輪をつけて。

 そうしてローズと巡り合い、中年オヤジのハロルドに競り勝って、現在に至ったのでした。


◇◇◇


 そうした経緯をまるで知らないローズは、目の前の若者が王子様と知り、さらには、あの、抱き合って一緒に寝た白い子犬が、その王子様だったと教えられ、混乱する一方でした。


 ローズは、ちょっと裁縫の腕に覚えがあるだけの平民娘ですから、魔法も呪いも、話に聞いたことがあるだけで、とても真実とは思えません。

 ですから、行くあてもなく、王子様に買われた身であることを思い出し、現実として、自分の行く末を案じました。


「これから、私はどうなるのでしょう?」


 おずおずと尋ねるローズに、片膝たちの王子様は悠然と立ち上がり、微笑みます。


「僕の妻になるんですよ」


「そんな! こんな痣があるのに……」


「気にする必要はありませんよ。

 貴女の痣は、こんなに美しいんですから。

 この羽を広げた蝶々が、呪いがかかった僕をあたためてくれたんです」


 王子様は少しかがんで、痣がある頬にキスをし、ローズをギュッと抱き締めます。

 ローズは、顔をすっかり赤くさせてしまいました。



 レフルド王子と平民娘のローズが結婚したのは、それから二年後のことでした。


◇◇◇


 ちなみに、後日、地方名士の大商人ハロルドは、全財産を失い、自身が競売にかけられる羽目に陥ってしまいました。

 山賊に攫われた女性を、それと知りながら、何人も買っていたことを罪に問われたのです。


 バルーン王国では、人間の売買が許可されてはいますが、規定がいろいろとあって、特に、「誘拐された子女の売買」は厳しく禁じられていたのです。


 中年オヤジのハロルドは、裁判の結果、全財産を没収された挙句、市民権を剥奪されました。

 そして、因果応報とばかりに競りにかけられ、結局、銅貨三枚で、遊郭の高級遊女に買われたのでした。


 ハロルドは、かつて愛人にしていた女を、飽きたから、遊郭に売ったことがあります。

 その元愛人が出世して高級取りとなり、元主人を買い取ったのでした。

 ハロルドは自らが売った遊女の下僕になったのです。


 それでも、図々しいハロルドは、自分を購入した女主人が顔見知りでしたから、


「久しぶりだ。よく助けてくれた」


 などと言って、元愛人に甘えようとしました。

 ところが、その女から、逆にひどい目に遭わされます。

 手術で去勢された挙句、三助として遊女たちが入浴する際の世話係に収まり、日々、オトコに買われる女性たちから、叩かれたり、蹴られたり、物を投げつけられるなどして、憂さ晴らしの下僕として扱われるようになったのです。



 また、レフルド王子は直々に出張って、王都の官憲どもを取り締まりました。

 路上販売をする者から、売り上げを没収してきた者どもを牢屋へと叩き込んだのです。

 たしかに路上販売が許可されている地域は限定されていましたが、官憲に、その収益を没収する権限はありません。

 しかも、それを酒代に充てることは、他人の資産を横領するも同然です。

 王子がじかに王都を検分して回って、官憲を取り締まりました。

 子犬だったときの記憶がバッチリあったので、子犬だった自分とローズからお金を奪った挙句、暴力を振るい、不当に逮捕しようとした若い官憲を見つけ出し、牢屋へとぶち込み、一罰百戒としました。



 さらに、ローズの母親も酷い目に遭っていました。

 夜逃げした直後、運悪く、人攫いをする山賊に襲われてしまったのです。

 大金を抱えての、女だけの旅路でしたから、狙われやすかったのでしょう。

 結局は、お金を全部巻き上げられ、散々、陵辱された挙句、洗濯女にさせられました。


 しかも、それから数年後、その山賊一味が王国騎士団によって、討伐されました。

 その際、ローズの母親も、一緒に殺害されてしまったのです。

 彼女が救けを求めて、騎士団の許へ走り込んで来たのを、新米騎士が敵襲と勘違いして刺し殺してしまったのでした。


 しかし、その報告が、娘であるローズに届くことはありませんでした。

 レフルド•グロリア王子が、その情報を握り潰したのです。

 そのときには、ローズのお腹に、待望の第一子を宿していました。

 ですから、ローズの体調を気遣って、依然として「母親は行方不明」ということにしておいたのでした。



 そして、〈館のおじいさん〉こと、王子を子犬に変えた魔法使いの行方だけは、杳として知れませんでした。

 でも、彼ならば、この顛末に満足して、王子とローズを祝福してくれることでしょう。


 最後まで読んでくださって、ありがとうございます。

 気に入っていただけましたなら、ブクマや、いいね!、☆☆☆☆☆の評価をお願いいたします。

 今後の創作活動の励みになります。


●以下の短編作品も投稿しています。楽しんでいただけたら幸いです。


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