猫 おもちかえり
よっぱらったパパが持ち帰った猫はどうやら猫でなく。。。。娘がほこらしい、よっぱらい父のみじかいはなしとなっております。。。
そもそもそれを連れ帰ったのはおれらしいのだが、なにしろそんな記憶はない。
「やあねえ。ほんとに覚えてないの?」
日曜の朝、妻があきれたようにお茶を出し、珍しく自分で起きてきたという娘を目でさした。
「あーちゃんに、『今日からおねえちゃんだぞぉ』なんて、大声あげてみせて、わざわざ起こしたじゃない」
「金曜日?うちの課の送別会の日だよなあ?たしかに、ちょっと飲みすぎてて、うちに帰った記憶あやふやなんたけど・・・あれえ?おれ、タクシーで帰ったはずだけどなあ・・・。じゃあ、その辺で拾ったってことか?」
娘が楽しそうな声でかまう、その小さな動物を見る。
黒くてながめの毛足は、ちょっとぼさぼさ。顔は、ペルシャっていうのか?ちょっと潰れ気味なブサイク顔。それでも目は、きれいな青で、「がいこくの人みたいだね」なんて五歳の娘は惚れ込んでいる。
もともと動物好きな妻は、酔っ払いの持ち帰ったそれを、当然のように受け入れてしまい、「あーちゃん、よかったねえ」なんて、まだ兄弟のいない娘に、猫の世話をいっしょにする喜びを教え込み始めた。
がんばって買った一戸建て。
早々に猫なんて引き入れるつもりなど、まったくなかったのに、持ち帰ったのはどうやら自分で、猫を飼っている同僚に話を聞き、家の中のこれからの惨状を思い、ため息をついていた。 の、だが ――。
「うちの猫。すげえ行儀いいの」
「はあ?」
昼飯を食いながら、一度注意するとちゃんとゆうことをきくと説明すれば、同僚は薄ら笑いをよこし、「――わかった」と箸を立てた。
「『猫』っていう名前の、犬を飼ったっていうオチなんだろ?」
「オチなんてねえよ。それに、名前は『じい』だし」
「・・・ジジ、じゃなくて?」
「爺さんの『じい』。なんつうか、小さいのに、年寄りみたいに落ち着いてるからさ。家族の意見も一致で」
「・・・それってじゃあ、行儀がいいんじゃなくて、単なる年寄りで、元気がないからってことじゃねえの?」
「・・・なるほど・・」
だとしたら、柱で爪をといだり、マーキングであちこちで用を足したり、外に出たいっていう態度を示したりしないのも、 ――うなずける。 のか?
まあ、歳はともかく、『じい』は元気がないわけじゃあなかった。
高いところも飛び乗ったし、飛び降りたし、走ったし、爪も所定の木でといだ。
毛並みは、あいかわらずぼさぼさだったけど、それは、風呂が嫌いだったせいもある。一度、おれが押さえ込んでシャンプーをしたら、噛み付かれた。
それ以来、シャンプーは無理強いしないことにしている。
他は、いたって健康。
いたって、きまま。
だが、かわらずに、行儀よくききわけのいい、猫らしくない、猫。
ある日、残業で帰ったら、珍しく妻が起きて待っていた。
「今日、あーちゃん、幼稚園、早退したの」
「なに?どっか具合悪いのか?」
「お腹痛いって、言うんだけど・・・。お医者さんには行かないっていうのよ。先生も、見てはなかったけど、お友達となにかあったのかもしれませんって」
「何かって、なんだよ?」
「あたしだって、知りたいわよ」
情けないことに、親でも、わからないことがある。
翌日、聞いても、「お腹いたい、かも」しか、あーちゃんは言わない。
先生と妻は相談し、幼稚園を休ませることにした。
幼稚園児の、不登校?いや、不登園?このぐらいの年って楽しいことしかないんじゃなかったっけ?
「けっこう、ほかの子でもあるんだって。先生になぐさめられちゃった。しばらく様子をみてあげてくださいって」
「ふうん。まあ、出席日数気にしなきゃいけないわけじゃないしな」自分が学生だった頃を思い出して言えば、妻に嫌な顔をさ指摘された。
「あのね、誰かさんみたいに、わざと行かないわけじゃないのよ。あーちゃんだって、きっとほんとは行きたいんだから」
「・・だね・・」
二階を見上げて謝った。
そのあと二人ですこし、どうでもいいようなはなしをしてお茶をのむと、不安げだった妻の表情も、落ち着いてきて、先に寝るね、と上をさす。
こちらは、ちょっと晩酌して寝ます、と冷蔵庫を指して、許しを得た。
ビールをつぎ、今日の仕事をふりかえり、明日を考え、あーちゃんの気持ちも考えた。
自分が幼稚園児のころ。なに、考えてたっけ?
ソファに背を預け、つけていないテレビを眺める。
憧れたテレビのヒーローを思い浮かべ、よくやった遊び、いっつも一緒にいた幼馴染を思い出す。
缶からグラスに注ぎ、それをかたむけつつ、小学生になって、ちょっと好きだった女の子の名前を考えていたときだった。
「 同じ星組のヒロキくんが、あーちゃんのこと、好きなんですよ。だから、毎日、いじわるしちまう」
「へえ。あーちゃんもてるんだあ」
「そりゃあ、だんな、あーちゃんは、なにしろ器量よしなうえに、だれにでもやさしい」
「まあそりゃ・・って ――――」
!!!!! だれっ!?
振り返ったそこには、『じい』がいた。
「さすが、だんなとおかみさんのおじょうさんだ。あっしがしゃべるってえのも、ずうっと黙っててくれたんですから」
「 ――――あ、お、ば、ば、」
「だんな。化け猫なんてえ呼び名はよしておくんなさいよ。あっしには『じい』ってえ、立派な呼び名、つけていただいてるんだ」
「だ、だ、だって!!」
『じい』は、みゃあ、と猫の声をだし、こちらに寄ろうとしたのに足をとめた。
「やっと見つけた」
「わあ!!今度はなに!? あんた、誰?ど、どこから」
いつの間にかおれの隣に、若い男が座っている。
「ああ、それなら、気にしなくてけっこう。すぐに帰ります」
「そ、そういう問題じゃなく」
「 ―― 様、まったく。何度やれば飽きるんですか?」
「みゃあああ」
「・・・猫の真似してもかわいくもなんともありませんよ。いいですか?早くお帰り願います。みなが、お待ちかねです」
『じい』に冷めた目をむける若い男は、どう見ても今時ではない格好をしている。外国の民族衣装にこういうのあったっけ?でも日本語だし、髪も黒い。目だって ―――。
「ああ。当然、わたしのことが、気になりますよね。でも残念ですが、お教えするわけにはまいりません。この《馬鹿猫》の正体もです。――ゆえに、この目の瞳孔が、なぜ縦長なのかも、おこたえできない」
「 ―――。そ、その、『じい』、どこかへ、行くんですか?」
自分でも、どうして出せたのかわからないが、これは大事な質問だ。
頭の中には、あーちゃんの泣き顔。 どうして、今の、こんなときに ――。
『じい』が、ぺろりと舌をだす。
「だんな。申し訳ねえ。たしかに、その通りだと思いやすが、 ――ですがね、そりゃあ、大人の解釈ってやつですよ」
「じい・・おまえ・・」考えが、読めるんだ!おまけに、それって、どういう意味だ?
「あっしは、あーちゃんと、腹わって、はなしてんです。だからね、わかってもらえるはずですぜ」
「なにを?」
「『じい』は、帰った、って。はっきり、伝えてくださいや」
「そ、そんな、勝手な」
「まあまあ。ここに連れてきたんだって、元は、だんなの、『勝手』ですぜ」
「・・そうなの?」
「酔っ払いってえのは、道理がつうじねえからタチがわりい」しゃべる猫にさえ、違和感を持たないってのは、ちょっとねえ、と『じい』が喉を鳴らす。
時間がないよ、といきなり立ち上がった若い男が、割って入る。
「まあ、そういうわけで、おかみさんと、あーちゃんに、よろしく伝えてくださいや」
『じい』が、ひょい、と男の胸にとびこんだ。
「おい、そんな、 ―――」
だがすでに、そこで、 ――― 男も、『じい』も、消えていた。
映画とかでよくあるみたいに、ゆっくり、少しずつ、なんてなくて。
初めから、存在しなかったみたいに。
いきなり。
ぷつん ――――。
「・・・テレビじゃ・・、ねえんだからさ・・」
残ったビールには、もう、手を出せなかった。
翌朝。
ほとんど眠れずに起きていて、独身のときを思い出し、朝食をつくった。
驚き笑う妻に、どうにか、『じい』のことを伝えた。 ――そりゃもう、分厚いオブラートに包んで。
「え?あの時間に?飼い主さんが?」
「うん。すっごい必死だったよ。『じい』のこと、どこかで聞いてきたらしい」
「・・・へえ・・」
かなり、いぶかしげに、それでも、それ以上つっこんで聞いてこなかった妻に、感謝。
そして、あーちゃん。
二階にのぼり、まだ眠っている顔を眺めて、呼吸を整えた。
ぱちり。
その、黒い目がいきなりひらく。
「あ、あーちゃん?その、 ――」
まだ、寝ぼけた顔の子どもあいてに、先ほどまでの心の準備が、くずれた。
「―――ごめん」
きづけば、わが子を抱きしめ、謝っている。
「 パパさ、『じい』のこと、・・ひきとめらんなかったよ・・」ごめんね、と再度、謝った。
もそりと腕の中で顔をあげたあーちゃんが、寝起きの声で聞く。
「『じい』、帰っちゃった?」
「・・うん、そう」
「おむかえ、来たの?」
「え!?・・う、うん・・。あーちゃん、知ってんの?」
「・・・『じい』、いってたもん」
そっか・・・。『腹をわって』打ち明けていたのか。
「じゃあ、あーちゃんも、がんばる」
「・・え?」
「『じい』、帰ったら、がんばんなきゃいけないの。だから、あーちゃんも、がんばるっておやくそくなの。だから、ようちえん、いかなきゃ」
「・・・約束、なの?」
「あーちゃんも、がんばれって、おやくそく、なの」
それは・・・おやくそくでは、なく、おうえん、って、やつなのだけど ――。
きみたちが、どんなこと、話し合ったとか、ぐちりあったとか、本当は、ものすごく、聞いてみたいところなんだけど・・・。
「――あーちゃん。パパさ、むかし、テレビのヒーローになりたくってしょうがなくて、でも、なれなかったけど、あーちゃんと、ママのことだけは、助けてあげられるからね。やくそくするよ」
「・・・パパ、つよいの?」
「いまは、あーちゃんに負けそうです」
「え?!あーちゃんより弱いの?」
抱えあげ、笑うおれの子は、やっぱりまだまだ軽くて小さいのに、――『大人の解釈』を超えた成長が、この中には詰まっている。
あの日以来、『じい』の本当の姿について、あーちゃんが口に出すことはない。
それは、《 おやくそく 》なのではなく、腹を割ったものどうししか口にできない、なにかがそこにあるからだ。
父親であるおれは、それがうらやましく、そんな娘が、――誇らしい。
だから ―――。
「――でさあ、どうよ?ほんとに知らねえの?うちのあーちゃん。器量よしで有名よ?ことに、そっちの世界じゃさあ」
飲みすぎて酔っ払った日には、必ず猫に、声をかけ、娘自慢をすることにしているが、いまのところまだ、『じい』に当たったことはない。
目をとめてくださったかた、ありがとうございます!