5 噛み合わない会話
「は、はあああ!?何よこれ?どうなってるの!?」
だだっ広い空間に甲高い声が響き渡っても俺は動けないままだった。多分腰が抜けた、というやつになっていたのだと思う。足腰に全く力が入らなくなっていた。
加えて、長時間全力疾走した反動もありそうだ。これだけ本気だ走ったのはいつ以来だろうか?インドア派の人間に無茶をさせないでもらいたい。酸素を貪るように荒い息を繰り返しながら、頭の片隅でどこかの誰かに毒づくのだった。
「ちょっとギルマス!急いでダンジョンの一階まで来てちょうだい!!……はあ?今何時だと思ってる?そんなこと分かった上で連絡してんだよ!!いいからさっさと来やがれ!!いいな!四十秒で支度しな!!」
そうこうしている間にも件の声は聞こえ続けていた。途中から甲高い声というよりも野太い声へと変貌していたようだが、精神衛生上気にしない方が良さそうな気がする。
あと、四十秒で支度は普通に無理だと思う。
「えっと、あなたが八十階から帰還した仮探索者?」
その人物は透き通るような声に相応しい中性的で非常に整った顔立ちをしていた。しかし彼が性別を間違われることはまずなさそうだ。その理由は彼の体つきで、筋骨隆々の偉丈夫と呼ぶに相応しいたくましさだった。
上半身はタンクトップ一枚なので丸太のような腕が露出している。もしもこの人と喧嘩になったら、確実に負ける自信があるね。
「なんだか呆けているようだけど平気かしら?ていうか、随分と線が細いわねえ。本当にこんな子が八十一階まで行ったの?だけどダンジョンからのインフォメーションは正確だって言うし……」
お兄さん、もといオネエさんに比べれば大抵の人間は体の線が細いことになると思うのは俺だけではないはず。それはともかく、なにやらとても気になるワードがあったような気がするぞ。
「だ、ダンジョンんん?」
「はあ?まさか知らずに入ったとでも言うの?」
「知らずにも何も、気がついたら骨と皮だけの爺さんが居て、そこから命からがらで逃げ延びてきたんですけど……」
途端に胡乱な物を見る目つきになるオネエさん。心身ともに疲れていることもあって、正直そういう態度を取られるのは辛い。まあ、自分で言っていても胡散臭さ大爆発だなと思えるので仕方ないと言えば仕方がないのだけれど……。
「まったく、こんな真夜中に叩き起こしやがって……。これでつまらん話だったらぶっ飛ばすからな」
微妙な雰囲気を一変させたのは不機嫌を煮詰めたような第三者の声だった。
「ああん?誰が誰を吹っ飛ばすだって!?」
もっとも、良い方へと変わった訳ではない。その台詞にオネエさんが反応してしまったことで、場には険悪な暗雲が立ち込め始めたのだから。
喧嘩ならどこか他所でやって欲しいと切実に思うが、そんなことを言えばこちらに銃口が向くのは火を見るよりも明らかだ。賢くて空気が読める俺は決して口に出したりはしないのである。
「で、わざわざ呼び出したのはどういう了見だ?こいつが関係してることか?」
空気の悪さを気にもしないで闖入者が問い質す。彼もまたオネエさんに負けず劣らずの身長と肩幅だ。加えて右頬に大きな傷跡がある。毛皮のベストでも着せれば汎用型な山賊の頭として時代劇に登場させられそうだな。なお、着ていたのはタンクトップシャツだった。流行っているのだろうか?
「……まずはあれを見てちょうだい」
くいっと後ろ手で指し示す方を見てみれば、壁に巨大な電光掲示板のようなものが掛けられているではないか。そこにはこんな文字が浮かび上がっていた。
『仮探索者が地下八十階より帰還しました。
最高到達階は八十一階です』
「な、な、な、なんだとおおおおお!!!?!?」
山賊頭、絶叫。物凄い声量だったことと間近だったこと、そして突然のことだったために耳がキーンとしている。鼓膜が破れるかと思った……。
「は、八十一階といやあ世界記録よりもまだ十五階も先じゃないか。一体誰がこんな記録を作ったっていうんだ?」
その問いに今度は無言で俺を指さすオネエさんである。
「……は?この細っこいこいつが?」
何度も言うがこの二人に比べればほとんどの人間が細いことになるからな。俺が特別やせ細っている訳ではない、はず。
「この子が現れると同時にあのインフォメーションが流れたのよ。監視カメラのデータも確認したから間違いないわ」
言われて周囲を見回してみれば、壁際のあちらこちらに小型のカメラが三脚で据え置かれていた。いや、なんで三脚?監視カメラなら天井から吊るすなり壁に埋め込むなり、もっと目立たなくて邪魔にならない設置の仕方があるだろうに。
そんな疑問を抱いている俺を、少し離れた場所から見下ろすたっぱのある二人。オネエさんだけでなく山賊頭の方もかなり訝しそうな視線だった。
「君、名前は?見たところまだ成人前といった年だろう。どこから来たんだ?」
こうしていてもらちが明かないと思ったのか、山賊頭が話しかけてくる。こう言っては申し訳ないが、顔とは違って丁寧かつ親切そうな声の調子だった。
そして訳が分からないのはこちらも同じだ。危害を加えるつもりはないようだし、ここは情報収集に努めるべきだろうな。
「名前は渡來祥真。歳は十六っす」
「やっぱり未成年か。早めに関係各所に連絡をいれないと不味いな」
「だけどそれだけ言えるってことは完全な記憶喪失って訳じゃなさそうね。……気がついたらダンジョンの中に居た、って言っていたかしら?」
「なんだと?おいおい、まさか転移魔法の実験でもしていたんじゃないだろうな?」
うぐっ!?……あ、あぶねえ。危うくふき出すところだった。
まさか山賊頭ないかついおっさんから転移魔法なんてファンタジーな言葉が飛び出してくるとは考えてもいなかったからなあ。
「とにかく詳しい話を聞かなきゃどうにもならんな。……と、その前に場所を変えるか。いつまでも石の床に座らせたままっていうのもな」
気付いてくれてありがとう。実はこの場所に来てからずっと床に座ったままだったのだ。見上げるようになっていたから、ただでさえガタイの良い二人からの威圧感が半端なかった。
とはいえ、問題が一つ。二度にわたる全力疾走と、とりあえずこの場は安全らしいと理解したことで足腰に力が入らなくなってしまっていたのだ。
結局、俺は荷物のようにオネエさんの小脇に抱えられて運ばれることとなった。お姫様抱っことの二択となれば、そっちを選ぶしかないよなあ。
いえ、運んでいただけただけでも感謝感激雨あられであります!!




