4 ダンジョン一階へ
「ひっ……!」
根源的な恐怖を覚えた俺は、ほとんど無意識に後退るようにして左眼潰しから距離を取っていた。しかし、結果的にこの行動によって命を長らえることになる。後退したことによって幸運にもやつの攻撃の間合いから外れることに成功していたのだ。
だが、良いことばかりではない。せっかく詰めた距離が無になってしまった。しかもそのために薬草ブレス(失敗)という意表を突いた行動を行っており、合わせてそちらも使えなくなってしまった。
貴重な回復アイテムを使用しておいてこれである。状況は確実に悪くなってしまっていた。
唯一マシな点を挙げるとするならば、左眼潰しが近づいてくるのを躊躇しているということだろうか。かなり薬草ブレスを警戒している風だ。まあ、回復効果がアンデッド特性でダメージになる云々というよりも、咀嚼して吐き出されるそれが汚いと感じているためのようではあったが。
で、これだけ警戒されているということは、同じ手は通じないということでもあるのだよなあ。それ以前にポケットに薬草はもう残っていない。もっと採取しておけばよかったと思っても後の祭りだ。
という訳で現在の俺の持ち物は?
グラディウス :E
未練性の鉱石アイテム
以上!あ、Eマークは装備しているという意味だぞ。まあ、手に持っているだけとも言うが。多分、まともに振るうこともできないと思う。剣道なんて中学時代に体育の授業で竹刀を持ったことがあるだけだし。
あれ?割とマジで詰んでないか?
くそう!それもこれも全部あのアンデッドジジイのせいだ!!
よく分からないけれど、きっとそうに違いない!
脳内で責任追及が行われている一方、現実では左眼潰しがにじり寄る動きを再開させていた。どうやらこちらに手がないことを気付かれてしまったらしい。俺にとっては非常に残念なお知らせだ。
さて、今一度彼我の戦力差を客観的に確認してみよう。左眼潰しはいわば魔王城の中ボスだ。「グハハハハ!人間風情がよくここまでやって来たな。だが我を倒すことはできんぞ!」的なかませ犬か、それとも「ここから先へ進みたければこの私を倒してみせることだな!」的な強さへの求道者なのかは不明だが、とにかくラスボス直前で立ちはだかる中ボスなのである。
対してこちらはレベル一勇者だ。「百ゴールドしか貰えないなんて、王様ケチだなあ」とか愚痴りながら、最弱モンスターを倒すのにもとても苦労するレベル一の勇者なのである!
あれ?割と本気で詰んでないか?
仮に逃げ出そうとしても「しかしまわりこまれてしまった!」となってしまいそうだ。とはいえ、これだけ強さに差があると分かっている以上戦うのは論外だ。
ぶんっ!スカッ!ズバッ!うぎゃー!?
となるのがオチだろう。というかそうなる未来しかイメージできねえ……。ちなみにこれは上段からの縦斬りの場合で、横に振った場合は以下の通り。
ぶおん!ぐるぐるぐるぐる……、ブスリ!げふう……。
なお、カウンターを狙ったものやフェイントを織り交ぜようとしたものなどもあるが、どれも似たり寄ったりの結末になっているので詳細は割愛させていただく。
要するに、俺が生き残るためには何かしらの行動で左眼潰しに隙を作り、そこを突いてやつの横をすり抜けて逃げる必要があるという訳だ。
……難易度が高くて絶望的なんですけど。
しかも薬草ブレス(失敗)をやらかしたことで相手の警戒度を爆上げさせてしまった。
本気と書いてマジと読むくらい詰んでるんですけど……。
ぐぬぬ……。丸腰は危険だと欲を出してグラディウスを拾うことを優先したのが敗因か。いや、まだ負けてないから!
ジワリと近づいてくるホネ野郎から離れるため、また一歩後退る。だがそれもそろそろ限界だ。あと数歩も下がれば小部屋から通路へと押し戻されてしまう。横幅が一気に狭くなってしまうため、そうなればやつを躱すことは不可能になってしまう。
そして残された手札もごくわずかだ。先に挙げた二つのアイテムを使ってどうにかするしかない。どう使うのかも重要だ。隙を作ることが目的とはいえ、やつの攻撃の間合いに入ってしまえば想像通りの負けが確定する。
結論。遠距離から投げつける。ここで俺が選択したのはグラディウスの方だった。理由は簡単で、こちらの方が重くて大きいからだ。鉱石の方はしょせん拳大だからな。当たったところでどれほどのダメージにもならないだろう。
せっかく拾ったのにと思われるかもしれないが、負けが確定しているなら持っていても仕方がない。それに先にも言ったように大きくて重いから、逃げるだけなら邪魔になる可能性だってある。
やることは決まった。後は腹を決めるのみ。こちらの様子が変わったことを敏感に感じ取ったのか、左眼潰しの脚の動きが止まる。腐っても、いや骨だけになってもネームドということか。
「……最後の勝負だ、ほにぇやろう」
恐怖を押し殺して挑発じみた台詞を口にする。かんだのは見なかったことにしてくれ。
そんな必死のあがきを見た左眼潰しは、嗤った。
ムカッ!!
「人が必死になっているのを見て嘲るんじゃねえ!!」
ブオンッ!腰の動きやら遠心力やらもろもろを全部つぎ込んでグラディウスを放り投げる。さすがのやつもこれには驚いたようで、慌てて自身の剣で迎撃しようとしたのだが、体勢が悪かったのか大きくバランスを崩してしまう。
「うわあああああああああああああ!!!!!!」
俺はというと大声で叫びながらひたすらに足を動かしていた。左眼潰しの横を通り過ぎても振り返る余裕なんてない。背中から斬りつけられるかもしれないという恐怖に煽られるように、半泣きになって逃げ続けるしかなかった。
再びどこをどう通ったのかあやふやの記憶の中で、唯一はっきり覚えているのは長い階段を登ったということだった。
気がつけば、目の前に巨大な水晶の結晶のようなものが地面から生えていた。
「な、なんだこれ……?」
心身ともに疲弊しきっていた俺は、その巨大結晶へと手を伸ばしていた。冷静になって思い返してみれば訳も分からないものを触ろうとするだなんて迂闊な行動だった。だけど、無意識に救いを求めていたのかもしれない。
それに手が触れるや否や景色が変わる。一瞬の浮遊感もあって、俺は成す術もなくその場に尻もちをついていた。
『仮探索者が地下八十階より帰還しました。最高到達階は八十一階です』
呆然とする中、無機質な音声が響き渡っていた。