決してプライベートゾーンの侵害ではない
学校から寄り道をせずにまっすぐ家に帰った高校生の彰矢は、何事もなく家の玄関を開けた。リビングから聞こえてくる母親の「おかえり」という声に適当に返事をして階段を上っていった。
部活も委員会も何も入っていない彰矢は放課後になったらもう何もやることはない。中学の頃は両方とも専念していたが、高校に進学してからは面倒になってやめてしまった。六限が終わったらただ帰るのみである。
自室に教科書が詰まった重いリュックを下ろし、一度一階に戻ってさっさと手洗い、制服から部屋着に着替えを済ませたあと、机の上においてあったゲーム機とテレビの電源をつけた。ベッドに寄っかかりすぐさま好きな対戦ゲームを始める。最近のゲームと言えるほど新しくはないが、少ない数のソフトを浅くしかやっていなかった彰矢は、一つぐらいは極めてみようと考え、数ヶ月間ずっとこのゲームのみをやっている。ただし、さほど上達しているわけではないのだが。
数分がたち、一戦が終わった頃であった。彰矢の部屋のほぼ真下の玄関が開いた音がする。すぐに母親と別の人が話している声も聞こえてきた。
「もう来たか」
彰矢が呟くと、ドタドタと階段を上る音が響いてきた。徐々に足音も大きくなる。部屋の前あたりで足音は抑まると、一瞬の静寂が訪れた。「どうしたんだ?」と思っていると、間もなくドアが勢いよく開いた。
「はーい紗夏様の登場でーす!」
じゃーんと効果音が付きそうな入り方をした女子は、彰矢の隣の家に住んでいる幼なじみ、紗夏である。薄手の灰色のパーカーに短パンといういかにも部屋着というような服装である。髪はポニーテールにし、首もとは涼しげになっている。少し色気もあるような見た目であるが、彰矢は一切動じない。
「お前学校帰りなのになんでそんなに元気あるんだよ。体力お化けか」
ため息交じりに呟く。チラッと横目で一瞥するも興味はたいしてない。
「体力は平均ぐらいですー。お化けじゃありませんー。彰矢がいるなら登場はふざけないといけない義務がある」
「何その全く意味ない義務。ツッコミするの鬱陶しくなるから撤廃しろ」
「いやー、ツッコミしてくれてホント助かるよ。してくれなきゃ私がいたたまれない気持ちになるところだった。ありがとう、我が助手くん」
「……」
「ちょっと黙らないでよ。心痛むから」
「絶対思わないだろ」と思いながらジト目で紗夏を見つつも、立ち上がってテレビの前のもう一つのコントローラーを手に取る。その隙に紗夏は先程まで彰矢が座っていたところにあぐらをかいて堂々と座った。いかにもさっきからここに座ってましたと言わんばかりの威厳さである。
「あ、盗られた」
「やっぱりこの位置がど真ん中だから一番見やすいじゃん。たまには譲ってよー」
「俺の特等席だから譲る気は一切ない」
「譲らないなら奪うまで」
「めんどくせぇこいつ。というか大体いつも譲ってる気がするけど」
「あれ、そうだっけ」
「都合の悪いことだけ記憶から消し去られてるタイプかよ」
「そうかもしれないね」
「曖昧にすんな」
ため息をつきながらそこに座るのを諦めて、紗夏の隣に腰を下ろした。コントローラーを紗夏に渡して使用キャラの選択画面になっているゲームを再開する。二人とも使い慣れているキャラを迷うことなく選んだ。
「んじゃ、始めるとするか」
「あーい。対ヨロー」
彰矢が対戦開始のボタンを押してゲームが始まる。カウントダウンが0になると、一斉に二人が操作しているキャラが走り出す。距離が縮まり互いに攻撃し合った。
「お、なんか少し強くなったんじゃない?」
紗夏が強者感を出す。だが、もちろん戯言であるから適当に返事をする。
「んなわけねーよ。一昨日からそんなに変わってたら怖いだろ。お前が弱くなっただけじゃね?」
「最後の一言余計」
「実力ってやっぱり相対的なものじゃん。だからどっちとも捉えることができるってわけ」
「そのセリフ耳にタコができるほど聞いたんだけど。もう少しバラエティ増やさない?」
「俺そんなに語彙力ないから、紗夏がなんか考えて」
「自分で語彙増やしなよ」
「それができたら苦労しないわ」
「少しぐらい苦労しろ。ていうか彰矢は昔国語のテストで熟語とか慣用句みたいな問題だけは点取ってたでしょ」
「なんでそのこと覚えてるんだよ。怖いわ」
「そりゃあ学年で彰矢だけそこで満点取ったことあるからだよ」
「んー……。記憶にないでござる」
「そうでござるかー。……なにこの会話」
「分かんなくても問題ない」
他愛のない会話を続けながら対戦をする。これが普段の風景である。
紗夏と彰矢は基本的に放課後になると毎日彰矢の部屋で何かしらしている。二人は小中学校は同じだったが、さすがに高校までも同じ学校というわけにはいかなかった。それでも特別な行事などがない限り、ほぼ毎日一緒にいるということである。この日はゲームであるが、勉強とゲームで隔日やっているのだ。
しばらくすると、彰矢が紗夏を肘で突きながら声を発した。
「やっぱり見づらいからもう少しズレて」
「えー。もうしょうがないなぁ。代わりにミルクセーキ一杯奢って」
画面から目を離さずに少しずつズレると、彰矢も倣うようにズレる。楽な体勢に戻ると呆れてため息をついた。
「んなことで奢るわけねーよ。あと、あれってカロリー地味に高いから油断して飲みまくってると太るぞ」
「ちゃんと運動してるから太りませーん。というか最近ほとんど飲んでないし」
紗夏がそう言った直後、何かに気づいたように「あ」と呟くと彰矢のほうに九十度首を回した。その顔は誰かを煽るときの腹立つニヤニヤした表情であった。しかし、首を完全に彰矢に向けているため、よそ見をしている状態である。それでもコントローラーは動かしたままにしているが。
「もしかして、私の体を心配してくれてるのかなぁ。そういうことだったら素直に言ってくれればよかったのに。照れ屋だなぁ」
表情どおりの口調であざ笑うような言葉を連ねる。
対して、受けている彰矢はチラリとも見ずにテレビ画面を見ていた。腹が立っているような様子もなく真顔でゲームを続けている。まるで興味がないような態度であった。
「あのー、聞こえてます?もしもーし」
「聞こえてるわ。心配なんて一切してない。ちょっとズレてもらうだけで奢るのが不条理だし癪だからなんか信じそうなこと言っておけば、紗夏のことだからどうせなんとかなると思って言っただけだわ」
表情を少しも変えずにさらっと言う。
「そんな甘く見ないでほしいんですけど。私のこと誰だと思ってんのよ」
立腹しているような表情を作った。それを察してやっと紗夏のほうに首を回した。
「ゲーム中だっていうのに思いっきりよそ見してるせいでまともに攻撃当てられてなくて一瞬で俺に負けてるとーっても愚かなやつ」
「え、嘘!?」
紗夏が高速でテレビに視線を戻すと、映っていたのは、彰矢が操作していたキャラが勝利してアピールしているリザルト画面だった。
紗夏がよそ見するまでは若干ではあるものの、紗夏が優勢だった。だが、ここで対戦中によそ見をするという愚行をしたために、彰矢にボコボコされていた。
コンボ技をしていたり、紗夏の操作しているキャラの目の前で煽っていたり、もはやサンドバッグになっていた。それに対して紗夏は彰矢のキャラがいる反対側に向けて攻撃を放っていた。それだけでなく、意味の分からないところでジャンプしていたり、たとえその方向に彰矢がいたとしても全て躱されていたり。コントローラーを操作していた、というよりは適当にカチャカチャ動かしていただけだったというほうが正解である。
紗夏は口をパクパクさせて呆然としている。彰矢はしてやったりと言わんばかりに煽り返している。先程までの紗夏の顔がニヤニヤ顔であれば彰矢はニヤニヤニヤニヤ顔である。引くぐらいの気持ち悪い顔に紗夏は。
「あー、もう腹立つ!その顔やめろ!」
「そう言われてもねぇ、ちょっとぐらい勝ってるからといって余裕ぶっこいてよそ見とかいうふざけた真似してあっさり負けているお前が悪いよねぇ。自業自得ってやつ?」
彰矢は嘲笑の言葉を一切噛まずに言い切った。相手がより腹立つように早口で。
「実際そうだから何も言い返せない!ちっ、ならばどんな手を使ってでも勝つ!」
「そんなことしてたら余計負けるぞー。因果応報っていう言葉があるくらいだしー」
「うっさい!もう一回やるぞもう一回!」
彰矢は満足げにリザルト画面を閉じ、再戦する。二人とも同じキャラを続けて使用する。
あと数秒で始まるというときに、紗夏が急に立ち上がった。今度はしっかり画面を見て操作しいる。反省はしていた。
「どんな手を使ってでも勝つって言ったよね?」
「え?」
彰矢はすぐに理解できず、とぼけた声を発した。
すると、紗夏はあぐらをかいている彰矢の脚のちょうどクロスしているところの上にゆっくり座った。
「ここなら彰矢は画面見れないからさっきの私と同じ状態だね!」
「何してくれてんの!?同じ状態じゃねーよ!お前が重なってるところ座ってるからめちゃくちゃ痛いわ!さっさとどけ!」
「もちろん計算済みだよそこは。さっきすっごい腹立ったから仕返しってことよ」
「仕返しにも程があるわ!両脚に交点表してる痣できそうなんだけど!」
そう言っている間に、いつの間にか対戦は始まってしまっていた。完全に画面が見える紗夏はさっきの対戦での立場が正反対になり、慈悲もなく仕返しの一貫であるかのようにボコボコにしていた。一方、彰矢は画面がほとんど見えていないから適当にコントローラーを動かすしかないし、コントローラーを動かしている手は紗夏の背中と自分の体に挟まれているせいで操作をするにも大変である。それに加え、すねの横から加わる痛みが尋常ではない。少しでも和らげようと浮かそうとしても紗夏の体重がそれを阻む。
ならば強引にでも紗夏をどかすしかない。その考えに至った彰矢は痛みを堪えながら必死に横に動かす。
しかし、脚に乗っかっているということはすなわち紗夏の臀部が脚に接しているということである。もぞもぞ動いている脚の感覚が臀部に伝わっていた。
「ちょ、彰矢!脚動かすな!お尻気持ち悪いんだけど!」
「じゃあ早くどけ!まじで痛いから!」
「今無理!自分でなんとかして!」
「なんとかしてる最中だっつーの!ていうか無理じゃねーだろその状況!」
「あんたが動くからゲームに集中できないから必死に意識向けようとしてるの!だから無理!」
「ゲームに集中しなくていいだろ今は!」
彰矢はやっとの思いで脚で円を作るような体勢に移動した。その円の中に入るかたちで紗夏の体がずり落ち、「痛っ」と声をあげる。
「あっぶねー。あと少しで折れるところだった」
「あー、ごめんごめん。勝つのに必死になってた」
紗夏は申し訳無さそうに言う。痛みは伴ったが特に責めようというわけでもなかった彰矢は「別に大丈夫」と慰めるように言った。
「ところでさ」
「ん?どうしたの?」
「お前きれいにフラグ回収してるんだよな」
「ほぇ?」
彰矢は画面を指差した。それに釣られて紗夏も見る。
そのディスプレイには、つい数分前にも見た、彰矢が動かしていたキャラがアピールしているリザルト画面が映っていた。
今回は別に紗夏がよそ見をしていたわけではない。彰矢が脚を動かしたことで伝わってきた臀部の不快感により紗夏の意識がゲームからそれていたこともあるが、逆に彰矢は意識が少なからずゲームに向いていた。脚を動かす動作はただ力を入れて伸ばすだけ。
ちょっとした事故があったから公平なものではなかったにしろ、結局紗夏が負けたという事実に彰矢は苦笑せざるをえなかった。対して、紗夏は勝っていたとばっかり思っていたため途方に暮れている様子である。事実を受け止めきれず、硬直している。
「おーい。起きてるー?そんなに驚くことでもないだろー?」
紗夏の顔の前で手を振っても即座に反応はしなかったものの、数秒後にはゆっくり振り返った。
「私って一級フラグ建築士だったりするかな?」
「まだ二級だと」
「何が基準なのそれ」
「もちろん適当」
「でしょうね」
やっと頭の回転スピードが平常になった紗夏は一度深呼吸した。
「さすがにこれはひどいからもう一回やろうよ」
「そうだな。あまりにもお前が可哀想だし」
「それ慰めようとしてるんだろうけど逆に心抉ってるからね」
「やっぱりもう少し丁寧に削ったほうがよかったか」
「私の心なんだと思ってる」
紗夏の言葉をスルーした彰矢は三回目の対戦を始めるためコントローラーを操作した。さすがに2人の体に挟まれてるコントローラーを操作するのは困難であるため、彰矢は両腕を紗夏の腰に回した。傍から見れば両腕で紗夏を抱えるような状態、つまり俗に言うあすなろ抱きというもので。それになんの反応も示さない紗夏はこの行動を受け入れていた。
実はこの幼なじみの二人。どう考えても幼なじみだからという理由では説明ができないほど距離が近かったのだ。
「ところでさ、一つ言いたいことがあるんだけど」
「どうしたんだい私の助手くん」
「まだそれ続いてたのかよ」
「私が飽きるまでは続くと思うよ〜」
「あ、そうっすか…」
これはしばらく続きそうだと思いながらコントローラーを動かす。
「それで?言いたいことって何よ」
「あのー。結局テレビ見えないんですけど」
「それは工夫してください」
「おいてめぇ笑顔で言ってんじゃねーよ。テレビで反射して顔見えてるんだぞ」
紗夏は表情を変えないまま彰矢に寄りかかる。彰矢は諦めてなるがままになればいいやと思っていた。逆に紗夏に関しては。
(体育座りって本当に腰痛くなるなぁ)
となーんにも考えていなかったのだった。
お互い超鈍感ってかなり好きなんですよ。