小人島
湿った潮風が吹き上げる砂浜に一人の男が倒れていた。この男はナギサという名で、乗っていた船が難破してこの浜に打ち上げられたのである。
ナギサは目を覚ました。目の前に広がる景色に戸惑い、容易には状況の整理ができなかった。しかし船が難破したことを思い出してすぐに自分の置かれた状況の重大さを飲み込んだ。どれくらいの間漂流していたのだろうか。そして今いる場所はどこなのだろうか。そんなことを考えていると急激な空腹に襲われた。そしておもむろに立ち上がると砂浜を徘徊し始めた。
彼の肌は泥色に日焼けし、ところどころには擦り傷もあった。砂浜はどこまでも続き人の気配は全く感じられなかった。さらに残念なことに海岸には木も生えておらず、ここで食料を手に入れることは難しそうだった。仕方なくナギサは砂浜を歩くのをやめて森に入ることにした。猛獣が現れる危険性はあったが、ナギサは構うことなく森を進んでいった。
幸い森の中には猛獣はいなかった。目に入ったものといえば小さな昆虫や可愛らしい動物ばかりであった。
小鳥が美しい囀りを奏でながらナギサの前に現れて森の奥へと飛んで行った。ナギサはこの小鳥が自分をどこかいい場所へ導いているのだと直感して、小鳥について行くことに決めた。思った通り小鳥が案内した先は美しい泉であり、そこには美味しそうな果実のなる木が何本も生えていた。ナギサは無我夢中でその木に登って木の実をもぎ取った。木の実は程よく熟れていて、齧ると甘い汁がとろけだした。
ナギサはその実をいくつも食べて、腹を満たしていつの間にか木の下で眠っていた。
「ニァジワェ」
「カカジレ・ジィ・ニゥキ」
ナギサは耳慣れぬ言葉に驚いて目を開いた。そこには二人の男がナギサの顔を覗き込んでいた。
「ヒュケ・メリヌ・テロツゥコェ」
やけに早口でしきりに何か話し合っている。そして森の方から賑やかな声が聞こえてきたかと思うとたくさんの小人たちがやって来た。さっきは奇怪な言葉に気を取られて気が付かなかったが、はじめの二人も小人であったようだ。小人と言ってもおとぎ話に出てくるようなメルヘンな小人ではなかった。背丈は120センチくらいで、黒い肌には白い模様が描かれていた。小人たちはみな腰に藁で作ったスカートを履き、頭には鳥の羽根でできたカラフルな飾りをつけていた。
「カカジレ・テゥトサゥ」
小人の中の一人がそう言った。ナギサは何と言ったのか全く分からなかったが、ほかの小人が背中を押して立ち上がらせようとしているのでそれに従った。そして小人たちに促されるままに森へと入って行った。
小人たちはナギサを彼らの村へといざなった。村の建物はどれも彼らのサイズに合わせて小さく作られていた。ナギサは村の外れの洞穴へと連れ込まれた。そこは大きな布が敷かれていて沢山の食料も用意されていた。ナギサは、どうやら遭難した自分のために用意してくれたのだと思った。
洞穴にはいくつかの壁画か描かれていた。そこには様々な動物の絵や、小人たちの日常の風景が描かれていた。中でも特に目を引いたのは大きな猿と小人たちの絵画であった。小人たちの畑仕事を手伝う猿。小人たちと遊ぶ猿。様々な絵があった。
先ほどの小人たちの家やこの壁画から察するに彼らの部族はまだあまり文明が発達していないようである。しかしこの壁画にはどこか心を惹きつける魅力があり、ナギサは愛着を感じていた。
ナギサは洞穴に案内された日は疲れからすぐに眠ってしまったが、翌朝目が覚めると村の周りを散策したいという気持ちが起こった。ナギサが洞穴から出ると小人が何人かついてきた。
ナギサは森を抜けてまず昨日の泉へと向かった。泉のそばには小高い丘があってそこからあたりを見渡せそうであったのだ。
丘に登って周辺の様子を窺うと、ナギサは自分の置かれた状況の深刻さを改めて実感した。どうやら今いる場所は絶海の孤島で、周りには船すら通っていなかった。島はおおよそ平坦で森林に覆われていた。丘からは村も見えて、一本の細い煙がもくもくと上がっていた。島から脱出するためにはかなりの苦労が必要らしかった。ナギサは少し離れたところからこちらを観察している小人たちに目をやった。島を出るまではしばらくこの優しい小人たちの世話になるしかないようである。
ナギサが村に戻ると小人たちが鍬を持って畑を耕していた。ナギサはこれからお世話になるので農作業を手伝うことにした。力は小人たちよりも一回りほど強かったので、畑仕事はすぐに終わった。小人たちはナギサに感謝して食べ物を恵んでくれた。
次の日もナギサは島を散策した。島は決して大きくはなかった。しかし島には豊かな自然があった。ナギサの散策の途中には荘厳な滝や可憐な花畑もあった。まさに完璧な桃源郷といえた。ナギサは滝で喉を潤し、ついでに身体を清めた。花畑では美しい花を摘んで持ち帰ろうと思ったが、どうも気が引けたのでシロツメクサで花冠を作ることにした。村に花冠を持ち帰ると村の子供たちは嬉しそうにそれを受け取ると口々に何かを言った。ナギサには言葉の意味は分からなかったがおそらく感謝の言葉を述べたのだろうと思った。
それからナギサは子供たちと遊んですごした。彼らの世界にも鬼ごっこはあるようだ。とは言ってもナギサの知っている鬼に体を触れられないように逃げる鬼ごっこではなく、藁のスカートに鬼が鳥の羽根を指すというルールのようだ。
夕方になると小人たちが夕飯を作ってくれた。メニューはほとんど芋類が多く、ナギサが普段食べていたものには劣ったが、焚火の前で小人たちが儀式的に踊る姿は見ていて飽きないような独特な雰囲気が漂っていた。
また別の日には子供たちと鬼ごっこをして遊んだ。ナギサはこのまま小人たちと暮らし続けても悪くないと思い始めていた。
ある日、ナギサは砂埃をかぶって姿を隠していた壁画を見つけた。そこには小人たちから逃げる猿の姿があった。
畑仕事、子供たちとの遊び、鬼ごっこ。これまでの経験はどれも壁画の猿の行動に結びつくものがあると気付いた。そして壁画をよく調べれば脱出の方法が分かるかもしれないと考えた。ナギサは壁面を素手でこすって隠れた壁画がないかどうか探し始めた。そしてとうとう洞穴の一番奥に壁画を見つけたのである。そこには刀を持った小人と横たわった猿がいた。
その瞬間、ナギサは激しい恐怖が全身を電撃のように走るのを感じた。そしてふと後ろを振り向くと一人の小人が不敵な笑みを浮かべてナギサを見ていた。ナギサは耐えられず洞穴を抜け出すと一目散に逃げだした。後ろに小人たちが付いてきているのか、恐怖から確認することもできなかったがナギサは無我夢中で走り続けた。
ナギサはあの丘の上にたどり着いた。村の方をよく目を凝らして見てみると小人たちが焚火の周りで孑孑のようにくねくねと動いて夕食の儀式をしているのが分かった。そして丘の麓には若者の小人たちが何十人も迫ってきているのが目に入った。
ナギサは大急ぎで丘を下りて再び逃げ始めた。そしてあの滝にたどり着いた。一心不乱で走り続けて喉はからからに渇いていた。水を飲もうと滝に口を近づけると、滝の裏側に洞窟を見つけた。ナギサはしめたと思って洞窟の中に身を隠すことにした。
いつしかナギサは眠りについていた。そして目を覚ますと小人たちが顔を覗き込んでいた。
「モン・シミスチダ」
「ウタゥド・ヒサボ」
小人たちは早口でそう話している。ナギサは初めて小人たちと出会った時のことを思い出した。しかし今回はあの時の様ではなかった。ナギサは体中を縄で縛られていたのである。
そのまま小人たちはナギサを担いで村に運んだ。ナギサは焚火の前に横たえられ、長老が粛々と言葉を発し始めた。それはもう呪いの言葉に近いような不気味さがあった。
ナギサの周りには盃や鏡、そして大きな刀などの神器が並べられた。ナギサは目の前の大きな鏡に目をやると、そこにはひげと髪がぼうぼうに伸びて、体はくすんだ褐色の『猿』の姿が映し出されていた。