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3 格上マッチ

 今日は格上相手との試合なのでサボれなかった。


 公爵家の舞踏会にお呼ばれした。ヘリオスも私も父親は侯爵家なので、階級的にこちらがペコペコする側になる。

 ヘリオスが、今日の主宰は伝統を重んじるタイプの人だと言っていた。なので、スタンダードかつシンプルな定番の型のドレスに、きちんと髪を結い上げて。支度の時点で嫌になった。


 突然公爵家のお屋敷が爆発して舞踏会がなくなる、というおまじないはないものだろうか。それか、誰一人として外出できないような未曾有の悪天候になる魔法とか。

 サボるのと引き換えに手足の一つや二つくらいなら、喜んで差し出すのに。


 ううん。私はヘリオスから自立すると決めたのだから、格上マッチくらいこなしてみせなきゃ。

 頑張るぞ!



 

 頑張れない。こんなの頑張れるわけない。

 公爵家のダンスホールでヘリオスが知らない蝿を集めているのを見て、私はエアハンカチを噛み締めた。ぐぬぬ。蝿どもは、みんなおめかししていて可愛い。ヘリオスを横取されそうなくらい可愛い。今すぐにでもヘリオスを奪いに行きたい、けれど。


『私、今日はヘリオスがいなくても余裕だから』


 来る途中、馬車の中で言ったセリフを思い出す。ヘリオスがいなくても大丈夫ということを証明するために、挨拶が終わり次第分かれることを提案したのは、私のほう。ヘリオスのところに行っては本末転倒なのだ。

 まぁよい。ヘリオスは外面がいいだけで、ちょっと話せばボロを出すはず。そのうち蝿どもは勝手に幻滅していなくなるだろう。



 と思ったのになかなか蝿が離れない。そのせいで、私もヘリオス観察を終われない。

 ああっ、赤い羽根の髪飾りをつけた蝿、ヘリオスに近すぎるぞ! よし、顔が見えた。あとで呪ってやる。覚えておけ。


「フィーナ様」


 あの青のピアスの蝿もヘリオスに迫りすぎ。おいこら、ヘリオスの腕に胸を押し当てるんじゃない。うう、私も押し当てる胸さえあれば……。ともかく、あいつも要チェックだな。


「フィーナ様」


 な、なんだと。ヘリオスが黄色いドレスの蝿と踊り始めた。ヘリオス、私とだって、そんなに見つめ合ったことないのに。というか、私がいるのに、誰とでも踊るなんて。


「フィーナ様」

「わっ」


 耳元で囁かれてびっくりした。思わずのけぞって、五歩ほど後退。私をビビらせた罪は大きい。誰だ、訴えてやる。顔を確認するも、知らない人だった。本当に誰?


「こんばんは。本日はいらっしゃるんですね」

「……こ、こんばんは」


 まずい。相手は私を知っているらしい。これはきちんと対応せねば。ヘリオス観察している場合じゃなくなった。

 髪飾りやネックレスの位置を直しつつ、ドレスのスカート部分を軽くはたく。身嗜みは丁寧に。さらに相手の目を見ながら、脳内貴族図鑑をめくる。ハッ、わかったぞ。この人は私のいとこのいとこの……誰かだ。誰だろう。さっぱりわからない。

 私が口角を引き上げて苦笑いしたら、相手もニコッと笑った。笑顔がナイスな好青年だ。


「すみません。つい珍しくて、話しかけてしまいました」

「い、いえ」

「どこを見て……あぁ、ヘリオス様が踊っていらっしゃるんですね」

「……そう、そうなんです、ええ」


 まだヘリオスは黄色の蝿と踊っている。

 私は毎度のごとく、ヘリオスの着る色に合わせたドレスにした。髪飾りのデザインも、靴の鳴らす音も、並んだときのシルエットの美しさも、ここにいる誰よりも私がヘリオスとお似合いさんなのに、ヘリオスは私じゃない誰かと踊っている。

 見ていたらつらくなってきた。ヘリオス中毒を治すために分かれたのに、悪化している気しかしない。


 気を取り直して好青年を見上げる。適当に話をして、あわよくば名前を聞き出したいところである。さあ、吐け。


「ええと、それで、あなたは」

「私ですか? 私は、さまよう天使を見つけられた幸せ者です」

「……はい?」

「フィーナ様はなかなかこのような場にいらっしゃいませんから」

「そ、そうですね」


 一瞬、シア・ワセモノさんなのかと思った。個性的なお名前ですね、と言わなくてよかった。


 好青年が話すことは、どうでもいい他人の噂話。最近の王族の人の趣味だとか、話題の社交界の華だとか。噂と評判で成り上がっていく、コミュニティー重視の貴族社会だから仕方ない。

 貴族としては大正解。ヘリオスだって、挨拶回りのときは相手に合わせてそういう会話をしている。でも、私相手としては不正解。退屈でどうでもよくて、好青年の話す言葉が耳を通り抜ける。引っ掛かるのは近くの人が発する婚約者の名前ばかり。

 

「ヘリオス様だわ。見て、あの微笑み。素敵ですわ」

「あら、今日は婚約者の方をお連れしていないのね。またいらっしゃっていないのかしら」

「わたくしたちとも踊ってくださるかも。行きましょ!」


 ヘリオスの婚約者ならここにいますけど。いくら影が薄いとはいえ、いない者呼ばわりされると心に来るものがある。おおい、行くな行くな、踊りに行くな。


「まぁ、ヘリオス様が他の方と踊って……」

「ヘリオス様って、婚約者の方と仲が悪いんでしょう? 新しい人を探しているのかしら」

「代わりに、あの伯爵家の長女と良い雰囲気だと聞いたわ」

「そうなの? どのお方?」


 そこそこお年を召した女性たちの会話につられて視線を動かす。むむ、良い雰囲気だという小蝿は、あの青ピアスの巨乳女か。謎の敗北感を味わった。わ、私だって、でかくなれば……。


「ヘリオス様もお気の毒のね。婚約者の方、昨年は一度も顔を見せなかったもの」

「お相手の方、呪術に手を出しているようで、手を焼いているとお聞きしたわ」

「あらあら、恐ろしいわね。そんなお相手だと、婚約破棄もあり得るかもしれないわ」

「そうね。そうなったらうちの娘を売り込まないと!」


 あらぬ噂を流されている。呪術なんかしてない。真っ黒てるてるくんたちは断じて呪術ではない。ただのおまじないだ。物騒なこと言わないでほしい。


「……フィーナ様、いかがでしょう」

「あ、はい?」


 名前を呼ばれて現実に戻る。好青年が私に手を差し伸べていた。


「ここは騒がしいので、もう少し静かなところへ行きませんか」


 返答に困った。この人のお話は、正直なところ面白くない。私はヘリオスの婚約者なんだし、ここは堂々としていよう。簡単にホイホイついていくような真似は……。


「まぁ! ヘリオス様、本日もお麗しいこと」

「美男美女でお似合いのお二人ね」


 私の居場所と真逆のホールの端で上がった歓声に目を向ける。ついにヘリオスが例の青い蝿と踊り出したのだ。二人の口が時々動いては、くすくすと楽しそうに笑う。ダンス中に話をしているようだった。

 

 私がヘリオスと最後に踊ったのは、いつだっけ。多分、社交界デビューの王宮の舞踏会が最後だと思う。つまり、二年前。

 そこで、人の噂ばっかの話題に辟易して、キモいオッサンからの値踏みするような視線に嫌気が差して、知らない人に申し込まれたダンスで疲れて、サロンの付き合いがだるくて。

 十四歳の私にとって、大人の世界はつまらなくて面倒で、お家でヘリオスとお菓子でも食べながら話をしているときのほうがずっと有意義に思えた。


 私はヘリオスといるほうが好き。ヘリオスはどうなのかな。社交界のほうが好きかな。なら、私も好きになれるかな。

 踊る二人から目を離して、私は好青年の手にそっと自分の手を重ねた。決まり文句を愛想笑いとともに。


「……ありがとうございます。もちろん、喜んで」




 好青年は案外話のわかる人だった。私の趣味を聞かれ、演劇鑑賞だと答えたら、好青年も同じ趣味だったのだ。しかもなんと、私が観に行ったことのある演劇を、この人も観たらしい。これはテンションが上がる。

 ダンスホールの隅っこにあるソファーで、私は好青年に熱弁をふるった。


「私が好きなのは、ショックを受けて恋人が亡くなるシーンですね。あそこ、詩的で少女の儚さと幼さと可愛らしさと狂気を兼ね備えている名文で、劇で忠実に表現されていて感動したんです!」

「あ、そうでしたっけ。フィーナ様、お詳しいですね」

「あの作品は何度も読み返しましたよ。名作だと思ってます。同じ作者の悲恋もとても好きで。こちらも最後に主人公たちは死んでしまいますよね。涙無しには読めないです」

「……そ、そうですか。はあ」


 返事が味気ない。本当に観たの? せっかく語れる同士が見つかったと思ったのに。熱くなった私がバカみたい。


「えっと、あなたはどこか好きなシーンありますか」

「読んだのは結構昔なのでなので、ちょっと……」

「……あぁ、そうなんですね」


 私が観た演劇は昨春から昨夏の上演だった。覚えていないというのは近すぎるし、そもそも演劇を『読んだ』というのはちょっと不思議な言い回しだ。スンと気持ちが冷めていく。無理に話を合わせてくれなくてもよかったのに。

 話すことがなくなって会話が終わる。あーあ、つまんないの。


 座っていてもやることがない。好青年がニコニコするので、とりあえず私もニコニコを返しておいた。お互いにニコニコ。

 すると何を思ったのか、好青年が私の膝に置いてあった手を取った。


「あの、よろしければ、私と」

「フィーナ、ここにいたんだね」


 ヘリオスの声がして、パッと手が離れて重力で落ちた。人波の間からヘリオスが現れ、私の前にかしずく。


「探したよ。さっきまでいた場所から、いなくなってたから」


 あ、嘘だ。私がヘリオスを眺めていた間、ヘリオスは一度もこっちを見なかったの、知ってるから。

 今度はヘリオスが私の手を取り、グローブ越しにキス。隣から息を呑む音がした。


「ごめんね。今日は一人でいたい気分なんだっけ。でも、心配だから俺の目の届かないところには行かないで、フィーナ」

「……」


 なんだこいつ。さっきまで他の人と踊り散らかしていちゃいちゃしまくってた浮気症クズの最低人間のくせに、私の気持ちも知らないくせに、善人ぶった態度取りやがって。外面がいいのも大概にして。

 私は手を引っ込めてソファーに座り直した。ツンと無視すると、ヘリオスから「つれないな、フィーナ」と苦笑が漏れた。

 悪くなった空気の中、ヘリオスに声をかけたのは好青年だった。


「あ、あの、ヘリオス様はフィーナ様とお知り合いなのですか」

「ええ。フィーナは俺の婚約者ですから」

「それはそれは……」

「ヘリオス様っ、ここにいらっしゃったのですね!」


 甲高い声に呼ばれてヘリオスが腰を上げた。ヘリオスがいると蝿が無限増殖していく。ヘリオスの周りをブンブンブンブン飛び回っていてイライラする。

 ヘリオスは私と好青年に挨拶して、蝿に連れて行かれた。


「じゃあね、フィーナ。俺からあまり離れないで。失礼しますね」


 離れていってるのは、どっちだ。

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