2 逆さてるてる坊主
雨を降らせたい。
明日のお昼はヘリオスと一緒に劇を観に行く。夜は、そのまま私の親戚の家に行って夕食会。問題はその夕食会にある。
なんと、私の遠縁の親戚も来るらしいのだ。その中に年頃の娘がいるという。最悪なことに顔も良いのだとか。その娘が誰なのか、私は知らない。けど、とにかくそんな不吉な女、絶対ヘリオスと会わせたくない。
ということで、明日、私は雨で王都を沈める。
ずばり、逆さてるてる坊主で。
自分の部屋のみならず、お屋敷の全部屋の窓に逆さてるてる坊主を設置した。白でなく黒のほうが効果があるという眉唾情報を入手したので、全て黒のてるてるくん。窓の上部を埋め尽くすてるてるくんたちは圧巻の出来。両親に「怖い」と怒られた。
しかし、私も今さらあとには引けない。このてるてるくんたちは私が数日かけてせっせと作ったものだから。両親をなんとか説得して、一晩だけてるてるくんが我が家をジャック。
健気な努力の結果、無事に朝から雨が降った。てるてるくんパワー、最強!
迎えに来たヘリオスが、応接間のシャンデリアを見上げて一言。
「呪われてんのか、この家」
「むしろ祝われてる。てるてるくんたちもニッコリ」
「キッモい顔してんな」
全窓に吊るしてもなお余ったてるてるくんたちは、照明や壁の飾りなど、至るところに引っ掛けておいた。この部屋のシャンデリアにも三体ほど吊るされている。
お手製のスマイルフェイスで、てるてるくんたちも雨を喜んでいる。私も笑顔が止まらない。
「今日は大雨! 雨で馬車の見通しが悪いから、夕食会は行けませんって使者送っとこ」
「んなの送らねえよ。こんな雨ごときで」
「こんな雨って、てるてるくんたちに失礼でしょ」
「まぁ、雨なのは悪くないけどな」
玄関に移動し、ドアを開けたら素敵な雨模様だった。天からしとしとと降り注ぐ雨は、優美に静かに世界へ恵みを与えている。あぁ、てるてるくんを作ったのは私だから、雨も私のように気品ある姿になっているのか。
指先を濡らし、滴り落ちる雨粒にうっとり。傘を差すヘリオスに、ドヤ顔して見せた。
「見て、ヘリオス。私とてるてるくんたちの努力の結晶」
「秋は毎年長雨が降るから、多分それだろうな」
「情緒と趣の欠如!」
「うっせえな。雨なのは悪くねえって言ったろ」
軒外に一歩踏み出し、「ん」と傘を私のほうにつき出す。傘が雨水を弾く軽快な音がBGMに加えられた。
「フィーナ、入れよ」
なんで? ヘリオスには真後ろにある馬車が目に入らぬか。私たちがいつも使っている、扉も屋根もついている箱型の二人乗りの馬車が。
「馬車まで近いから傘いらない。それに、二人で入ったら狭いし」
「……お前こそ情緒と趣ねえだろ」
何やらぶつくさうるさい婚約者は放っておいて、私は馬車に走っていった。きゃー、雨冷たっ。
揺れる馬車が王都の大通りを走る。地面にはそこかしこに水たまりができていた。私とてるてるくんたちで沈められたのは、水たまりではしゃぐ子どものブーツ底程度。王都水没にはてるてるくんの数が足りなかったらしい。
王宮近くの劇場に着き、ヘリオスにエスコートされて降りた。
「オーナー見っけ。話してくるわ。ここで待ってて」
入口に飲み込まれた先のエントランスホールで、ヘリオスと手が離れた。私に付いてきた護衛が、私とヘリオスの背中を交互に見て困惑した表情になる。護衛対象が分裂するのは想定外だったらしい。
「あの、ヘリオスのところへ行ってください。私、ここから動きませんから」
「かしこまりました」
ヘリオス一人だと逆ナンされる可能性が大いにある。護衛にガードしてもらわねば。しっかり頼んだぞ。
待ち合わせなのか、他にも佇んで待っている人がいる。私もおとなしく待っていたらスッと寄ってきた人がいた。
「お綺麗なお姉さん。お一人ですか」
「あ、はい」
「今日、生憎のお天気ですよね。それで連れが来れなくなっちゃって、僕も一人なんですよ」
「そ、そうなんですか」
人が良さそうに笑うお兄さんだ。が、馴れ馴れしい態度が気に障る。こういうときは適当にあしらうのがベスト。私はエントランスを見回し、ヘリオスを見つけた振りをした。
「……あー、私、一緒に来てる人見つけたので。さよなら」
「またまたぁ。さっきお一人って言ったじゃないですか」
アハハと引き止められた。こいつ、揚げ足取りしてきやがった。初対面のくせに小癪な。てるてるくんパワーで水たまりに顔を沈めるぞ、おいこら。
と、内心イキるものの、そんなこと言う勇気はさらさら無く。苦笑いして立ち去ろうとしたら、肩をぽんと叩かれた。
「僕、チケットが余っているんです。ですから、よければ一緒にどうですか」
「……いや、あの」
「終わったら食事なんていかがです? この近くに良いお店があるんです」
「よ、用事があるので」
「またまたぁ」
「や、真面目な用事で」
「すみません。彼女に何か用ですか」
コツ、と足音をさせてヘリオスが戻ってきた。外面太陽オーラをこれでもかと振りまいている。女性たちがチラチラ見ては、ガタイの良い護衛を見てしらーっと目を逸らした。ははん、護衛で逆ナンガード作戦は大成功だ。
私はすぐさまヘリオスと腕を組んだ。私の婚約者だぞ。ヘリオスの隣にいていいのは私だけ。
「ええと、お兄さんすみません。では、さよなら」
「あっ、いえ。本当に連れがいたんですね。アハハ、さようなら」
お兄さんに会釈して別れ、関係者席に向かう。この劇場はヘリオスの知り合いのおじ様がオーナーらしく、ヘリオスと来ると毎回なかなかに良い位置の席をゲットできるのだ。
途中、ヘリオスがすいっと後ろを向いた。エントランスのほうだ。
「さっきの、何。フィーナ口説かれてた?」
「天気の話してた。あと、ご飯奢ってくれそうだったよ」
「口説かれてたんじゃねえか。何してんだよ」
「なにそれ。私が悪いってこと?」
「そうじゃねえけど……あー、イライラする」
何をそんなに怒ることがあるのやら。ガシガシ頭をかくヘリオスを見上げたら、薄暗い劇場内でぱちりと目が合った。ヘリオスが舌打ちして、ぼそっと零した。
「……縛り付けてぇ」
「え?」
「あ?」
二人同時に足を止めた。しまった、とヘリオスが手で口元を隠す。え、なになに。怖い怖い。
「へ、ヘリオス、そういう嗜好を持ってるってこと? ご、ごめん、私はちょっと困るかも」
「ちが……」
否定しろ、否定しろ。そう念じてヘリオスを見つめる。ヘリオスは私を頭のてっぺんから靴の先までゆっくり見下ろしたあと咳払いした。
「いや、なんでもない」
「否定して! バカ!」
ヘリオス、そういう趣味には目覚めないで! 特殊性癖がある婚約者は困る。相手するのは私なんだから。
劇場を出たとき、雨は止んでいた。ワクドキな劇は幕を降ろし、てるてるくんパワーも受信できず、今から地獄の晩餐会。親戚の家へと走る馬車の中から、しょんぼり気分でぼんやり外を眺める。
窓の外には、水たまりできらめく王都の夕焼けが広がっていた。木々は潤い、建物は洗い流され、地面は水面鏡。そして、ヘリオスの端正な横顔も。雨上がりの世界は、幻想郷みたいだ。
綺麗な景色を映す窓枠とヘリオスと私と。ずっとこうして二人きりならいいのに。
親戚の家に着いた。私たちは招待客の最後だったようで、すぐにダイニングに通された。ヘリオスの隣は私、と、知らない小娘。しかもヘリオスの前も知らない小娘だ。どっちも美人。なぬ。敵が二人もいるなんて聞いてない!
食事中、私はおちおち食べてなどいられなかった。ヘリオスと小娘どもの会話に耳を傾ける。
「ヘリオス様、本日は観劇なさったの? いいですわね」
「よくお行きになるのですか」
「フィーナと予定が合えば行きますね」
「まぁ、仲がよろしいですのね!」
そうだろうそうだろう。私とヘリオスは仲良しさんなのだ。小娘どもはヘリオスの口の悪さを知ったら卒倒するだろうけど、私は幼馴染で慣れっこさんだから余裕なのだ。だから仲良しさんでいられるのだ。
頑張って誤魔化そうとするも、隠しきれないにやにやがあふれる。
「あらあら。フィーナお姉様、嬉しそうですわ。全く、円満なことですのねー」
「いえ、それほどではごさいませんよ」
むう。ヘリオス、ここは否定しなくてもいいのに。あれかな、性癖を悪く言ったせいなのかな。バカとか言っちゃったせいかな。
食事が終わったとき、小娘どもがヘリオスを読書会なるものに誘った。私は華麗にスルーされた。ムカつくムカつく。これは許すまじ。
さり気なくヘリオスについてこうとしたら、小娘どもに止められた。
「フィーナお姉様ったら、ずっと一人占めは良くないわ」
「そうよ。今日は演劇にも行ったんでしょ? 少しくらい、わたくしたちにもヘリオス様とお話する機会をちょうだい」
「な、な……」
何言ってるんだ、こいつら。ヘリオスはやらん、やらんぞ!
「……けれど、私、えーと、あの、その、そうですそうです、ヘリオスの婚約者ですから」
読書会に興味はないけど、ヘリオスとはいたい。なんとか理由を捻り出したら、小娘の片割れがそっと私の耳に口を寄せた。
「朝も昼もヘリオス様とご一緒で、夜もご一緒するの? 四六時中つきまとったら嫌われるわよ。婚約者だから、そうは言わないだけで」
き、嫌われる、だと。同年代の子から言われた新たな視点、それはまさに青天の霹靂だった。ガーンと私に雷が落ちる。
言われてみれば、しつこい人間は嫌われる。当たり前のことだ。昼に会ったお兄さんだって、そこそこ粘ってきてちょっとウザかった。私がお兄さんに思っていることを、ヘリオスが私に思っていてもおかしくない。
タイムリーなことに、私は今日『イライラする』と言われたばかり。『縛り付けてぇ』はシンプルにお前ウザいからおとなしくさせてぇとも読み取れるし、円満関係を否定したのもお前ウザいの匂わせだったのか。
これはいけない。ヘリオスにおんぶに抱っこで甘えていてはいけない。私は、この瞬間をもって、ヘリオスから自立すると心に決めた。
「……あ、ごめんなさい。私、おば様たちとお話することがあったんでした。皆様はぜひ楽しんで」
「ありがとう、フィーナお姉様! では、ヘリオス様、行きましょ」
小娘どもが退室し、ヘリオスは振り返ってぽんと私の肩に手を載せた。ちょっと嬉しそうな笑顔で。今から小娘と話すのがそんなにも楽しみなんですね、はいはい。
「悪いな、婚約者がモテるイケメンで」
「全然。どうぞご自由に」
手を払ってヘリオスの背中を押す。大きい背中が私を置いて離れていく。
ちょっとくらい私といたいって姿勢を見せてくれてもいいのに。いや、許可したのは私だけど。行ってほしくなかったな。背中をおしたけれども。ダメだ、矛盾しまくり。
零れたため息は誰にも聴こえず消えていった。