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1 飛び降り

 二階から飛び降りてみようと思う。


 別に気が狂ったわけではなくて明確な目的があった。なんとそれは、今シーズンの社交界の欠席理由を作るため。

 この国では秋冬が社交界シーズンとなっている。昨年仮病で全部休んだら、ネチネチぐちぐちうるさい婚約者が嫌がらせで大量の見舞いの品を送ってきてうざかった。今年は名実ともに骨折するつもり。これなら文句も言えまい。

 何も死ぬつもりはない。落ちる窓の下にクッションとなる低木があることは確認済み。二階程度の高さでは死なないことは、この前剪定中にハシゴから落ちた庭師が証明済み。出窓に置いてある花の水遣り中に手が滑ったという、それらしい原因も用意した。


 二階から地面を見下ろして深呼吸。秋めく青空は高く、穏やかな涼しい風も吹いている。不穏の前兆を予期させる天候は、まさに絶好の飛び降り日和。

 私はごくんと息を呑んだ。今日だ、今日飛び降りなければ、明日の舞踏会に出席させられる。いざ、尋常に。


 レッツ、飛び降り!



 私の婚約者、ヘリオスを一言で表せば、太陽だ。抜け感のある爽やかなブラウンの髪は丁寧に整えられ、活き活きとした明るい目に、がっしりした肉付きとすらっと伸びた背丈。侯爵家の長男で、容姿も地位も非の打ち所がない。

 そんな太陽は、外面はいいくせに、内面は目も当てられないほど酷かった。口は悪いし、ドレスはあの色にしろネックレスはこれにしろと命令してくるし。演劇に行ったら、誰とどの劇場に、いつどの演目を見たか、と事細かに聞いてくる。ヘリオスと行った以外では、全部お一人様ですけど!

 ヘリオスがモテる理由は知らない。多分、顔。みんな、あの優男風の外見に騙されているのだ。太陽は遠くから眺めるくらいがちょうどいい。近付けば骨の髄まで焼け焦げる。ヘリオスの本性を知ったら、みんな幻滅するに違いない。


 私が明日の舞踏会を欠席、ヘリオスに蛾が群がる、蛾がヘリオスに幻滅、ヘリオス孤立、の流れが鮮やかに目に浮かぶ。ハハッ、ざまぁ。その後、ヘリオスが私の存在のありがたさを悟り、ひれ伏すところまで読めた。


 あー、楽しみ! 私は明るい未来を想像して身を投げた。成果は明日の自分に託す!




「フィーナ、今年は毎回自殺未遂か?」

「なんのこと? 水遣りで手が滑っただけですけど」

「水なんか遣ってねえだろ、見てたぞ」

「乙女の秘密を勝手に覗かないで。犯罪じゃん」

「うるせえよ」


 結果からいうと、物陰に潜んでいたストーカー婚約者に受け止められ、私は無傷で生還してしまった。代わりに、ヘリオスが腕を痛めた。私を助けた第一声が『痩せろ、デブ。腕折れたわ』だったので一生許さない。


「まぁ、明日からシーズン開始だから今日だろうなって思ってた。フィーナがわかりやすいバカで助かったわ」

「バカっていうほうがバカなんだよ。知らない?」

「黙れ、バカ。俺の腕に感謝しとけ」


 リビングで使用人に包帯を巻かれるヘリオスの腕を見て笑いが止まらない。計画とは違うけど、これはこれで目的達成である。私はぱちぱち拍手した。


「ヘリオスが怪我したから、明日の舞踏会はお休み!」

「は? 舐めてんな。絶対行くし、お前も連れてく」

「えっ、なんで」

「同情を買うんだよ。おっちょこちょいな婚約者を身を挺して助けたヘリオス様マジかっけえってやつ。全員惚れるな、これは」

「全員ドン引きの間違いでしょ」


 正直すぎる可愛いお口を野放しにしたら脚を蹴られた。いてて。うずくまる私に、手当され終わったヘリオスがデコピン。追撃か、抜け目のないやつめ。


「フィーナ、明日は俺がやった髪飾りつけろよ」

「やだ。お祖父様からの誕プレつけたい」

「ダメ。明日は若いやつが多いから今風にしろ。目立つな」

「もー。はいはい、わかりましたよーっだ」


 すぐ手も出る足も出る口も出る。モラハラダメ男の三拍子。あっかんべーしようとすると、手で口を押さえられた。さすが我がライバル、わかっていたか。

 ヘリオスとしばし睨み合い、最後には「俺帰るわ」と言い出させることに成功。使用人がヘリオスに手土産を渡した。元王宮シェフが経営するケーキ屋さんのカップケーキを。な、なんだと。私が食べたいとおねだりした秋期限定マロン味なのに。


「うう、私のマロン……」

「食いたいの? うち来たら食わせてやるよ」

「嫌でーす」

「あっそ。見送りはいらない。じゃ、皆さんこいつの世話頼みます」


 私にはお辞儀をしないくせに、使用人には会釈する。ちぐはぐすぎではなかろうか。帰っていくヘリオスの背中に、私は今度こそあっかんべーしてやった。

 明日の舞踏会、絶対サボってやる!




 ヘリオスが迎えに来たのでサボれなかった。馬車に乗るのを嫌がっていたら、俵抱えで詰め込まれた。あまりに強引、非人道とはこのことである。

 揺れる馬車でカタカタ震える。向かうはアウェー。待つのは死。


「やだやだやだやだ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ」

「駄々こねんな。ほら、着いた。降りろ」

「まだ揺れてる。馬車動いてるよ」

「お前が小刻みに動いてんだよ」


 ヘリオスが呆れ散らかした顔で私の手を握る。


「フィーナ、いける? ほら、行こ」


 秋にぴったりな爽やかさが混じる声色に。外面モードだ。

 ヘリオスの切り替えの上手さは尊敬している。私には到底できない芸当だ。人の目を見るのが苦手、人の名前を覚えるのも苦手、初対面の人と話すのも苦手。私は貴族として失格すぎる社交性ゼロ人間だから。


 今日の舞踏会の舞台はとある男爵家。色々な音楽家のパトロンだった気がする。ホールの隅っこは生演奏をする音楽隊が陣取っていた。

 大抵、ヘリオスがいっぱい話してくれて、私は挨拶だけ。


「お久しぶりですね。……ええ、もちろん覚えていますよ。フィーナ、ご挨拶」

「……あっ、はい。ご、ご機嫌麗しゅうごじゃ、ございます」


 噛んだ。舌が痛い。挨拶させられたせいだ。治療費寄越せ。というか、誰だこいつ。

 挨拶した人をちろっと見上げたら明るい茶髪が目に入った。ありふれた髪色でさっぱり思い当たる節がない。どぎつい赤や紫に染めてほしい。もっと自己アピールしてくれ。

 しばらくして挨拶周りが終わった。馴れ馴れしく「フィーナ様」と話しかけてきた人もいて気持ち悪かった。ヘリオスと腕を組み直すときに、こそっと確認。


「最後の人、誰?」

「この家の息子。前会ったろ?」

「会ってないよ」

「お前なぁ」


 ヘリオスに冷ややかな目で見られた。人の顔も名前も覚えてないなら、お前は何を覚えてんだよ。そう言われた気がした。演劇の原作の古典文学や劇中歌ならそこそこ覚えてる。美味しいスイーツやヘリオスの好きな食べ物も。

 特に興味もない人の顔より、自分の好きなものに脳のキャパシティを割きたい。年頃の女の子なら誰も彼もそう思うはず。


 ホールを埋め尽くす人の顔に嫌気が差していたら、絡めていた腕がするっと抜けた。ヘリオスがわるーい顔でニタッと笑う。わあ、素敵な極悪面の見本。


「俺がいないとフィーナがどうなるか、ちょっと見てみたかったりはする」

「性格悪くない? 人をいじめて楽しい?」

「フィーナは俺とくっついていたいってこと? そうかそうか。お前って俺のこと大好きだよな」

「さよなら。次会うときは戦場ね」


 ヘリオスが喧嘩を売ってきたので買うことにした。ヘリオスこそ、私がいなくて寂しがって泣きついてきたって知らないんだから。

 髪をバサッと靡かせてホールを見渡す。目を付けたのは人のいないバルコニー。グッバイ人混み、ハローお月様。私は颯爽とダンスホールから逃げ出した。



 失敗したなと思うまで、さほど時間はかからなかった。人気がないとは、すなわち、変な人に捕まったときの逃げ場もないということだ。


「月が綺麗ですね。あなたもとてもお綺麗です。フィーナ様、でしたよね。お名前も妖精さんのようで可愛らしい」

「……ハハ。あ、ありがとうございます」


 バルコニーの手すりに手を置いて夜空を眺めていた、真横に見知らぬ男が立っていた。話しながら間合いを詰めてくる。こいつ、手練だな。


「先程お会いしたときはヘリオス様もご一緒でしたね。ヘリオス様とのお付き合いはどれほどなのですか」

「……ええと」


 母親同士仲が良いから、出会いはベイビー、婚約決定は三歳。ほぼ赤ちゃんの頃からだから、この場合『赤ちゃんの頃からです』というのが正しいのだろうか。いや、赤ちゃんは曖昧すぎる。『三歳です』のほうがいいか。けど、ヘリオスは私の二つ上だから、『ヘリオスは五歳で、私は三歳のときに婚約しました』が正解だと思う。

 よし、答えるぞ。顔を上げたら、間近に見知らぬ男の顔があって心臓がヒュンッとなった。どんなお化けよりも人間が怖い。


「ヒィ」

「あっ、すみません。えっと、フィーナ様は憂いている表情もお美しく、つい見惚れてしまいました」


 こいつ、褒めておけばいいと思ってるな。さっきから言葉が薄っぺらくて、舌がペラペラ飛んでいきそうになっている。そのくせ、腰に回ってきた腕は鈍器みたいに重くて、テコでも動きそうにない。

 ぐいっと身を寄せられ、にちゃついた笑顔と息がかかった。ひい、キモいキモいキモいキモい。


「どうでしょう。ヘリオス様より私のほうが、フィーナ様にきっと良い夢が見せられ」

「失礼」


 私が股間を蹴り上げようと片足を上げたとき、腕が引っ張られてよろけた。ぽすっともたれたら、ぶわっと女物の香水の匂いに包まれた。


「俺の婚約者が、どうかしましたか?」


 うう。キモいオッサンよりはモラハラダメ男浮気症婚約者のほうがマシ。どっちの選択肢も最低すぎて悲しい。涙が出てきた。


 ヘリオスに連れられ、賑わい止まらぬホールに戻る。短い一人旅だった。隅っこの椅子に座るとハンカチを顔に被せられた。ヘリオスの半笑いとともに。


「俺がいないと半泣きか。マジでウケるな」

「う、うるさいうるさい。ヘリオスだって女の人といたくせに、私のところに来たんじゃん」

「はいはい。今回は引き分けな」

「私の勝ち!」

「黙れ、泣き虫」


 ハンカチごと頭を掴まれた。婚約者にアイアンクローをかます人がどこにいるんだ。ここにいた。

 なんとか手を引き剥がし、顔骨の無事を確かめつつヘリオスを見上げる。


「ね、次の予定っていつだっけ」

「確か来週。お前の親戚と晩餐会だな。次は自殺未遂すんなよ」

「欠席するならそんなことしないよ」

「はいはい。わがまま婚約者のお守りはだるいわ」


 そんなこと言ったって。私はきゅっとヘリオスのジャケットの裾を握った。


 ダンスホールでは相手探しに奮闘する少年少女が恋する自分に溺れた瞳で闊歩している。それを彩る演奏に、見守る親の心配そうなため息、社交界の洗礼である真偽の入り混じった噂話が絶えず聞こえる。

 婚約しているけれど、私たちも当然その渦中にいる。どちらも適齢期なせいで、ヘリオスにはワンチャンを狙う蛾がたかり、私はキモ男にちょろいと思われている。今だって、ヘリオスのことを熱い視線で見ている人が何人いるのか。


 だから舞踏会は嫌い。私は別にいいけど、ヘリオスはわりと面倒見のいい人だから、案外ころっと落ちちゃいそうで。

 あーあ。さっさと全員、ヘリオスに幻滅すればいいのに。

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