私が舞台を降りるとき
オ―ケストラの音楽がホ―ルに鳴り響く。
『眠りの森の美女』の序奏って何回聞いてもすごく迫力があるんだよね。
あのスポットライトを浴びながら私は踊るんだ。憧れていた“リラの精”という役で。
出番まであともう少し。緊張はしていない。
それはこの十二年間、多くの舞台を踏んできた結果。
お母さん、ありがとう――――
早苗、あずさ、愛子先生、ごめんなさい――――
三歳のときにはじめて観たバレエに引きずり込まれるように入ったこのバレエ団。金銭的にも助けてくれ、どんなときもあたたかく見守ってくれたお母さん。親不孝な娘はお母さんが託してくれたプロになるという夢を今日で捨てます。
早苗もあずさも同じ年齢っていうことですぐに仲良くなったよね。私のほうが先に舞台に立ったけれど、今や二人のほうが有名だよね。早苗はお姫様のようなかわいらしい踊りをするから『フェアリー・プリンセス』だし、あずさは軽々としたジャンプが得意だから『猫のような町娘』ってね。
今年でこのU15はみんな卒業だけれど、二人が世界で活躍するところを私は客席から二人を見るね。
そして愛子先生。
先生はスタジオの中ではすっごく厳しくて、何回怒られたことだか。とはいえ、練習終わった後や舞台やコンクールが終わった後はいつも励ましの言葉をくれた。自分では気にしていなかった部分をほめてくれて、逆に自分ではできたと思っていた部分を叱ってくれたおかげである程度は成長することができました。
でも、そうだな。
あの晩、先生が『“あの子”は怪我を引きずっているのだから役から降りてもらう。それにやっぱり“あの子”にはあの役は似合わない』と早苗に言っているのが、五か月前に怪我をして、ちっとも本調子になれなかった私のことだとてっきり思い込んでしまった。
不必要な勘違いをして早苗やあずさに当たって、愛子先生にも心配かけて。
結局“あの子”っていうのは二か月前に怪我をしたあずさのことで、“オーロラ姫”が早苗、“フロリナ王女”があずさになっただけのことだったんだよね。初めから変わらない“リラの精”の私が心配することではなかったんだ。
でも、もう私は身体的にも精神的にももう限界かな。
多分、これからも色々な役に挑戦することもできるんだと思うし、私にとってそれは魅力なんだけれど、もうだれかと比べられるのは――いや、自分の中で比べてしまうから、もう離れたいんです。
今まで十二年間、ありがとうございました。
薄暗い舞台の袖でオーロラ姫の華やかな誕生パーティーの場面を見つめる。
もう間もなく私の出番だ。
リラの精は王子を導く役どころ。
今、身にまとっている豪華な刺繍が施された薄紫色のパンケ―キ・チュチュや、頭の上にのっかってるティアラは重たいな。はじめてバレエを見たときの“リラの精”はかっこいいと思ってたのに、私はというと――――不恰好だな。
でも、今は精一杯、与えられた舞台で踊るだけ。今はコンクールではないんだから、勝ち負けを気にしちゃいけない――そうだな。もし勝ち負けを気にするんだったら、いつも通り自分に勝たなきゃね。
自分に勝つ――――そもそも自分自身に勝てたことなんてあったのだろうか。
はじめてのコンクールで踊った“フロリナ王女”では足をそろえて繊細に回るシェネのコツを次に踊った早苗やあずさにうまく教えられなかったのは負けだろう。
はじめてトゥシューズで挑んだ“ガムザッティ”は前の年に踊った“パリの炎”のジャンヌ――
とは正反対の気の強いお姫さま。振り付けはきちんと覚えられたのに、他人を蹴落とそうとする演技力がついていかなかったんだよね。それも負けかな。
中学校に入って最初のコンクールで踊ったのは“サタネラ”――女性の悪魔を意味する役。小学六年生のときに緊張してこわばってしまったドン・キホーテの“森の女王”と同じようにバランス力を試されたヴァリエーションだけれど、まさかつま先立ちの状態から転ぶとは思ってもいなかった――『私は絶対に転ばない』って思いこんでいたのが負けだ。
去年のU15で演じたむらむすめは前半での恋する少女と恋に破れて狂ってしまった少女の二つを演じるのは難しかった。本公演ではうまいこと踊れたのにもかかわらず、コンクールでは体調を崩して伸びが出なかった。体調管理できなかったことと、それのせいにした自分の負け。
それでも踊っていて、いろんな役に挑戦して、いろんな技術を習得して楽しかったんだ!
どの役も理解して私自身にしたんだから、最後のこの舞台だって――――“リラの精”だってこなせないはずはないんだ!
先生の言葉を勘違いして、自棄になろうとも私は私なんだ!
だから最後ぐらい、自分自身に勝ってみせる!
すっと息を吐いて、そっと前の舞台を見る。ちょうど穏やかな曲が流れ始める。
ああ、もう出番か。
ステップを踏みながらスポットライトの当たる部分へ出る。オーロラ姫を祝福するために呼ばれた私たちは花の妖精たちの間を進んでいく。
私にとってはこれが最後の花道。
あのときのリラの精には及ばないけれど、だれかにまた夢を見せることができるといいな――――きっと。