通勤ラッシュの降車妨害マンをぶっ殺す妄想
※この作品はフィクションです。犯罪行為を推奨するものではありません。
『先ほどJ線A駅にてお客様の線路内立入があり電車が遅れております。お客様にはご迷惑をおかけし申し訳ございません』
またか。
連休明けはいつもこうだ。
私が連休明けの重い体を引きずり駅のホームへ辿り着くと、おなじみのアナウンスが流れていた。数分おきに到着する奴隷船を待ちながら、自動販売機でお気に入りの栄養ドリンクを買って飲む。いつもより梅雨明けの遅い曇り空に蒸された体にさわやかな炭酸と甘みが染み渡るのを感じ、これから乗り込む電車の混みようを想像する。
到着した電車はほぼ満員だった。いつものことだ。
スペースをゆずる気のない中年男性を背中で押しながら乗り込むと、スマートフォンをいじるのに忙しそうな肘で押し返してくる。その腕を引っ込めればお互いもう少し快適に乗車できるだろうに。最近はこの窮屈さを和らげる為に荷物を減らし、カバンを持たないことにした私の前には、ドアまで少しの隙間ができた。そこへエスカレーターから駆け込んでくる若い女性が尻を押し付けてくる。痴漢になってはたまらないので、私は持っていた傘をわざとらしく両手で持ち直した。
しばらく乗車していると、乗り降りの多い駅が近づいてきた。この駅では私の乗車したのと反対側のドアが開き、いつも車両内の20%くらいの乗客が降りてまた同じくらい乗り込んでくる。人に流されて車両の中ほどに来ていた私は、周囲を確認し降りそうな乗客を把握する。
駅に到着しドアが開くと、ちょうど私の隣に立っていたサラリーマン風の若い男性が無言で寄ってきた。今は世界的に流行している感染症対策の為、皆マスクを着用しており表情が読みにくい。降りますと発言しないのも、気を遣ってのことかもしれない。私も気を利かせて避けてあげればいいのだが、あいにくスペースがない。仕方なく私が先に降りることにする。
ところが、私が降りようとすると邪魔をする者がいる。
いつもドアの前を陣取り、客の乗降を妨害することを生きがいとしているかのような男だ。毎回同じ人物ではないが、不思議とどの車両にも居ないということがない。ドア地蔵とでも呼ぶべき置物タイプもいれば、積極的に妨害してくるガードマンタイプもいる。
今日はガードマンだ。
両足で踏ん張り肘で私の腹を押し返してくる。結構痛い。
なぜ、私が降りたいわけでもないのにこのような仕打ちを受けねばならないのか。いや、そもそも目的駅だったとしても、このような扱いを受ける理由がない。理不尽な暴力である。こういった手合いと客が揉めている現場もよく見る。だがしかし、揉めごとになれば余計に遅れて損をするわけで、たいていの人は我慢しているのではなかろうか。このような陰湿な輩に関わったところで、碌なことにはならないだろう。私も今まではそう考えていた。
だが、それも今日で終わりだ。
毎日毎日この下らないストレスになぜ耐えなければならないのか。もういい加減うんざりである。私は電車に設置された防犯カメラの位置を確認し、この時の為に用意した裁縫針を手に隠し持ち男の腰に突き刺した。
ぎゃあと声を上げた男がこちらを振り返ろうとするが、私は肩に体重を乗せて男を押し出す。降りようとする客達に押され男は駅のホームに流されていく。
私はそのまま降りる客の流れに乗ってホームを歩き、隣の車両から再度乗車した。
駅のホームを見ると、先ほどの男が倒れていた。通勤客が邪魔そうに彼を避けて電車に乗り込み、あるいはスマートフォンのカメラを向け無遠慮に撮影している。
あの針の先にはタバコを煮詰めた液が塗ってあった。彼は今頃急性ニコチン中毒により昏睡あるいは死亡しているのだろう。
彼はたまたま他の客に押されて私を妨害する格好になったのかもしれない。それとも悪意をもって妨害を楽しんでいたのかもしれない。いずれにしても、殺されなければならないような重罪を犯したわけではない。重罪人であっても私刑は許されていない。
だがしかし、毎日他人との密着を余儀なくされ様々なストレスを受ける「私」の精神は、もはや限界を迎えていたのである。
あなたは電車で他人の乗り降りを妨害していないだろうか。
そんなことで、わざわざ報復などありえないと言い切れるだろうか。
現代社会人の抱えるストレスは、もはや誰にも想像できない精神の変容をもたらしているかもしれない。
お読みいただきありがとうございます。