勝負開始
「〈大罪の蝶〉か……」
フェスティアの背中に生えた蝶の羽を見て、シュノムはそう呟く。
「知ってるんだ……」
「まあ、これでも掃討戦に参加してたからな。〈大罪の蛾〉の姿は忘れられないさ……」
「そう」
「……ということは、やはりそれが理由か」
フェスティアの正体は、クオル王国に存在しない王女である。
その理由は、シュノムが言う通りその姿にあった。
〈大罪の蛾〉────かつて、たった七体で人類を滅ぼしたそれは、人類が空に逃げた元凶にして、現在でも災害級の危険生命体として指定されている災厄そのもの。人類の逃亡から何百年という時間が過ぎた今もなお、地上を支配しているのは〈大罪の蛾〉だ。
そして時折、空の上ではそんな〈大罪の蛾〉と同じ羽を生やす少女が産まれることがある。
それが、〈大罪の蝶〉だ。胎内にいるとき母体が〈蝶毒〉を取り込み過ぎたことが原因だとか、環境を破壊して止まない人類への戒めだとかいろいろと言われているが、彼女らのような存在がどうして産まれてくるのかはほとんど何もわかっていない。
〈大罪の蝶〉のその人類の敵を彷彿とさせる姿は人々から忌み嫌われ、一方的な蔑みや差別の対象となる。〈大罪の蛾〉と異なり猛毒の〈蝶毒〉を放出することも無い彼女らは人的被害が全くないのにも関わらずだ。
「その通り……。私ね、小さい頃は大きな牢獄に住んでいたの。どうしてか、わかる?」
フェスティアの問いに、シュノムは蝶の羽で輝く虹色の模様を指さす。
「毒の無い〈蝶毒〉。正確には羽に付いた鱗粉か。それは〈蝶毒〉と同様の高エネルギー体だ……まあ、有り体に言えば力のコントロールが出来なかったとかだろ」
「正解。よくあることみたいだけど、幼い〈大罪の蝶〉は力のコントロールが出来ずに簡単に街を壊してしまう。……だから大概の子は軍に預けられて妖精兵として働くことになるのよ。でも、私はお父様がそうならないように、島一つを丸ごと使って牢獄を使ったの」
「とんだ親バカだな」
「ほんと……親バカよね」
「……それで?結局、何が言いたいんだよ」
「見ての通り、私は本気で行くけど……本当にそのままでいいの?」
それは、フェスティアがシュノムのことを心配して提案した最後の忠告だ。
魔剣を使うことにより、武器の差はとんでもなく開いている。というよりも、シュノムは丸腰なのだ。天と地ほどの差がある。それに加えて、肉体の差だ。どれだけ鍛えていようが、人間と羽を生やした〈|大罪の蝶〉では出力が違う。
これでは、拳銃と大砲の闘いだ。技術でどうにかなる次元ではない。
「まあ、なんとなくそんな気もしてたし……そっちの方が間違えて殺すことも無いから好都合だな」
シュノムは軽い調子でそう言うと、近場に落ちていたナイフを拾う。そのナイフはフェスティアと一緒に空から落ちてきたものだった。
「それじゃあ、このナイフが地面についてからスタートで」
そう言って、シュノムはナイフを放る。
数メートルほど上空に上がったナイフはすぐに落下を始めた。
少し話したことで幾分か冷めていたフェスティアの怒りは、二度目のシュノムの言動によってピークに達していた。もはや、いつはちきれてもおかしくはない。
「……」
フェスティアは、そのときを無言で待つ。
寸前までの迷いなど何処かへ消えていた。
殺気混じりの瞳が落ちるナイフを追う。
そして、ナイフの切先が砂の大地に触れた瞬間。
フェスティアはシュノムに向かって突っ込んだ。
☆★☆★☆★☆
「え?」
フェスティアの口から間の抜けた声が漏れる。
一瞬。何が起きたのか分からなかった。……いや、冷静に頭を働かせようとしている今この瞬間もいったい何が起きたのか全く分からなかった。
「おーい、もう終わりか?」
遠くの方からシュノムの声が聞こえる。
三半規管がおかしくなったのか、フェスティアの視界では青空に浮かぶ白い雲が揺れていた。
────え、空……?
数秒ほどかけて、フェスティアは自分が砂の上に倒れていることに気が付いた。
「まだ……まだ、余裕……よ」
何とか膝に手をついて立ち上がりながら、フェスティアは十メートル近く離れてしまったシュノムに応える。
体が重い。至るところで鈍痛が響く。
かなりのダメージが残っていた。
それでも落ちた魔剣を拾い、フェスティアは剣を構える。
〝────私はシュノムに突っ込んだはず……。それがどうしてこんなところまで吹き飛んでるのよ⁉〟
どんな手法を使ったのかは知らないが、シュノムと距離を詰めるのは危険だ。
そう判断したフェスティアは、地面を抉るように魔剣を振りあげた。
膨大な力によって吹き飛ばされた大量の砂は嵐となってシュノムに襲い掛かる。
「まあ、悪くない考えだ。だけど……」
擦り傷どころでは済まないフェスティアの攻撃だ。
しかし、それはシュノムの体に当たる寸前のところで無力化されてしまう。
これまた何が起きたのか分からないが、大量の砂はすべて弾き飛ばされてしまったのだ。
フェスティアの予想とは外れて、シュノムが何かしたという訳でもない。シュノムは、全くのノーモーションでフェスティアの攻撃を無力化した。
「ちょっ⁉そんなのあり⁉」
シュノムの背後を取ろうと、砂の上を駆け抜けていたフェスティアに、今度は逆に砂嵐が襲いかかる。
フェスティアは蝶の羽を羽ばたかせ飛び上がることで、なんとかそれを回避した。
ギリギリのところで、砂嵐が足元を通り過ぎていく。
何事もなかったかのようにフェスティアを眺めるシュノムに叫んだ。
「……だったら、これでどうよ!!!」
蝶の羽が開く。
虹色の鱗粉が撒き散らされる。
莫大なエネルギー源になる〈蝶毒〉が、赤い刀身を包み込んでいく。
それは、およそ考えうる限り最悪の組み合わせだ。
フェスティアが知る由もないだろうが、魔剣はエネルギーを喰らえば喰らうほど強くなる剣である。それは時に強大な敵のそれであり、持ち主の生命エネルギーであったりする諸刃の剣。ただの村人が竜を殺すことさえ可能にしてしまう呪いの使役だ。
魔剣とはすなわち、絶対に勝てない強者を倒すために弱者が命懸けで扱う武器なのだ。
その中でも魔剣グラムは、最高峰のエネルギー効率を誇る。村人が命を使わずとも竜くらい簡単に倒してしまうだろう。
その上、フェスティアの場合は自前の〈蝶毒〉を使うことができるのだ。
ハッキリ言って戦力が過剰すぎる。こんなの蟻に対して爆弾を落とすのと同じだ。
だが、それでもシュノムはただフェスティアを待ち構えていた。
先までと何も変わらない。
自然体のまま、フェスティアを見ているだけだ。
「こんっの────!ぶっ飛べえええええ!!!」
叫びながら、フェスティアは魔剣を振り下ろす。
それはまるで宙からおちてくる隕石のような一撃だった。
空間を焼き切るような斬撃は、何の抵抗もなくシュノムへと襲いかかる────。
「っく……な、んで?」
シュノムに一太刀入れるだけ。
たったそれだけのことが、わずか皮一枚分の余地を残して阻まれる。
〈蝶毒〉のエネルギーを全力で使い、フェスティアは爆発的な推進力で剣を押し込んでいく。
それでもシュノムには届かない。
最後の一歩が想像できないくらいに遠かった。
「……一つ教えてやる」
シュノムは静かに答える。
その瞳はただただ冷酷だ。
刹那。フェスティアに斥力のような見えない力が襲い掛かかった。
慌てて蝶の羽を開くも、とてもフェスティアに耐えられるような力ではない。
「お前に剣士の才能はない……諦めろ」
その宣言と同時。
限界を迎えたフェスティアは、意識ごと吹き飛ばされた。