私が『禁煙』できた話
喫煙者の肩身は狭い!
健康に悪いと言われ、副流煙は他人の健康も害すると言われ、臭いと言われ、
税金も上がり、喫煙室に押し込められるのはまだいいほうで、
完全禁煙となった場所も多い。
散々な扱いだ。
しかし、やめるのも難しい。
今日の話は私がタバコをスパッとやめられた奇跡としかいいようのない話。
当時の私は、一日一箱吸うこともある、そこそこのヘビースモーカーだった。
吸いかけのタバコを灰皿に置いたまま、無意識にまた新しいタバコに火を点ける、
そんなことすらある壊れたチェーンスモーカー。
タバコを愛し、タバコに愛された男だった。
まだ当時は喫煙者も多かった。
プログラマやシステムエンジニアの仕事は、プログラミングをしたり、設計書を書いたり、
チャットをしながら仕様を確認したりで椅子に座っていることが多い。
昼食をとる時と、煙草を吸う時、トイレに行く時以外立ち上がらない。
煙草を吸わないと休むきっかけがないという状況だった。
スーツを着たブルーカラーとはよく言ったものだ。
喫煙所で煙草を吸い、
そこでウダウダと仲間や他の協力会社の人たちとコミュニケーションをとる。
喫煙所だと、何故か知らない人とも打ち解けられた。
エンジニアは、あまり他人とコミュニケーションをとらない人が多い。
喫煙所は良い社交場ともなっていた。
しかし、そんな私もタバコをやめるときがきた。
十五年くらい前。私はシステム導入のために仙台に長期出張していた。
そのとき勤めていた会社には東北に支店がなかったため、
私は福岡から、他の要員は東京から仙台に集まり、ウィークリーマンションで
三ヶ月ほどの出張生活となった。
あまり行く機会のない東北。仕事が終わるのは二十二時頃。
私と同僚のS君は、飲み屋で夕食、という楽しくて不健康な生活にいそしんでいた。
なかなか訪れることのできない東北に来たためか、肝臓機能もかなり活発化し、
毎晩毎晩、繁華街・国分町に繰り出し、魚、牛タンなどのおいしい食べ物に舌鼓を打ち、
浦霞、一ノ蔵、勝山、日高見などの日本酒の種類の多さと豊潤な味わいを堪能していた。
コンビニ弁当で済ましても良かったのだろうが、その頃はまだ胃腸も若く、
また転勤、長期出張が多い仕事だったので、ストレスでテンションが変になって
いたのだろう。
そんな生活が二カ月くらい続いたころ、突然、体に異変が生じた。
そのときの症状は、「貧血」という感じだった。
意識がフワッと舞い上がり、眼前が「真っ白になる」感じ。
貧血になどなったことのない私は「これが貧血か!」と少し感動した。
ただ私は、これは普通の異変じゃないと感じ、仕事を抜けて病院に直行した。
扁桃腺が腫れ、目の前が揺れ、膝がガクガクと震える。
病院に入ると、アンケートに答え、体温計で熱を測ったら四十九度。
看護婦さんもびっくりして慌てて病室に案内された。
四十九度といわれて私も驚いた。
私の体温が人生で初めて四十九度に到達した。
初めて体験する四十九度の世界。
いやはや、いやはやである。
ただ気が張っていたのだろう。ちゃんとマンションまで歩いて戻れた。
原因は、「免疫力が低下」してるのではないかということだった。
もの凄い「扁桃腺の腫れ」、
腕には赤い見たこともないような湿疹が表出し、
医者からはクスリの処方とともに、タバコをやめるよう勧められた。
ただすぐにはその気にならなかった。
私はフラフラになりながらも、隙あらばタバコを吸ってやろうと目論んでいた。
そして熱が少し下がり、気分が回復したとき、タバコを一本吸ってみることにした。
怖ろしい異変が体を襲った。重度の二日酔いと、高熱が一度に襲ってくる感じ。
血の気が引き、全身がブルブルと震えた。あまりの気分の悪さに吐き気が止まらない。
思わずベッドに倒れ込んだ。自分の顔が真っ青になるのが分かった。
『なんだこれは!』
衝撃的な苦しみだった。
その日から、タバコの匂いを嗅ぐだけで気分が悪くなるようになった。
そしてこれをきっかけに私は『禁煙』することに成功したのである。
禁煙したというか、吸えなくなったといった方が正しいのかもしれない。
病気は三日でおさまったが、それ以降、タバコを吸いたくなくなった。
誰もが苦しむ禁煙に、私は(全く苦労せず?)成功することができた。
食事の後、タバコを吸いたくなることもない。
当時、「オフィスでの歩きタバコは止めてください!」と、
今となっては常識を全否定するような貼り紙のあった事務所も、
その二年後には、「全面禁煙」となり、喫煙者たちは粛清されることになる。
喫煙仲間が禁煙に苦しむ中、私は一人平然としていられた。
私は仙台が
『タバコをやめさせてくれた』
そう思っている。
私も仙台に行っていなければ、他の仲間たちと同じように
「禁煙」に苦しんでいたことだろう。
本当に感謝している。
だがあれから十五年。
あの苦しみの記憶も薄れた今、
「葉巻ならいいか!」
という誘惑に、心が揺れ動いてはいる。
最後までお読みいただきありがとうございます。