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席を譲ったり、座ってもらえなかったりの話

 休日、久しぶりに実家に帰ろうと、駅で電車を待っていた。


 十時三十分の急行電車。


 時刻十分前に目当ての電車が入線してきた。

 「えっ、このタイプの電車が来たか?」


 この時間帯はこのタイプだったっけ?


 私が常用している電車には二つのタイプがある。

 席が横に長いタイプと、

 二人掛け席がズラリと並ぶタイプだ。


 線路に入線してきたのは、『席が横に長いタイプ』の電車だった。


 どちらが好きというわけではないが二人掛けの方がすこし好きだ。


 席に余裕のあるときはいいのだが、

 そうでないときは、横に長い席だとどこまで隣と詰めるかで悩んでしまう。

 ほんの少しの障りだが。


 満員電車のときはいい。詰めるしか仕方ないのだから。

 そこそこ空いてるときにすこし悩んでしまう。

 それも隣が女性のとき。この空き感で、どれくらい隣との隙間を空けようかと。


 私は通勤時間帯では座れそうなときでも座らない。

 いくつかの駅を経由するうちに、満員になってしまうからだ。

 私は途中の駅で降車するので、奥にいると電車を降りるのが大変だ。


「降ります!すいません」


 と声を発し、多くの人を動かし、降車しなければならない。

 たまに微動だにしない人もいる。本当に嫌な時間だ。

 

 私は最短距離、最短労力で降車したい。

 だから通勤のときはなるべく、扉近くに居場所をみつけることになる。

 一番いいのは扉の隅に立ち位置をとることだ。

 が、先客がいる時も多い。

 

 そのとき、扉の両隅に立つ人は、扉側を向くか、少なくとも横を向くかしてほしいと思う。

 たまに扉側の壁に背を凭れて、車内の方を向いて立ってる人がいる。

 空きのある車内なら離れて立てばいいが、満員だと向かい合う形になって、結構気まずい。


 今日は休日でなおかつ始発、しかも最前列で待てたので、扉付近の隅の席に運良く座る

 ことができた。


 やはり隅の席は居心地がいい。


 休日の電車の中では、小説の展開を考えることにしている。

 なぜか電車移動のときに、自然とストーリーを思い浮かぶことが多い。

 特に二人掛けの席だと確率が高い。


 今日は横に長い席の電車だが、何か思い浮かぶかもしれない。

 探偵・霞響子はどう動くのか?ストーリーのつづきに思考を巡らした。


 電車が次の駅で停車すると、白髪の老婦人が乗車してきて、私の前に立った。

 私はスッと立ち上がり、その老婦人に席を譲った。

 自然にそうなった。

 老婦人は丁寧にお辞儀をすると私が空けた席に座った。

 よく相手の顔を見ていなかった。

 ちらりと目を遣ると、八十歳過ぎくらいだろうか。上品そうな老婦人だった。

 私の降車駅まではあと八駅くらいだった。


 席を譲るなんて何年ぶりだろうか。

 こんな状況になるのは、最低でもこの十年くらい無い気がする。


 少し考え込んでしまった。


『なんでこの十年なかったんだ?』


 そう、通勤時間帯はそもそも座らないし、休日は、二人掛け席が並ぶ電車に乗ることが

 多かったためかもしれない。


 二人掛け席が並ぶ電車に乗る時は、真ん中あたりの席、

 それも窓側に座ることが多かったので、席を譲る機会自体、ほとんどないのだ。


 しかし席を譲ることに思考を巡らす。そんな時間も滅多にないだろう。


 そういえば学生のときにある事件があった。


 『そう、譲ったのに座ってくれない事件だ』


 それは学校帰りのバスでの出来事だった。

 バスは帰宅する学生でいっぱいだった。


 通路側の席に腰掛けていた私の横に、白髪の老婦人が立った。

 私は特に考えずに席を譲ろうと席を立ち、「どうぞ」と好青年らしく言った。


 が、その老婦人の反応は意外なものだった。

 「いいですよ」と薄っすらと微笑むと、つり革を掴んだまま、

 私の目を避けるように窓の外に視線を向けたのだ。


 私はなぜか固まってしまった。想定外の出来事だっかからだろう。


 「そうですか」とでも言って、また座ればいいだけなのに。

 私は立ち尽くしてしまったのだ。


 席がポツンと一つ空いている。

 なんだか間抜けな空間がそこにあった。


 だんだん恥ずかしくなってくる。


 その婦人も窓の外に目を遣ったまま頑なに動かない。

 狭いほぼ満員のバスの中、移動するわけにもいかない。


 なにせ気まずい時間が過ぎていった。

 かえすがえすも意味がわからない。

 なぜあの時、座ってもらえなかったのだろうか?

 そして、なぜ自分は席に戻れなかったのだろうか?


 今なら戻れるに違いない。


 学生の年代特有の自意識過剰なだけだったのだろうが。

 でもあのご婦人も何故断ったのだろう?


 すぐに降りるから断ったわけではない。

 降りるバス停はそこから四十分くらいかかる終点に近いバス停だった。

 もしかしたら、あの老婦人、「老」ではなかったのかもしれない。

 この歳になって思い返せばだが。


 グレイヘアなだけのご婦人だったのかもしれない。

 あのグレイヘアで有名なフリーアナウンサーの近藤サト氏よりちょっと上くらいの

 女性だったのかもしれない。


 今となってはなんともいえないが。

 あのご婦人も恥ずかしかったのかもしれない。

 まさか自分が席を譲られるなんて想像もしていなかったのかもしれない。


 私と同じく、あのご婦人も驚きで固まっていたのかも。


 そういえば窓の外に向けるご婦人の表情は少し強張っていたようにも感じる。


 しかし、どうもその日から、席を譲るのを躊躇するようになってしまった。

 そんな気もする。

 

「すいませんこれを」


 そのとき、いきなり下から声が聞こえた。

 過去の記憶に没入していた私はビクッとしてその声のする方を見た。


 すると、席を譲った老婦人が私に何かを渡そうと手を差し出していた。

 「はい」と思わずそれを受け取る。

 老婦人は上品に頭を下げた。

 私は何を受け取ったかわからず、掌をちらりとみた。


 折り畳まれた千円札だった。

 

 えっ!と思った。お金をもらうようなことではないし。


 「いいんですよこれは」とすぐにお金を返そう手を差し出したが、

 「いえいえ」という老婦人。


 私はそのまま千円札を受け取ってしまった。


 で、今握っている千円札をどうしたものか。

 まさか、その場で何枚か数えるのもいやらしいしだろうし。

 財布に入れるのもどうだろうか?

 私は思考が停止してしまい、

 そのままジーンズのポケットにその千円札をねじ込んだ。

 何枚かはわからない。


 数駅過ぎた。

 自分の行動にだんだん恥ずかしくなってくる。

 この千円札を受け取る前に、「いいんですよ」と言って断わるべきだった。

 

 しかし思わず受け取ってしまった、

 遠慮する行動がとれなかった自分が恥ずかしくなってきたのだ。


 そしてこの状況、いつかテレビ番組でみたことあるぞと思った。


 そう「水曜日のダウンタウン」だ。

 「電話中だったら何を渡されても受け取っちゃう説」。


 マネージャーなどと電話中のタレントに、マイクや、ブラジャー、ソフトクリーム、

 トロフィー(大)、大型犬、モーニングスターを渡して受け取るか、

 という検証番組だが、見事に全員が、渡されたものを受け取ってしまっていた。


 電話中だと思考が散漫になり、無関係なものでも受け入れてしまう、

 そういう検証番組だった。


 私はその番組を見ながら「なんでも受け取りすぎだろ!」と大爆笑したのだが。


 きっと私も受け取るのだ。


 しかし、この複雑な気持ちは何なのだろう?


 駅が二つ過ぎ、三つ過ぎ。そしてあと一駅で降車駅になった。


 老婦人はまだそこに座っている。


 その間中ずっと、私はこの意味不明な感情の中にいた。


 最寄り駅に着き、私は電車から降りた。

 老婦人はまだ座っているようだった。


 この駅で、バスに乗り換える。

 

 バスの中でジーンズのポケットに押し込んだ千円札を取り出した。


 お札は一枚。千円だった。


 なぜか少しホッとした。

 ああ、そういえば老婦人に千円札のお礼を言ってなかった。

 いや、お礼を言うのもおかしいのか。


 しかし、この出来事、そもそも気持ちが騒めくようなことことなのか?

 

 なぜこんな複雑な気持ちになったのか、よくわからない。



最後まで読んでいただいて有難うございます。

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