第九話
「最後に聞くがおまえが今までに攫った人は………?」
男は嗤いながら真人を見た。
「大したもんだよ、あんた。オレという証人を本気で逃がす気でいるとはね。オレはてっきり案内するだけ案内させたら捕まえられる覚悟をしてたってのにな。………まあ礼代わりに教えるが平民の娘が五人と……貴族の娘が一人だ。確か……シェレンベルグとか言ったか…
あと一人貴族の娘がくる予定だったんだが、そっちはどうも失敗したらしいぜ」
「シュレンベルグですって?」
シェリーが予想外の男の告白に目を見張る。
シェレンベルグ侯爵家といえば外務卿として王国の外交の中枢を担う大貴族であり、かつ文官勢力のなかでも軍事に理解ある数少ない人物だった。
その御令嬢が誘拐されていたとは………
「おそらくその失敗したというのはルーシアさんですね」
「えっ?」
真人の指摘にシェリーは思わず声をあげた。
もしそうなら、これはただの奴隷狩りなどではない。
…………オスパシア王国を標的にした要人誘拐か王国内の勢力争いか……いずれにしろ陰湿な政治的陰謀だ。
「一ノ式 篝」
真人の肩に一羽の川蝉が出現した。
「ルーシアさんたちを呼んできてくれ。それと、ことの次第を伯爵に報告を」
「承知しました。主様」
可愛らしく首を振ると、川蝉は矢のような速さで天空に舞い上がる。
「使い魔か………初めて見たぜ……」
シェリーも知識として魔術師の中に使い魔を生み出すものがいることは知っている。
しかし人語を話すとなると少なくともオスパシア王国内では聞いたことがない。
魔術先進国であるヘイドリアン公国にしてどうにか噂に聞ける程度であろう。
…………いったいこの人はどこまで………
「………どうやら中の人間が気づいたようです。……一応忠告しておきますが神域で1年殺生を断ちなさい…でないと死にますよ?」
後半部分はさっさと逃げ出した男の背中に向けられていた。
「ご忠告、痛みいるねえ……」
おそらく彼が真人の忠告を守ることはないだろう。それが彼にとって生涯最後の失敗になるとしても。
「お前ら!こんなところで何をしてやがる!」
数人の男たちが真人を囲むように天幕から現れた。
「客なら見せ場にいくはずだ……なんの用でここまできた!?」
どうやらこの男たちは先ほどの傭兵より上位にいるらしい。
武装もショートソードではなく、バトルアックスやシミターさらにはクロスボウまで装備しているし、真人を貴族のボンボンだと思って油断してもいない。さらに…………
「逃がすな。そっちの女はハースバルドの身内のはずだ………」
傭兵風の男たちに続いて現れたのは見るからに危険そうな暗い眼差しの男だった。
「………ルーシアさんを襲ったのはあなたの手の者ですね……」
真人は目の前の男にルーシアを襲った暗殺者と同じ匂いを嗅ぎ取っていた。
感じる技量は今までの男たちとは次元が違う。おそらく、この男が実行部隊の責任者だろう。
「女を確保しろ………」
そう言い終わらぬうちに男は真人に向って針を投擲する。
ダガーと違って視認することが難しい武器だが真人には通じなかった。
かわしざま針のひとつを男に投げ返すと、針は誤たず男の右腕の神経節を貫いた。
「二ノ式 太郎丸 三ノ式 飯綱」
シェリーを狙った男たちの前には巨大な犬と雷を纏った鼬が立ちふさがる。
どこからやってきたのか不思議に思うが所詮は動物……そう考えた男たちは己の命でその考えがいかに甘いものか味わう羽目になった。
巨大な漆黒の猛犬、太郎丸はまるで豆腐のように男たちの腕を噛み切り、宙を疾駆する鼬、飯綱は目にもとまらぬ速さで男たちの頸動脈を断ち切っていった………
感情を表さぬ暗殺者の瞳に動揺の色が走る。
この少年は異常だ
人が持つ強さの限界を超えている
大陸中のどの国に追われても逃げ切る自信はあるが、この少年には………
………どうせ逃げ切れぬなら為すべきことはひとつ………!
懐の煙幕玉を炸裂させ天幕のなかに身を躍らせる。
なんとしてもシェレンベルグの娘だけは殺さなければ………我が冥き残月の名にかけて!
抜刀する。
長い年月をともにし、数え切れぬ血を吸ってきた愛刀サライが冴え冴えと光るのを男は深い満足とともに見つめた。
猿轡をされたシェレンベルグの令嬢の瞳が恐怖に見開かれるのを見ると、背筋を歓喜の震えが走った。
人の命を奪うほどの快感があろうか!
これが最後なのがなんとも口惜しいが、なればこそ心行くまで味わわねば気が済まぬ。
刀を振り上げる。
まずは斬りさげ。肩口からへその下まで臓腑ごと断ち切って手ごたえを味わおう。そして最後に心臓への刺突……。
「金行を以って銀の矢と為す、貫け」
頭が重い
何かが額から突き出ている………いったい何が………
そんな思考を最後に名も無き暗殺者の意識は永遠に闇に堕ちた。
「シェレンベルグのご令嬢とお見受けいたします。ご無事ですか?」
真人が猿轡をはずし、両手を拘束していた鎖を断ち切ると、令嬢は満面に笑みを浮かべて真人を抱きしめた。
「待っておったぞ!お主が妾の運命か!」
………シェレンベルグ家というのは占星術師の家か何かなのだろうか………?
「妾のような絶世の美女の危機を天が放っておくはずがない!きっと天の御使いが助けに現れると信じておったぞ!」
「……なにか勘違いをされているようですが……」
背筋が寒くなるような嫌な予感とともに開きかけた真人の唇は令嬢の濃厚な口付けによって塞がれた。
「ちょっと!何やってるんですかあああああ!!!」
シェリーが嫉妬むき出しで二人を引き剥がしにかかるまで、真人は酸欠で遠のく意識を必死に繋ぎとめていた。