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第七十四話


大陸中の諸国が数多くの密偵を送り固唾を呑んで戦いの行方を注視していた。

あるいはもっと積極的に介入したい君主のいるのかもしれなかったが、ブリストルが土壇場で見せた精強ぶりの前には様子見するほかなかったと言えるかもしれない。

とはいえ帝都での最終攻防戦に敗れればいかなブリストル帝国といえども滅亡は免れないだろう。

それはブリストルという帝国があまりに武に特化した国家であるためだ。

必要最低限の行政機構しかなく、また長年の膨張主義によって国内に少なからぬ反抗的な被征服民を抱えるブリストルという国は

その拠って立つ武を失った瞬間に瓦解する運命なのであった。

帝都に集結した最後の精鋭を失えば征服されていた辺境での暴動はすぐさま内乱へと姿を変えるであろうし、撃退されて今は逼塞している小国の王達も

この絶好の機会を見逃すことなどありえない。

だがオルパシア・メイファン連合軍もまた敗北すれば同じく国家の存亡にかかわることは明らかだった。

メイファンにいたっては残してきた兵力は皆無と言っていい。

敗れればわずか数千のブリストル軍ですら簡単に再征服が可能であろう。

もちろんオルパシア王国とて無事には済まない。

常勝を誇るマヒト・ナカオカミと常備兵力の七割以上の外征軍が壊滅すれば、それを立て直すには十年単位の時間が必要となるに違いなかった。

双方にとって後のない総力戦の結果は、今後の大陸における政治関係にも深刻な影響を及ぼすであろうことを各国の君主はもちろんよく承知していた。

さらにこの戦いは神話のときから続くストラトとカムナビの戦いでもある。

戦神ストラトとは相容れぬ他の五大神を崇める国々はブリストル帝国の打倒を望んではいたものの、こうした危機をブリストルが幾度も乗り越えてきたことも紛れもない事実なのだった。






「なんだか怖いよ、お兄ちゃん」


そう言って真人の膝の上でプリムは背中を丸めて身じろぎしていた。

今やカムナビの巫女としての能力においてプリムは既にシェラの遥か先を行く。

生来の巫女気もさることながら、やはり王都での雑事から離れ神域で修行を積むことが出来たことは大きい。

来るブリストルとの決戦においてプリムの力は必要不可欠なものであり、故にプリムは修行のため離れざるをえなかった時を

埋めるかのように真人にまとわりついたまま離れようとしなかった。

シェラとしてはまことに不本意ではあるのだがそれを邪魔することはできない。

プリムを真人から引き離して神殿に残したときの、外征中における真人独占権は交換条件であったのだ。

げに恐ろしきは乙女たちのたくましさであった。


「兵気が張り詰めている………さすがはブリストルというところかな」


真人はブリストル軍の将兵にただ素直に感心していた。

おそらく巫女気の高いプリムは無自覚ながらにブリストル軍の不退転の士気を感じ取ったのであろう。

ここまで高い士気を維持することのできるブリストルの指揮官には同じ武に生きる者として敬意を禁じえない。

これまで敗北に敗北を重ねてきた軍であるならばなおさらである。

悲壮感の欠片もなく、彼らが勝つ気満々であることは真人でなくとも感じることは難しくなかった。

やはり大陸最強の名は伊達ではなかったのだ。


「………神気もただ事ではないわ。正直私とプリムだけで彼らを排除するのは無理ね」


宗教勢力として一旦は壊滅していたカムナビの巫女はわずかにシェラとプリムの二名。

対するストラトは長年の修行に支えられたぶ厚い神官の層がある。

高位の司祭が真人の力を押し留めることができるのはケルドランの攻防戦が証明していた。

ストラト神殿がその総力をあげれば真人の術力はおろか肉体的な武にすら干渉することが可能であろう。

条件をなんとかケルドランの戦いと五分にもっていくためにもシェラとプリムの力は欠かすべからざるものであったのだ。


「…………違う、違うよお兄ちゃん………怖いのはそれとは違う……何か別のものだよ」


プリムだけが得体の知れぬ恐怖感をひしひしと感じていた。

確かにブリストル軍の脅威は恐るべきものだが、そうした人知のものとは決定的に違う何かが凶悪な顎を開けているように思えてならなかったのである。


「さすがはブリストルの誇る野戦軍だね、付け入る隙の欠片もありゃしない………知将フェルナンドの名は伊達じゃないというところかね」


ため息まじりに天幕から現れたのは斥候に出ていたディアナとアリシアの二人であった。

両名ともに緊張の色は隠せない。

それほどにブリストルの陣容は完璧に整えつくされていた。


「……左翼にアウフレーベ将軍、右翼にマンセル将軍、中央をライオン将軍とフェルナンド将軍が固めています。陣形からして真人様が予想された

ように彼らが攻勢に打って出ることは疑いありません。しかし思っていた以上にブリストル軍の練度……高いものがあります………」


これが後のない背水の陣であることもあるのであろうが、ブリストル軍の精強さはアリシアの予想を遥かに超えていた。

彼女は軍隊内の当然の常識として、戦いの直前にこそ最も兵士の練度の差が表れることを知っている。

新兵であれば闇雲に気を高ぶらせて戦う前に疲弊してしまうだろうし、練度の低い兵はたちまち緊張感を欠いてしまう。

覚悟の足りぬ兵は自らの命を惜しんで出来うる限り戦場の危険から遠ざかろうとし、野心の強い兵は自らの手柄のために秩序を乱す。

しかしブリストル軍のこの整然とした統制ぶりはどうだ。

これほど戦というものに熟練した見事な兵たちをアリシアは知らなかった。

闘神と呼ばれる歴戦のディアナですら数えるほどしかお目にかかったことはない。

少なくとも兵の質において連合軍が圧倒的に劣っていることは明らかだった。

真人という規格外の存在なくして、まともに相手をしたならば倍の兵力を揃えたとしても勝利することは難しいだろう。


「…………それともうひとつ気にかかることがある………」


一軍を預かる将としてはとるに足らぬ問題かもしれないが、絶対に厄介な裏があると第六感がディアナに警鐘を鳴らしていた。

こうした戦場での第六感においてディアナの勘はプリムの予知にすら匹敵するのである。


「あのフィリオがなぜかどこにも見当たらないんだ。ケルドランの一戦で奴が尻尾を巻くようなことは決してないはずなんだが………」


おそらくは真人に対する専任部隊であろう武芸者の集団が確認できただけで三つ。

その中にはケルドラン城塞での攻防で真人を瀕死に追いやったあのシンクレアの姿もあった。

集団が三つも存在するのはケルドランのときほど卓越した武芸者を揃えられなかったからであろう。

だからといって尚武の国ブリストルの武芸者である。油断できるような使い手は一人としていない。


「ま、いくらあのフィリオでも真人に敵いはしないさ………それでも私は気になる……気になるんだよ………」


かつての僚友がどれほど最強の武に固執しているかをディアナは知悉している。

そして壁にぶつかるたびにいつもフィリオはより強くなってきた。

それでも真人の理不尽なまでの強さには到底及ぶまいが、魔術を封じられた真人の敵として厄介な人間であることに変わりはない。

ディアナの見るところフィリオを上回る武勇の士は三つの武芸者集団のいずれにも存在していなかった。

ということはブリストル側からフィリオを排除したということはあるまい。


「………全く………今はそれどころじゃないってのにね…………」


ブリストルの野戦軍と雌雄を決しようと言うときにもかかわらず、脳裏の片隅を占有し続ける不安を払拭することができない。

戦の勝敗に対する不安は戦場の消耗品たる傭兵には付物だ。

しかしこんな漠然とした得体の知れぬ不安を抱えたまま戦に臨むのは、歴戦のディアナにとっても初めてのことであった。

これが自分だけのことであればディアナも開き直ることができたかもしれない。

それが出来ないのは間違いなくその不安の対象となるのが真人本人になるであろうからだった。






「それであの者の様子はどうだ…………?」


仕立てのよい真紅の神官服を纏った初老の男は苛立ちを隠そうともせずそう言った。

苛立つのにはもちろん理由がある。

ストラト神殿最高司祭である彼にとって信仰の危機を打破すべき最高にして最後の手段が思うに任せぬままにいるのだ。

苛立つなという方が無理というものであろう。


「相変わらず宝剣バルゴを振るうことに執心の様子でして…………」


最高司祭に言葉を返す男―――ベルファストの声も苦いものにならざるを得ない。

つい先日までフィリオは実に都合よく思い通りに動いてくれた。

直接交渉に当たったベルファストにとっても笑いが止まらなくなるほど単純な男であった。

しかしその愚直なまでの単純さが逆に仇になろうとしているのだ。

神の宝具たるバルゴを手にした者は少なくとも一週間のうちには自我を失うのが常であったのに、あの男に限っては一月以上が経過した

今になっても自我を失う兆候が見られないのである。

そしてバルゴを十全に振るうために、今日もまた神域内で修行を繰り返していた。


――――こんなはずではなかった。


最高司祭であるアーベナルドの苦悩は深い。

フィリオの誤算もさることながら、神槍ルドラに依り憑かせようとしていたアウフレーベに拒絶されたことも大きかった。

このままフィリオが万全な状態にならずとも、二人ながら神の依り代をそろえることが出来ればいかなマヒト・ナカオカミといえども抗することは

できないはずであったからだ。


もはや神殿には後がない―――後がないのだ。


帝国に十二将軍がいるように、ストラト神殿にも偉大なる十二人の大司祭がいた。

しかしケルドランと二人が殉職し、この帝都の攻防においても少なくとも四人は神の御許に召されるだろう。

場合によってはそれ以上が。

さらなるマヒトとの交戦の継続はストラト神殿が営々と築き上げてきた信仰の担い手の全滅を意味していた。

―――だからこそ万全の状態で戦いたい。

敗北はもはや許されないのだから。



―――だというのにアウフレーベにはにべもなく拒絶され、しかも神殿秘中の秘まで見抜かれる始末。

フィリオはどれほど強さに対する執念が強いものか、いまだ神へ自らの身体を差し出そうとする気配もない。

確かに神の宝具にすら抗うその執念は目を見張るものだ。

しかし人は人の器以上の力を決して引き出せない。

神だけが神の力を使えるのである。


堅い意志のもとに修行を続けるフィリオの武は人としての頂点を極めようとしていることにアーベナルドも否やはない。

あるいはそのままでもマヒト・ナカオカミの打倒すら可能であるのかもしれなかった。

だがそれは所詮人としての武であってあまりにも不確定要素が大き過ぎた。


人の力では足りない。

神の力が必要だ。圧倒的な神の力こそがこの地上にストラトの正義を約束してくれる。

なぜなら人が神の力を超えることはない。



―――――人が神の力を超えることがあってはならないのだ。




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