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第六十七話


神殿都市リューボック。

メイファン王国の東南に位置するそここそはシェラとプリムの人生が始まった地でもあった。

王国の国教たるカムナビの大神殿………その地を支配する枢機卿の娘として二人は生を受けたのだ。


ものごころついたときから二人を見つめる目は冷たくあるいはいやらしい媚に満ちたものであった。

お世辞にも子供が成長するのにいい環境とは言えない場所であることは疑いない。

おそらくは戦神ストラトの神殿ですら、このカムナビ神殿ほどに腐敗はしていないに違いなかった。

そう断言できてしまうほど、神殿の腐敗は著しかったのだ。


原因はわかっている。

大国に存在するあまたの神殿の中で、カムナビの神官だけが神の力の具現である神術を行使することができないからであった。


異世界へとカムナビが放逐された以上、アヌビア世界でカムナビの力を振るうことができないのは自明の理である。

しかし救いを求める信者たちに目に見える癒しを与えることの出来ない無力な神官に対しての国民の失望は大きかった。

なんとなれば各国において神官とは、調停者であり、学者であり、技術者であり、医者であったからだ。

では役に立たなくなった神など見限って他の神に乗り換えればよいだろうか?

残念ながら問題はそれほど簡単なものではない。


メイファン王国の始祖はカムナビに仕えた戦士であったという。

カムナビの帰還を待ち、カムナビの神座所を保つことはメイファン国王に課せられた神聖な使命であった。

だからこそ枢機卿は代々王族の一人が務めることと決められていたのである。


だが、神の力を振るうことの出来ぬ神官たちはいつしか信仰心を失い、己の利益を追求することに汲々とするようになっていった。

神殿とはいわば神の現世における代理人であり、代理すべき主権者がいないとなれば代理人が好き勝手を始めるのは、このままならぬ人の世の運命のようなものであった。

国家の精神的支柱である信仰を病んだメイファン王国がその求心力を失っていくのを避けることは、もはや誰にもできぬ相談であったのだ。


本来アヌビア世界における六大国の一員であったメイファン王国が大国の地位を失い、残された五国が五大国と呼ばれるようになったのは今から七百年ほど前のことであったという。

もはや坂道を転がる石のようにメイファンの転落は止まらなかった。


信仰という足枷がはずれたことで商業主義が発達し、一時はメイファンの首都バルバリアはアヌビアでもっとも華やかな都とさえ言われた。

その半面、拝金主義が横行し、貴族と官僚は腐敗して膨大な数の下層民を生み出してもいたのである。

あまりにひどい貧富の格差は国民の国家への信頼を決定的に失わせた。

それを止めるべき神殿も王家も、止めるどころか率先して蓄財にあたっていたと言う。

シェラがメイファンは国家としての命数を使い果たしたと言ったのは決して誇張な表現ではない。

メイファン王国はまさに命数を使い果たし、滅ぶべくして滅んだのであった。








「………まさかここまで破壊されているとは思いませんでした………」


原型をとどめないまでに破壊されつくした瓦礫の山。

いまだそこかしこに横たわる誰とも知れぬ白骨とさび付いた矢の数々が、当時のものものしい雰囲気を伝えている。


シェラは自らの声がひび割れていることを自覚した。

決して楽しい思い出の多い故郷ではなかったが、やはり生まれ育った故郷は心の中に大きな比重を占めていたらしかった。

おそらくは火をかけられたのであろう煤と瓦礫の山と化した故郷を見るのは、思っていた以上にシェラとプリムに精神的負担を強いていた。


「………おのれ……ブリストルめっ!なんという非道な………」


憤りを露わに副官のハイデルが吐き捨てる。

壁面を焦がす爪あとの大きさは、それが単なる炎ではなく、高度な破壊神術の成果であることを告げていた。

戦神ストラトの直接的なライバルであるカムナビは、ストラト神の信者にとってもとうてい見過ごすことはできない存在であったのだ。

これほど執拗に破壊しなくてはならなかったところに、真人は憎悪よりもむしろ恐怖を感じ取っていた。


「おうち………なくなっちゃったね…………」


力なくプリムが瞳を向けた先では、かつては瀟洒であったはずの屋敷の焼け跡が広がっている。

旧アウストリア侯爵邸の無惨な姿がそこにあった。




――――あの日、蒼白になった父に痛いほど手を引かれて出入りの商人のもとへ連れて行かれたことが、まるで昨日のことのようにシェラフィータの脳裏に去来した。

思えばいつも無口ではあるが優しかった父の初めて見せる鬼気迫る表情だった。


「私たちはいったいどうすればよいのですか?」


「………オルパシア王国へ向かうよう手はずは出来ている。かの国に着いたならば身分を明かして保護を求めよ。なんとしても王家の血筋だけは守らなくてはならんのだ!」


父の双眸に狂気の色が宿っているのに気づいたシェラは、両手に力をこめてプリムを抱きしめるのが精一杯であった。


シェラとプリムが、メイファン復興の旗頭として立つことを忌避していた理由の根源がここにある。

確かに侯爵は娘を愛してはいただろう。そして無事メイファンを生きて脱出させたいとも思っていたに違いない。

だが、それ以上に王家の血筋のほうが彼にとってかけがえのない何かであったのだ。

たとえシェラとプリムが奴隷として慰みものにされたとしても、その結果子を生み血筋さえ残せればそれでも構わないというような狂気を二人は無意識のうちに感じ取っていた。


形骸化し、なんら国民の役に立つことのできぬ王家の血に家族以上の崇敬を抱くことなど二人には不可能である。

だから呪った。

自らのうちを流れる王族の血を。

そして真人に救われて、王族でも巫女でもなく、ただのシェラフィータとプリムローゼになって新たな家族を得たと信じた。

運命の変転はシェラとプリムを一市井にしてはおかなかったが、個人としてのシェラとプリムの帰るべき場所は王国でもなく神殿でもなく真人の傍以外にはありえなかった。





だが今はその王族の血に用がある。

他の誰でもない真人のために、シェラたちには王族の血が必要なのだった。




「……………神殿は破壊されたようですがあれはただの形式にすぎません。本当にカムナビ教徒にとって大切な場所は別にあります」


代々の巫女のみに伝えられてきた口伝。

表向きの枢要部は神殿の奥にそびえていたカムナビ大神像だが、本当に大切な聖地は実は神殿から離れた巨石群にこそあると口伝は伝えていた。

ただ巨大なだけの石に神官たちはなんらの価値も認めていなかったが、その実、代々の巫女の交代は巨石の神座でなされてきたのである。




磐座いわくら……………か!」


巨石が一定の規則によって配列されたその姿に真人は驚きを隠せなかった。

かつてカムナビの力の源となり、各地で千年以上が経過した後になってもパワースポットとして機能した神に対するエネルギープラント。

真人にとって最後の土地となった黒又山にもそれが静かに鎮座していたのを真人は鮮明に覚えていた。


…………もともとアヌビア由来のものだったのか………!


カムナビが主に東北地方に張り巡らせた磐座の総数はおよそ百に届こうとしていたという。

現代においても、少なくとも十以上が稼動した状態にあったはずだ。

だがさすがに目の前の巨岩を超える磐座はひとつも存在しない。

重さ百トンを優に超えるであろう巨岩が、餅のように重ねられた光景は人智を超えた存在を想像させるに十分だった。


「…………これから先は私とプリムだけで参ります。真人様たちはここでお待ちを」


磐座に刻まれた階段に足をかけながらシェラは真人を振り返った。

うまく笑えたものか自信はないが、胸に秘めた決意はいささかも揺るがない。

もはや不信感と無力感に支配されていた過去の自分とは違うのだ。

カムナビが再臨した今、どれだけ望んでも得られなかった真人と真人を取り巻く人々を守るだけの力が、自分の手中に得られるはずなのだから。


ケルドランの攻防戦で最前線に立っていたシェラにはわかっている。

ストラトの神官たちは真人の魔術を封印する術を心得ていた。

人の力ではなく、戦神ストラトの神の力だけが真人の力を封じることができることの証であった。

その結果としての真人の苦戦を、シェラは苦い思いとともに見守ることしかできなかった。

シェラにはディアナのような武力も統率力もなかったからだ。


しかし神の力に対抗するには神の力がもっとも有効だということは、長い大陸の歴史が証明していることでもあった。

すなわち、カムナビの巫女たる自分とプリムが本来の力を発揮することが出来たならば、ストラト神官の術力を最小限に抑えることが可能なはずであった。


「…………行きますよ、プリム」


「はい、姉さま」


真人を守るために戦う力が必要なら、ためらうことは何もない。

たとえそれが目を背けたくなるような過去の思い出の向こうにあるのだとしても、戦えずに見守るしかない苦痛に比べれば何ほどのこともないのだから。






磐座の上は清浄な空気に満ちていた。

地上からおよそ10メートル以上も離れたそこは、千年の無為に耐え、神域としての役割を果たし続けていたのであった。

かつてここで、先代の巫女から受け継いだ祝詞をシェラは高らかに謳いあげた。



「我らが神、我らが父カムナビ様に汝が巫女、シェラフィータ・ラルフ・グランデル・アウストリア同じくプリムローゼ・ラルフ・グランデル・アウストリアが謹みて言上奉る。

両名を汝が巫女として信仰を捧げることをお許し願えるならば、どうかこの磐座で験を刻み、もって巫女の承継の儀と成したく願い奉り申し上げる」


かつて代々の巫女たちはカムナビの手によりじきじきに験を与えられたという。

しかしこの千年の間、巫女の前にカムナビが現れたことはない。

真人の言葉がなければ、シェラも異世界に消えた神に救いを求めようなどとは考えもしなかったであろう。

だが、シェラもプリムもほんの一片も真人を疑うつもりはなかった。




「…………久しいな、我が巫女よ」



遠い時の彼方に失われたはずの愛神カムナビが千年ぶりに地上へと降臨したのはそのときであった。





――――信じてはいた。

しかし現実に神を目の当たりにするとごく自然に畏敬と歓喜が胸に湧き上がるのを抑えることができない。

目も眩まんばかりの美貌、涼やかな菫色の瞳。

ただそこに立っているだけで平伏してしまいたくなる人外の威風。

取り戻した。

今こそメイファンは国の魂を取り戻したのだ。


「祝福を与えよう。親愛なる我が娘が決して愛しい男を失わぬように」


シェラとプリムの額にカムナビの指先が押し当てられた。

身体の隅々にまで清冽な神気に満ちた力が行き渡っていくのをシェラとプリムは自覚し、そして確信した。

おそらくはこれまで決して発現することのなかった神術が自分たちに行使できるようになったことを。


「長らく世界を留守にしていたことを詫びよう。だが人を救えるのは神ではない。いつの世も人を救うのは人なのだ。お前たちならそれがわかっていよう」


シェラとプリムは頷いた。

二人を救ったのは神ではなく、間違いなく真人という一人の人間であったのだから。



「神にすがることは容易い。だが、本当に強い人の意思はときとして神をも超える。余は誰よりもよくそのことを知っている…………」



カムナビは念願の力を手に入れたシェラとプリムに忠告しているのであった。

神の力に頼ってばかりでは結局そこで人の進歩は止まってしまう。

人は神に祈るだけの人形であってはならないのだ。

千年のときを超えて神の帰還を知った国民が、いたずらに神の力に頼り欲望を充足させようとしないためにはシェラとプリムのリーダーシップが絶対に必要であった。



「幸せとは神に与えられるものではありません………神の力は、勝ち取った幸せを守るためにこそあるのです………」



カムナビに言われるまでもなくシェラたちにはわかっている。

努力もせずに与えられただけの幸せに価値などない。

しかしようやく勝ち取った幸せが理不尽な暴力に奪われたりしないためには、やはり明確な力が必要なのだった。



「かしこきかな我が娘たちよ。ここに約定は果たされた」



長く断絶していた神と巫女の契約は、ここに完全な復活を見たのである。



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