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第六十三話


「またあの小僧が勝ちおっただと!?」


マンシュタイン公爵は激昂の色も露わに反射的に机に飾られた青磁の壷を払いのけた。

慣性の法則にしたがって大理石の床に叩きつけられた壷は、甲高い音ともに破滅の調べを響かせる。

冗談ではなかった。

難攻不落をもってなるケルドランの城塞に三万を超える精強な軍。

加えて間諜からの情報とブリストルが敗北すべき理由はなにひとつとしてありはしないはずではなかったか。

無謀としか思えない遠征計画に諸手をあげて賛成したのは、今度こそマヒト・ナカオカミの息の根を止められると信じたからだ。

そして主戦力を喪失したオルパシアの支配権をこの手に握る手はずは整っていた。

そのはずなのに――――!


「お、お待ちください閣下。報せはなにも悪いことばかりではありませぬ……!」


「………それはいったいどういことか?」


マンシュタインの目が不審に見開かれる。

オルパシアの大勝が確定した今、いったいどんな良報があるというのだ………?


「怨敵マヒト・ナカオカミがブリストルの武芸者との戦いにおいて左胸に矢を受け生死不明の状態にあると………」


「なんだとっ!?」


確かに良報というべきであった。

オルパシアの軍事力に対する信頼は、その大半を英雄マヒト・ナカオカミに依存することで成り立っている。

ブリストルとの開戦以来戦果をあげた将がマヒトよりほかにいないのだから当然であった。

その彼が生死不明?

死亡確定でないのがなんとも口惜しいが身動きの出来ぬ重傷であることは疑いない。

そうであるならばとるべき手段はある。


「………その報告間違いないのであろうな?」


「かろうじて心臓ははずしたようですが、左胸に矢を受けたことについては使者ばかりでなく複数の筋からの証言が」


腹心の報告を聞きながらマンシュタインの脳内はめまぐるしく回転を続けていた。

幸い、自分の構想は全面的に破綻したわけではないらしい。

選択肢はおおまかに分けて三つある。

ひとつは反乱を諦めて傍観に徹することだが、これは問題外だ。

今後のブリストルとの戦の推移によってはマンシュタイン公爵家の権勢は大幅に衰退を余儀なくされてしまうだろう。

少なくとも今はなんらかの能動的な行動が必要な時なのである。

ふたつめはこの際ブリストルとは手を切って積極的に対ブリストル戦に加わっていくということだ。

いかにブリストルが軍事強国といえども、ケルドランに散った三万の大兵の抜けた穴を埋めるのは容易なことではない。

この期に乗じてブリストル領土を蚕食することも、決して夢物語ではないのであった。

だが、この場合功績の最も重要な部分を外務卿と軍務卿がもっていくことになるのは確実だった。

亡国の危機を乗り切った英雄として、そして巫女姫の婿としてあのマヒト・ナカオカミがメイファン王国の国王に即位するという話も現実味を帯びてくる。

どこの馬の骨ともわからぬ男が成り上がり遂には一国の王となるなど、決して認めるわけにはいかない。

大陸全土の秩序を維持するためにも、ここでマンシュタイン家が伝統と秩序を擁護する義務があるはずであった。

つまりふたつめの選択肢もとるわけにはいかないということである。

そしてみっつめは言うまでもなく、オルパシア王家に叛旗をひるがえし、ブリストル帝国に恩を売って自らが新王となることにほかならない。


さすがにこの決断は危険を伴うだけにマンシュタインも軽々しい判断はできなかった。

オルパシア側に形勢が傾いたことでブリストル帝国に恩を売るという意味ではこのうえないタイミングであることも確かだ。

今ならブリストルの蛮人どもも、一も二もなくマンシュタインのオルパシア王即位を認めるだろう。

逆にオルパシア王国の戦力が予想以上に残存してしまったため、反乱が失敗し地位も名誉も失う可能性も決して低いものではない。

よほどの勝算が見込めなければ実行などできるはずがなかった。


だがここでマヒト・ナカオカミが倒れて行動不能に陥っているのは大きい。

王国の戦力の大半は三方面に展開された戦線に八割以上が拘束されているため、王都の守備兵力は王室近衛を残すのみとなっているからだ。

ブリストル軍の拘束を受けずに機動できる兵力がマヒト・ナカオカミ率いる西部方面軍であることを考えれば王都に早急に援軍に駆けつける戦力がいないのも確かであった。


………配下の兵が三千余……息のかかった貴族たちを含めると一万にはなろうか……王都の近衛は確か二千程度であったはず……


マンシュタインとその系列の門閥貴族はブリストルとの戦でほとんどと言っていいほど疲弊していない。

王室近衛兵団を除けば数少ない貴重な予備兵力である。

ブリストルとの戦いから戦力を温存し続けてきたのはまさにこの日のためだ。

その全力をもって王都を陥とし実権を掌握することができれば後はブリストルの底力がものをいうだろう。

いかにマヒトが大勝をもたらしたといえども、王都を落とされ補給を断たれてはまず南部と北部の両戦線がもつはずがなかった。

国王たちを逃がさず速やかに王都を制圧することができれば、長年の夢は実現するのである。


おそらく今の王都は戦勝の報告に沸きたっているはずであった。

まさか敵に攻め込まれるなど考えてもいまい。

さらに王都のなかにはマンシュタインに賛同する門閥貴族派の人間も数多くいるのだ。

協力する人材には事欠かないに違いなかった。


とうとう………このわしが王となる日が来たか………!


比類なき名門にして伝統の擁護者たる自分が即位するのは当然の権利である。

どこぞの馬の骨に爵位を授ける愚かな王にこのオルパシアの王位を欲しいままにさせるなど犯罪に等しい。

貴族の権威あってこその王権であるというのにあの男はそんな基本すら忘れる忘恩の輩だ。

ならばこのわしが王たるの見本を見せてくれよう。

アルハンブラ、貴様に王冠は相応しくない。




人は己の見たいものを見ると言う。

マンシュタインの脳裏に浮かぶのは自らに有利な条件ばかりで、否定的な推測は全く考慮されることはなかった。

部下たちもまた主君の命令はこなしても、自ら策を主導するようなことはできない。しようとも思わない。

なぜなら公爵の求めるものは耳に痛い諫言をしてくれる現実主義の徒ではないからだ。

すでにマンシュタインは圧倒的多数の軍勢で王都に雪崩れ込み、玉座に座る自分を幻視していた。

彼にとってそれは必ずや実現すべき理なのだから。







「………それで穴熊は罠にかかりそうなのかね?」


アルハンブラ王はご機嫌であった。

どうやら今までの忍耐がよほど腹に据えかねていたらしい。


「確率は八割ほど……と見ておりましたがやはり動き出しましたようで。しかし予断は許しませぬぞ陛下。この宮廷にはどこに奴の味方がいるか知れたものではないのですから」


シェレンベルグの言葉にアルハンブラも表情を改めた。

門閥貴族の血縁と縁故で張り巡らされた王宮のスパイは、彼らが把握しているだけでも二桁を超える。

そしておそらくはそれと同数以上が王宮内に入り込んでいるのに違いないのだ。

絶対数に劣る彼らにとって予期せぬ裏切りには最大限の警戒を怠るわけにはいかないのであった。


「確かに裏切り者に足をすくわれては泣くに泣けん。してその対策はどうなのだ、外務卿?」


「既に王都からの街道は全て近衛騎兵が封鎖しております。城門での規制も強化しておりますから間諜が公爵のもとに向かうのは難しいでしょうな」


ギリギリまでこちらが公爵の謀反に気づいていることを悟られてはならない。

公爵はこちらを奇襲するつもりなのだろうが、奇襲をするのは実はこちら側なのだ。

兵力に劣る以上奇襲の成否は勝敗の鍵ですらある。

なんとしても機密は守りぬかなければならなかった。


「公爵とその縁戚だけでも六千は優に超えるぞ。その気になれば一万は集まるだろうが……王都の守りはどうか?軍務卿」


アルハンブラ王の右に控えていたハースバルドは重々しく頭を垂れた。

この日のためにマヒトの遠征軍を削り、心痛に耐えてきたのだ。完璧な迎撃計画は彼のマヒトへの誓いでもある。


「近衛兵団二千の精鋭に加え、公爵家の影響下にない選抜部隊を千名手配しております。あとは当ハースバルド家の手兵五百が全てではございますが………」


言葉を区切ってハースバルドは力強く断言した。


「指揮系統の定かならぬ雑軍など一万でも物の数ではございませぬ」



ただ正面からぶつかっても圧勝するだけの自信がハースバルドにはある。

ブリストルという未曾有の強敵との間で鍛えられた兵が、ぬくぬくと領地でくすぶっていた門閥貴族軍に負けるはずがないのだ。

また街道を封鎖している騎兵部隊は、公爵の接近を確認次第、後方で再集結して背後を襲う手はずになっていた。

攻めるつもりが攻められて、少ないはずの敵が予想以上に多いと知ってそれでもなお門閥貴族が戦意を保てるとはハースバルドには思えなかった。


そして王都で敗北した公爵が逃げ込むべき公爵領にも手は打ってある。

すでに別働隊三千が公爵領へ向けて進撃を開始していた。

本領から兵を呼び寄せている以上、公爵の所領の守備ががら空きなのは明らかだ。

おそらく手もなく公爵の本領は陥ちるであろう。

公爵が生き延びる術は、なんとしても王都を陥としアルハンブラ王を亡き者にするほかないのである。


「戦というものは貴族の遊戯とは違うということを教えてやりましょう。たとえ生きて教訓とする機会がなくとも」


もとより軍務卿として軍政に携わるようになったのはハースバルドにとって本来の姿ではない。

軍に奉職して二十余年、その大半を戦塵の中で過ごしてきたのは伊達ではなかった。

実戦での野戦指揮官こそ、ハースバルドにとって最大の力を発揮できる天職にほかならぬ。

長年の友人であるシェレンベルグはそのことをよく熟知していた。


「………では私は民を煽動して参るとしましょう。まあ、公爵が口でいうほどに民を思っているのなら効果はないかもしれませぬが」


シェレンベルグの言葉も辛辣を極めた。

マヒトの大勝利に酔う民に、公爵の謀反を知らせたうえで、どちらに協力するかを問いかければ答えは火を見るより明らかである。

そして門閥貴族に対する民の怒りが爆発すると同時に、ひそかに公爵を助けようとする間諜は全く身動きができなくなるはずであった。

迂闊に公爵を利する動きをすればたちまち民に見つかって袋叩きに合うからだ。

公爵に組する貴族の屋敷なども、たちまち民に取り囲まれて立錐の隙間もなくなるだろう。


シェレンベルグはこの際、国内の不安要因にはまとめて消えてもらうつもりであった。

確かにこれによりオルパシア王国の戦力は一時的な減少を余儀なくされるであろうが、不安を抱えたままでいるよりはよほどいい。

しかもケルドランでの大勝は、これまで中立を保っていた小国のほとんどをオルパシア側に引き寄せるには十分なインパクトを持っていた。

減った分の兵力は、同盟国によって十分以上に補填が可能なのだ。


「滑稽だな、マンシュタイン。名門の力が真実ならばこの程度に罠にかかる道理があろうか」


いささか自分が感情的になっている自覚はある。

だが、今や実の息子以上に大事に思っている義息子が一時は瀕死に陥ったと知ってなお公爵に含むものがないわけがないのだ。

シェレンベルグにとってマンシュタインの誇りなど、マヒトの髪の毛一筋ほどの価値もない。


………どうせ不要な存在ならばせいぜい見苦しく悪あがきしながら滅ぶがいいのだ。


オルパシア王国首脳部の憎悪を一身に浴びた門閥貴族軍にとっては、思いもよらぬ厄災が降りかかろうとしていた。





ハースバルド家の手兵五百をまとめるのはルーシアである。

マヒトとともに出陣することを許されなかった彼女ではあるが、とんだところで重大な使命を背負わされるはめとなっていた。

しかし彼女にとってはマヒトの敵を討つのはむしろ望むところである。


「任せて真人………!貴方の帰る場所は必ず私が守って見せる!」



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