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第五十九話


数時間にも渡る死闘は真人の身体に大きな傷跡を刻んでいた。

かろうじて致命傷だけは避けているものの、体力の疲弊は隠せない。そもそも真人でなければ立っていること事態がありえないのだ。

太ももや肩口には矢が生々しく突き刺さり、上手く避けてはいるものの腹部や背中には決して浅くはない複数の斬り傷から少なくない量の血が流れ出していた。


………わかっちゃあいたが相変わらずの化けもんだぜ……!


フィリオは舌打ちを禁じえない。

長時間に及ぶ戦闘で先に自分の方が体力の限界を迎えてしまいそうな気配であった。

槍をしごく両腕はまるで鉛で出来ているかのように重く、大地を踏みしめる両足は棒のように弾力をなくしてしまっている。

フィリオ以外の武芸者たちも同様で、灰の魔女ベアトリスなどはとうに魔力が底をついてしまっていた。


「………無傷のオレが満身創痍の奴より先に根を上げられるかよぉ……!」


気力を振り絞ってフィリオは槍をあらためて握りしめた。

ブリストルの誇る五人の武芸者がたったひとりを相手に先に根負けするなどという不名誉を認めるわけにはいかなかったのだ。





真人の身体には大小無数の傷が走っている。

術の行使を禁じられた影響は真人が想像していた以上に深刻なものであった。

攻撃魔術のみならず、身体能力強化や治癒にいたるまでの全ての術の行使は不可能であり、唯一体内で気を練ることによる防御力と体力の上昇だけが

真人に残された救いであったのである。

とはいえいかに内気をめぐらし体力を底上げしようとも、血を失うことによる気力と体力の低下は避けようがない。

傷が増え、失血の量が増えると共に加速度的に力が失われていくのを止める術は真人にはなかった。

ややもすれば遠のきかける意識を気力でねじ伏せて真人はフィリオの槍を、シンクロードの剣を、シンクレアの矢を弾き返す。

体力の限界に達しようとしているのは真人も同じであったのだ。


………あと少し……あと少しでアリシアの策が成る………!


違いがあるとするならば、戦いの週末点を真人が明確な形として持っているということであろうか。

気力と気力、意地と意地の戦いにあって勝利の術を知ることの意味は大きい。

疲れ果てた身体を意志の力で奮い立たせながら、真人は咆哮した。





その光景を見る観客がいたならば、それは超一流の舞踏のようにも感じられたことだろう。

光の軌跡しか残さぬ神速の刺突が予定調和のように弾かれ、流され、受け止められていく様はそう表現する以外にない。

この違和感をなんと表現すればよいものか。

一撃必殺の威力を秘めた刺突のひとつひとつが、まるで最初からそこに誘導されているかのような……。


「中御神流戦舞死番」


一流の武芸者は相手の呼吸を読んで攻撃を予測するという。

だが、中御神の術者はそこからさらに自分の呼吸を相手に呼吸を同調させ、遂には相手の呼吸を操るに至る。

これこそが死番が中御神の戦舞で最強を称される所以なのであった。

残り少ない体力を効率的に使用することが必須の真人にとってまさに最上の技であると言えるだろう。

タイミングを変えても速度を変えても全ては予定調和の手のひらのうえ。

その予定調和を崩さぬ限りフィリオたち武芸者に勝ちはない。

だが、いかにしてその予定調和を崩せるのというのか。フェイントすらも予定調和のうちだというのに。





アルセイルは戦いの膠着と時間の経過を憂慮していた。

特に時間の経過に最も深刻な危惧を抱く者はブリストル帝国軍軍司令官アルセイルとアウフレーベをおいてほかにないだろう。

現状のまま何事もなく推移すればブリストルの勝ちは動くまい。

左翼を指揮するアウフレーベの軍はすでにオルパシア軍左翼を最終防衛線にまで追い込んでおり、突破は時間の問題となっている。

正面こそメイファン軍の奮戦で押し込まれているもののいかに高い士気の軍隊であっても消耗はさけられない以上、数において優位なブリストル軍が最終的な勝利を得ることは確定的だ。

この戦の最大の目的である真人の殺害についても、順調な成果を挙げつつあると言える。

あの超一流の武芸者五人を相手に致命傷を避け続ける技量はさすがだが体力の衰えはアルセイルの目にも明らかだった。

疲弊しきった超一流の武芸者ならば一流の武芸者でも十分倒すことができる。

最悪あの五人が敗れることになろうとも、戦をブリストルが支配するかぎり、他の者が真人を討つことは容易であるはずなのだ。

それも全てはこのままオルパシアの工作の手が及ぶ前に戦を終わらせることが出来ればの話であった。


「ロンドベル………なんとか今しばしの猶予をくれ………」


アルセイルはマッセナ川の上流へと送りだした己の信頼する戦術指揮官の名を独語せずにはいられなかった。

このまま後二時間の時間を稼げるなら、アウフレーベによる左翼からの分断ばかりか街道正面からの中央突破ですらも可能であるというのがアルセイルの見解であったからである。

少なくともアウフレーベの別働隊が左翼を浸透突破するのにあと二時間はいらないはずであった。






「ええい、くそっ!予備は全員隊伍を組んで方陣を敷け!損耗した部隊は後ろに下がって後詰の連中との後退を急げ!ここを突破されたら後はないぞ!」


マグレープの率いるオルパシア軍右翼はアウフレーベの猛攻に遂に最終防衛線までの後退を余儀なくされていた。

地形的に集団の威力を発揮しづらいこともあってその歩みは決して速いものではないが、確実に土地を稼いでいくアウフレーベの手腕は華麗なものではないがおそろしくあしらいの難しいものだったのだ。

山岳戦では槍はむしろ邪魔になる。とりまわしのスペースを取るほどの余裕がないからだ。

必然的に剣が主力武器となるのだが、肉弾戦となりやすい剣は、槍以上に熟練度を必要とする武器であった。

個人的武勇において間違いなくオルパシアを凌駕するブリストル軍が、遭遇戦で優位に立つのは当然の帰結である。

これに対しオルパシア軍はあらかじめ設置した井楼や防御壁によって当初はブリストル軍を相手に優位に戦いを進めていたが、地形的防御力に頼ったその戦いぶりはある一点を突破されてしまえば後はもろい。

損害を省みぬ勇敢で忠誠心の高いブリストル軍ならではの強襲と、アウフレーベの絶妙な相互支援はオルパシアの防御施設に初期に予定された防御効果をあげることを許さなかった。

精鋭を浸透させ、人海戦術で精鋭が開けた穴を拡大するという手段は決して目新しいものではない。

だが目新しいものでないが故に対応が難しいのである。

マグレープの指揮する右翼が突破されれば、もはや中央で奮闘するディアナの後方は目と鼻の先だ。


「お前らここで男を見せにゃ姉御に合わす顔がないぞ!」


総予備として投入された部隊は不正規戦の練達である傭兵部隊であった。

その中には山岳でも速射の利く長弓兵が含まれるというオルパシア傭兵部隊の切り札である。

真人とディアナが用意した勝利のお膳立てを自らの無能によって崩すような事態だけは許すわけにはいかなかった。

確かにアウフレーベは優れた戦術指揮官だが、マグレープもまた長年無駄に傭兵部隊の長を勤めてきたわけではないのだ。


「傭兵の底力ってのを見せてやるよ、ブリストルの女将軍殿!」






メイファン軍の奮戦で一時的に全軍の士気が高まったこともあってディアナの指揮する街道正面ではオルパシアの優位が続いている。

しかしその優位が予備兵力の加速度的な損耗に支えられていることをディアナだけは知っていた。

既にメイファン王国軍にも先刻までの爆発的な高揚感は残されていない。

元はといえば列強中最弱の練度でしかないメイファン軍だが、確固たるものとなったシェラフィータへの忠誠がかろうじて彼らを支えているにすぎないのだ。

近い時期に彼らを下げ新たな予備と交替させる必要があるだろう。

ディアナほどの戦術指揮官でもオルパシア軍が戦力限界点に達するのはそう遠いことではないのであった。

だがディアナの表情は味方のそうした戦略的劣勢にもかかわらず明るく不敵な笑みに満ちていた。


「あと二時間……あと二時間あればあんたらの勝ちは決まってたかもしれないねえ………」


そういって見上げるディアナの視線の先には、アリシアが分け入ったコラウル山脈の渓谷が広がっていた。

理屈ではない。ディアナには戦の潮目を見る特殊な能力があり、それが彼女をして闘神の名に相応しいものとしているのである。

彼女の見るところ戦の変わり目まではあとごくわずかな時を残すのみであるはずだった。







バラールの遺体を前に嘆く暇はアリシアには与えられていなかった。

彼女に与えられた任務は一刻を争う。

嘆くのならば任務を完了した後で思う存分嘆けばよいのである。


「各自所定の地点へ急げ。堰を切るぞ」


態度は冷静そのものだが、震える声だけが彼女を裏切っていた。

忘れられるはずがない。年の離れたバラールがどれだけ若すぎる自分を庇護してくれていたかということを。

そして自分が老練で世慣れた彼にどれだけ軍人たる部分以外をさらけ出していたことか。

だからこそ完璧に任務は果たされなければならなかった。

もはやこれ以上自分と同じ思いをする味方を増やす気はアリシアにはなかった。


部下たちが瓦礫に塞がれた堰の各所に散っていく。

秩序だった土木工事の成果とも思われない乱暴な堰の造りの正体は、これが真人の作成した呪符によって引き起こされた山崩れによるものであるせいであった。

山肌に巨大な岩盤が露出した水源近いこの渓谷は、真人に託された呪符を使用するには最適の場所なのだ。

なぜなら巨大な岩を砕き砂礫とすることがこの呪符には可能なのだから。

わずか十分ほどで配置を完了した部下から手旗が振られると、アリシアは万感の思いをこめて呪符を放った。


「土行に依りて石の礫と為す、砕け」


八箇所で同時に放たれた呪符は、マッセナ川を堰きとめる最も大きな力となっていた岩石を砂礫と化し、砂礫を砂の塊へと変えた。

満々と湛えられた水量は、もはや弱体化した抵抗力で抑えられるほどに小さな圧力ではありえない。

まるで子供が砂浜に築いた砂の城が崩れるかのように、ぐしゃりと無造作な音が聞こえそうな容易さで、マッセナ川の莫大な水量を押し留めてきた堰は瞬時にして崩壊した。





遠雷が轟いたかのような小さな轟音をディアナとアルセイルが聞いたのは同時であった。

それがいったい何を意味するのかを二人は誰よりもよく承知していた。

すなわちマッセナ川を干上がらせていた堰はたった今をもって切られたのである。


「総がかりだ!なんとしてもオルパシアの前線を潰せ!」


「追い落とせ!ブリストルの戦馬鹿どもにたらふく水を飲ませてやれ!」


高所に陣取るオルパシア軍の陣営内に逃げ込めば濁流に飲み込まれることはない。

今となってはそれだけがブリストル軍を助ける術であった。

全ての予備を投入して犠牲に構わず突破することだけに専念すればあるいはそれも可能であるとアルセイルは信じていた。

ブリストルが養った強兵がその力を十全に発揮することさえ出来たならば………。

だが地鳴りとともに見たこともない激流がコラウルの山を下ってくるのを目撃した兵士たちが、アルセイルが必要とするだけの士気を維持することは不可能だった。

兵士対兵士の戦いであれば無類の勇猛ぶりを発揮するブリストル兵も、個人では決して敵しえない大自然の力を前にしては無力な一個の人間にすぎない。

マッセナ川からほど近いブリストル軍の後方から徐々に崩壊が始まった。

彼らはみな武器を捨て、鎧を捨てて身一つでコラウルの山中へと我先に逃走を開始する。

濁流が迫るにつれて前線の兵もついに統制を失って暴走した。


重さ数十トンはありそうな巨石が濁流の流れに乗って転がり落ちてくる様はブリストル軍にとって悪夢の具現としか思えなかった。

山系を下る間に、マッセナ川の巨大な水量は砕かれた岩の数々とコラウル山脈の木々を飲み込みその顎に相応しい牙を手に入れていたのである。

見る見るうちに逃げ遅れたブリストル兵が腰まで水に浸かり、バランスを失って流されていく。

激流に飲み込まれた兵に待っているのは確実な死だけだ。

激しい勢いで巨石をぶつけられたケルドランの城壁もまた耐え切ることはできなかった。

外壁は打ち砕かれ、城塞内を行き場を失ったマッセナ川の水が所狭しと暴れ狂う。

なまじ外壁に囲まれているために、ケルドランの城塞の主郭部分はほぼ水没していると言ってもよかった。


もっとも大きな損害を受けたのは戦闘正面が確保できないため後方で待機していたブリストル軍の中軍であろう。

彼らの半数が戦闘を放棄して逃亡し、残り半数が後方へと搬送されていた負傷者とともに激流のただ中へと飲み込まれた。

その損害の合計は一万を軽く上回る。

かろうじて激流からの損害を免れていた前線の兵も、恐怖に駆られて狂躁した結果甚大な被害を受けて戦闘能力を喪失していた。

アルセイルやアウフレーベがいかに良将といえども、抗戦意欲を失った兵を押し留めることは出来ないのだ。



ここにケルドラン城塞をめぐる攻防戦はオルパシア軍の勝利という形で決着した。

だが、真人をめぐる攻防戦はいまだ勝敗定かならぬまま攻防の絶頂を迎えようとしていた。


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新作 元社畜が異世界でホワイトな生活を営むために四苦八苦。幸い土魔法のチートをもらったものの、人間不信な主人公松田毅は、絶対に裏切る心配のない人造人間に心惹かれていく……。 なにとぞご愛読のほどお願いいたします! エルフに転生した元社畜は人造人間を熱望するか?
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